新たなマンガの生まれる場所

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「マンガを描く人はみな、漫画家である」。マンガ好きは当たり前のようにこう考える。だが、マンガという表現はもはやマンガ家だけのものではない。アニメーターやイラストレーターなど幅広い表現者が自分の表現したいことに適した手法としてマンガを選ぶ時代なのだ。その動きを垣間見せるのが、「3331Arts Chiyoda」で開催中の「タマグラアニメとマンガ博」(3月9日まで)だ。元学校という空間に登場したマンガ作品は、書店で流通する作品とは違った魅力を見せ、マンガとは何かを考えさせてくれる。

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飾りつけは学園祭風

「タマグラ」とは多摩美術大学グラフィックデザイン学科のこと。卒業生に個性的な短編アニメーションの作家が多いことで有名だ。今回はこのタマグラを卒業しアニメーションを作りながら、マンガも描く新旧幅広い世代6人が集まった。(そのため隣の部屋では、のアニメ作品も放映。同じ人が作る、マンガとアニメという似て非なる表現を見比べてみるのもおもしろい)

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同じクリエイターのアニメーションも上映

元教室の会場に一歩はいると、壁全体に大判で印刷された6つのマンガ作品。これらはすべて今回のための書き下ろしだ。教室の奥にはそれぞれのキャラクターの立体像が並ぶ。元学校という環境とあいまって、レベルの高い学園祭にきた気分になる。

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元教室の会場でマンガを読む

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会場ではタマグラ卒業生の作品を実際に読むことができる

展示されている作品の、テーマや絵柄は6者6様だ。

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壁にはられた作品を読むという楽しさも

マンガ愛好家にとっつきやすいのは、クリハラタカシ氏の「夏の怪獣」などだろう。すらりとした線の絵でちょっとシュールな物語が展開されている。杉崎貴史氏の「亀」もデフォルメされたキャラクターが動き回るコメディタッチの作品で、手塚治虫氏や杉浦茂氏を彷彿とさせる。本人も子供の頃、手塚治虫氏や水木しげる氏の作品を読んで育ったという。

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クリハラタカシ氏の「夏の怪獣」

アーティストとして活躍する近藤聡乃氏の「さようなら」は男女関係がテーマ。繊細な線の絵柄からはひりひりと女性の葛藤が伝わってくる。

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近藤聡乃氏「さようなら」

しかし、いつもの紙の雑誌や単行本のマンガを読むつもりで作品に向き合うと、少し戸惑うかもしれないものもある。

たとえば久野遥子氏の「神の兄弟」。コマの時間の流れがすごく独特で、何度もコマとコマを行き来して、時間の流れを確認してしまった。

あるいは短編アニメーション「つみきのいえ」の手がけた加藤久仁生氏の「ともまち」。ひとつひとつの絵は絵本のようなのに、コマはきちんと時間を切り取っていて、時と場所の変化を感じさせた。しかもシャープペンシルと墨で描いたという。

みる順番は自由なので、かしこまらず自分の好みにあうものから楽しむのがいいだろう。

彼らにとってマンガとは何か。これに答えてくれたのが「歯クション大銀河」を発表したぬQ氏だ。

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ぬQ氏「歯クション大銀河」

アニメを作り、イラストもマンガもかくぬQ氏曰く「マンガは言葉のかけあいがおもしろい話を短くまとめるのに向いている」とのこと。確かにぬQさんが今回発表した作品も、アニメーションでは言葉が流れていってしまうし、イラストにしてしまうと言葉の掛け合いのおもしろさが見えてこない。

「ともまち」を発表した加藤さんも「動きで楽しませるアニメーションに対し、マンガは『止』を見せるよさがある」と話す。

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オープニングには多くの人が集まった

「マンガ表現はもはやマンガ家だけのものではない」-――不器用な人間は、自分の考えや世界を表現する方法はひとつだと限定してしまいがち。だが今回の6人は、アニメーション、マンガ、そしてイラストレーションというそれぞれの表現を自在に選択し始めているようにみえる。日本にマンガという表現が根付いた証でもあるだろう。

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会場外には落書きスペース

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会場外にも展示が

マンガ家以外がマンガを描き始め、マンガを描くことが、「文字を書く」「絵を描く」ことと同じぐらい一般的な表現方法になったとき、マンガはなにが表現できるのか。そこからどんな作品が生まれてくるのか楽しみだ。(bookish)

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会場は大学が卒業生のために借りたギャラリー
「タマグラアニメとマンガ博」概要
http://akibatamabi21.com/exhibition/
日程
2月1日(土)~3月9日(日)、火曜日は休み
開場時間
12:00~19:00(金・土は20:00まで)
会場
3331Arts Chiyoda 201・202(千代田区外神田6-11-14)

正解を模索する曖昧な往来

大今良時氏にとって初のオリジナル作品『聲の形』(週刊少年マガジンに連載中)。小学6年生の主人公・石田将也のクラスに聴覚に障害をもつ西宮硝子が転校してくるところから始まるこの物語は、“曖昧な往来”がマンガの世界を超えてこちら側の現実に飛び込んでくる。

子どもの将也にとって耳の聞こえない硝子は異星人そのもので、彼女の私物を捨てても、大声で悪口を言っても、何ら罪悪感を感じることもない。クラスメイトも将也に同調し行動はエスカレートしていくが、最終的に将也のほうがいじめられる側になってしまい小学校生活は暗澹たるものになる。一方で硝子は転校してしまい、後悔や懺悔も伝える術もないまま将也の鬱々とした時代が始まってしまう。

時に硝子の母親にビンタをくらいながら、時に誰かの手によって停学に陥れられながらも心のうちにあるものを行動にうつし、目に見えるように「聲」が聞こえない相手に届けるためにひたすら悩みあがく、見えないものを形にしていくことがこの『聲の形』というタイトルにつながっていくのだと思う。

だが同じくして、将也は久々にできた高校の友人・永束にこう質問している。「“友達の定義”って何かわかる?」。これに対し永束は、それは定義づけないといけないものなのか? 友情は言葉や理屈を超えたところにあると思う、とハッキリと答えた。

物語はこれまで相手に何かを届けるためにどんなに鞭打たれても行動していく姿を描いていたが、ここで「言葉や理屈を超えたところ」という、将也のそれまでを全否定といってもいいシーンを描いている。硝子に近づいてもいいのか、その資格があるのか、再び将也の行動原理はぐらつく。ぐらつきながらも、おそるおそる硝子に近づいていく。

何が正解か明快なものが存在しない中で「やっぱりこっちが正解なのか?」「自分は間違っていたんじゃないのか?」と、行ったり来たり悩みながら変化していく将也の“曖昧な往来”。ヒーローのように正義の鉄槌を下すこともなく、ライバルを打ちのめすこともなく、ひたすら迷い続けるこの姿こそが現実世界に生きる人間にリアルさを感じさせ、目が話せなくなってしまうのだ。

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文=川俣綾加
1984年生まれ福岡県出身。フリーライター、猫飼い。岡田モフリシャス名義で「小雪の怒ってなどいない!!」を「いぬのきもち ねこのきもち WEB MAGAZINE」にて連載中。ライターとしてのジャンルは漫画、アニメ、デザインなど。冒険も恋愛もホラーもSFも雑多に好きですが最終的になんとなく落ち着くのは笑える作品。人生の書は岡田あーみん作品とCLAMP作品です。個人ブログ「自分です。

原典へと誘う“キャラクター化”の効果

2月も終盤に入り、受験シーズンが大詰めを迎えている。試験までに多くの知識を身につけなくてはならない学生、教養や社会常識が問われる社会人ーーいつになっても「知識の習得」から人は逃れることはできない。その習得をエンターテインメントにするのが、「キャラクター化」だ。教養などの知識が自分になじみ深い方向に引き寄せられており、知れば知るほど楽しさが増すーー。キャラクター化はそんな好循環を生み出している。

文豪をキャラクター化した作品『文豪ストレイドックス』(原作=朝霧カフカ、漫画=春河35、KADOKAWA、ヤングエース連載中)もその1つだ。芥川龍之介ら有名な作家をモチーフにした登場人物が、敵と味方に分かれ、超能力を駆使して闘うファンタジーである。

この作品の肝は、人物造形の面白さだ。登場する多くのキャラクターの場合、容姿は今の読者にウケがいい造形だが、性格や超能力は、作家の残したエピソードや代表作を意識している。

例えば主人公の「中島敦」。名前は歴史上の文豪の本名そのものだが、容姿は華奢な美少年となっており、残されている作家の写真とは印象が異なる。他の文豪もほぼ同様の扱いで、中には性別が変わっているキャラクターもいる。一方で彼らの性格や超能力には、作家本人の個性や代表作が反映されている。「太宰治」は自殺愛好家であり、「谷崎潤一郎」の能力名は「細雪」、というように。

このようなキャラクター化された作家による物語を通じて、読者はキャラクターを通じて、作家そのものに親しみを覚えるようになる。自分にとって遠い存在だった作家達が一気に身近な存在になるのだ。たとえそれぞれの作品を読んだことがない人でも自然と作家本人についての知識が頭に入ってくる。その結果、「本当にこんな人だったのか」「どんな作品なのか」とオリジナルに興味を引かれるようになる。

もちろんもともと文学史や作家に関心があった人の楽しみはより大きい。次はどの作家が登場するのか、どんな名前の必殺技が飛び出すのか、その必殺技はどんな効力があるのか―先の読めないストーリー展開に加えてこんな予想ができるからだ。文学の知識があればあるほど、その楽しみは無限に増えていく。

知識重視の勉強に代表される「知識の習得」の苦痛の悪影響のひとつは、その苦痛によって知識そのものが嫌いになってしまうことだ。このアレルギーを乗り越える方法のひとつとして、キャラクター化は有効なのだ。

既存のものにキャラクターという新たな名前と形を与え、関係性を生み出して、物語を作っていく試み。これは意外に日本社会に浸透している。例えば2013年から話題沸騰中の「艦隊これくしょん」。日本の戦艦を萌え擬人化したキャラクターを使ったゲームを通じて、戦艦名が自然と頭に入ってきた人も多いのではないだろうか。これまでも元素記号や世界各国の擬人化・キャラクター化した作品が登場している。必ずしも万人向けではないかもしれないが、自分の感性に合えば、知識の吸収を助ける。今後も様々な分野で作品が増えていくだろう。

『文豪ストレイドックス』では、発売中の3巻で早くも海外の文豪が登場。現時点では直接ストーリーとは絡んでいないが、綾辻行人、京極夏彦、そして『ダヴィンチ・コード』で有名なダン・ブラウンなど存命の作家もキャラクター化されている。この作品が、今後もファンを広げながら多くの読者の興味をオリジナルの文学にも引き付けてくれることを願ってやまない。

(kuu)

起業家、投資家、ハッカー。現実に肉薄する描写

フィクション、特にマンガの昔からの役割に、経験できない世界を見せるという役割がある。さだやす『王様達のヴァイキング』(深見真ストーリー協力、週刊ビッグコミックスピリッツで連載中)は、普通の人がなかなか経験しにくい起業や事業たちあげの瞬間を冒険物語ととらえ、私たちに疑似体験させてくれる一作だ。

タイトルにある「王様達」の一人であろう登場人物の是枝一希は、高校中退。パソコン・プログラミングだけが世界とつながるツールという人物。もう一人の坂井大介は個人の資金やノウハウ、ネットワークを提供し、企業を支援するエンジェル投資家だ。この二人が出会い、ハッカーの力でネットセキュリティ分野の新規事業を立ち上げていく。

これまでも起業家を取り上げたマンガはあったが、多くが成功した起業家の一代記。だが本作は、綿密な取材を元に、事業を見つけるところや起業に対する社会の反応を組み込みながら、その工程を魅力的な物語に仕立てている。「今から俺とコーヒーミーティングでも」などキャラクターの細かな台詞にも今の起業カルチャーが反映されている。

このように魅力ある物語になるのは、起業・新規事業立ち上げがまさに冒険そのものだからだ。
海のように広大な市場への挑戦であり、けして一人ではできない。時には波のような周囲からの反発もうけつつ、それでもできるか――経済活性化に起業や新規事業が求められる風潮で、普通の生活からは想像しにくい世界を、フィクションを使いながら読者にこう訴えかけているのだ。

さらにおもしろいのは、起業家・投資家をダークヒーローとして描いていること。ダークヒーローは古くは手塚治虫氏のブラック・ジャックなど「ヒーローだが社会からなかなか理解されない。でも傍に必ず一人は認めてくれる人がいる」存在。もちろん現実世界の起業家がすべてダークヒーローというわけではないが、最初の理解者が少ないという点では起業家をこの系譜に位置づけたい。本作でも是枝や坂井には当初理解者が少なく、既得権益者からは懐疑的な目でみられる。是枝や坂井も、行動と技術で徐々に「味方」(例えば顧客)を見つけていくことになるのだろう。

起業や新規事業の成功率は非常に低く、全員が簡単にできるわけではない。だが未知の文化への扉となり、読者をわくわくさせてあこがれを抱かせる――作られた物語というコンテンツが担う役割を改めて実感させてくれる。

(bookish)

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。

SNS以降、人間関係の着地点はどこにあるのか

「コミュニケーションが大切」「会話で人間関係の構築を」ーーそうはいわれても、多様な価値観が広がり、コミュニケーションツールが複雑になる現代社会では、コミュニケーションそのものが一筋縄ではいかない。これを実感させてくれるのが、大瑛ユキオ「ケンガイ」(「月刊!スピリッツ」連載中)だ。

主人公の伊賀(23)は就活を戦線離脱してレンタルビデオ店でアルバイト中。同じ職場の女性・白川(24)が気になり始める。しかし白川は、伊賀のアルバイト仲間内で「あいつはないわ(=恋愛対象の圏外)」とされている女性。伊賀は仲間に評価されないという理由で声をかけられず、伊賀は「ケンガイみたいな扱いを受けるのはよくないことだからきちんと話し合って解決しよう」と白川に働き掛ける。

しかし白川はバイト仲間からの評価を気にしない。さらに考えを押し付けてくる伊賀の接触を遮断しようとする。そして「ケンガイな白川に構うと下の立場になるからやめなよ」という同調圧力をかけてくるバイト仲間ーーそれぞれが己の「人間関係の作り方」「コミュニケーションのやり方」が正しいと考えており、溝が埋まる気配は見えない。

話しあったり気持ちを伝え続けたり、「努力すれば気持ちが通じる」というマンガが多い中、『ケンガイ』には本当に分かり合えない人も世の中にはいるかもしれないと思わせるところが肝だ。

これを読者がリアルに感じるのは、特に20代がこの「分かり合えない」現実に直面しているからだ。SNSを通じて日常や交友関係が丸見えになり、「この人はこういう人」というイメージが勝手に形成される。「自分は他人からどうみえているのだろうか」と意識する人も増えている。その中に、どう見られようが気にしない人、「常識」を重んじる人が交じり合う。コミュニケーションツールの増加で、表面的には人間関係を築いているようにみえて、本質的には溝があるーーこのような状況を日々実感するのが今の若者なのだ。

世代、性別、生活環境などの違いで価値観が理解できない人が交じり合う状況は変わらない。その中で、隣にいる理解できない人たちの人間関係の着地点はあるのだろうか。
(kukurer)

熱気を帯びつつあるアナログゲーム界隈

ハイカルチャーの条件とは何だろうか。
伝統があり、議論や評価をする場が整っており、嗜むのにそれなりの財政的な負担を覚悟する… 少し考えただけでもいくつか条件が想い浮かぶ。

ハイカルチャーとローカルチャーは時代とともに流動する側面も持つ。例えば、マンガは幅広い層の人が手に取り、近年は随分議論する場も揃ってきている。善し悪しは別として学問として学ぶ場も増えてきていることから次第にローカルチャーから離陸しつつあるのが実情だといえる。

すでにハイカルチャーとされる歌舞伎も、もとをたどれば戦国時代に派手で異形の装束をまとう荒くれ者(傾く者=かぶくもの)の姿を真似、型破りの舞を踊ったところから始まった。江戸時代には庶民が楽しむ大衆演芸的要素が強かったとされ、重要無形文化財に認定されたのは1965年と意外に最近のことだ。同じく、茶道も戦場に向かう武士たちがひとときの静けさを得たり、宴会の一部として行われたりしていたものを、豊臣秀吉が武将の嗜みとして一気にハイカルチャーに引き上げたというのは有名な話であるし、近年ではサッカーがJリーグ発足により、野球をしのぐような国民的スポーツに成長したことなども好例といえよう。

そんな文化としての様相について意識させられるマンガが、中道裕大『放課後さいころ倶楽部』(小学館、『ゲッサン』連載)である。

主人公、武笠美紀はクラスでもあまり人との関わりを持とうとしない控えめな高校生。そんな彼女が、転校してきた好奇心おう盛なクラスメイト、高屋敷綾の登場により「ドイツゲーム」として近年知名度を高めてきた海外のアナログゲームの世界にのめり込んでいくストーリーだ。しかし、この二人はゲーム初心者。二人とゲームを結びつけるには、クラス委員長として学校で完璧な姿を演じながらも、兄の影響で小学生のときからそれらに親しんできた、大野翠の存在が欠かせない。

構成は基本一話完結。各話ごとに海外のアナログゲームを主人公たちがプレイし、その面白さを伝えるものだ。ただ、それだけであればゲームの宣伝マンガになってしまうが、本作ではゲームをプレイする側からの視点だけでなく、作る側からの視点も交え語っている点が大きく異なる。

誰もが楽しみ、繰り返しプレイする事ができるゲームを設計するためにどんな工夫がされているのか。どうやって可能な限りシンプルな構成で奥深い世界観を作っていくのか。さらに言ってしまえばゲームを介して人々を幸せにできるのか・・・。ゲームをプレイする中で、美紀と綾はそこに込められた作家の意図に気付いていく。それに対し、ゲームに精通している翠や彼女のアルバイト先『さいころ倶楽部』の店長がそれぞれのゲームが作られたエピソードを紹介する。中でも力を入れて解説されているのは、アナログゲームの地位を立派に文化として語られるステージにまで高めようと努力した、ゲーム作家たちの努力である。店長が言う。

「ドイツではゲームの作り手を『作家』と呼ぶ。ほら、どのパッケージにも作者の名前が書かれているだろう?『小説家』や『漫画家』と同じように、ドイツゲームは『ゲーム作家』が誇りを持って創り出しているんだ」

わずか50年前までは作品、作家という認識を持たれていなかったアナログゲームの地位を、アレックス・ランドルフをはじめとする作家たちは絶え間ない努力で、正統なカルチャーとして認知される位置まで押し上げたのだ。

同じようにマンガやアニメといった海外からクールと賞される日本文化も、登場から長い年月をかけてようやく一般化した。アナログゲームはヨーロッパでは広く認知されているが、日本ではまだ一部愛好者が嗜むという認識が強い。今後、こうしたゲームが広く楽しまれるようになるためには、先に挙げたいくつかの条件をいかにしてクリアしていくかというハードルが存在する。

だが、こうした文化の定着過程をただ傍観するのはもったいなくはないだろうか。是非、本作を読まれて「こんなに面白い世界があるのか」と感じられるのであれば、アナログゲームの楽しさを体感し、広める側に参加してみてほしい。実際、アナログゲーム人気の高まりを受け、ボードゲームカフェと呼ばれる空間が全国に生まれてきているし、専門店も増えてきているのだ。私たちが文化に押し上げる側にまわるための土壌もまた整えられてきている。

『放課後さいころ倶楽部』はそんな熱気を帯びつつあるアナログゲーム界隈の楽しさを伝えるだけでなく、ローカルチャーがハイカルチャーに昇華するうねりを感じさせる魅力的なマンガだといえよう。

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

マンガ家向け確定申告講習会2014@東京~原稿に集中するための税務・節税対策

【出演】1月29日(水)19:00~21:30開催「マンガ家向け確定申告講習会2014@東京~原稿に集中するための税務・節税対策」(主催:トキワ荘プロジェクト)に代表 山内康裕が登壇します。「マンガ家の確定申告」や「マンガ家の法人化」などについての講習会になっています。今年のテーマは、平成26年4月からの消費税8%への対応です。詳細はこちらをご覧ください。

サービスエリアという「一期一会」の楽しみ

年末年始の帰省ラッシュが近づいてきた。ニュースで渋滞が取り上げられるのが風物詩ともなっている高速道路。その高速道路で巨大テーマパーク並みの集客力を誇る、サービスエリア(SA)を舞台としたのが、末広有行『ドライブご飯 SAグルメ日記』(『週刊漫画TIMES』連載中)だ。

主人公に引っ越し業者の若者と中年の男性コンビを据え、行く先々の「ご当地グルメ」を堪能させる。会社で待つ事務の女性や子どもに、スイーツなどのお土産を買って帰るのが基本の流れだ。連載のスタートは2009年12月。グルメ漫画には料理人が作る過程や、対決をメーンにした作品が多かった中で、実在する施設を題材とした「消費行動」を楽しませてくれるのは新鮮な切り口だった。

SAは、もはやトイレ休憩だけの施設ではない。2012年4月に静岡県で開通した新東名高速では、7カ所あるSAの年間立ち寄り人数が3700万人で、利用者の4割が40分以上滞在したという(NEXCO 中日本公表)。集客数日本一の東京ディズニーランドの入場者数は2750万人(『月刊レジャー産業資料』13年8月公表)だから、商業規模は侮れない。

本作の特徴としては他に、料理やお土産を紹介するコマの大きさが挙げられる。1つの商品がページの半分以上を占め、材料や特色をしっかり書き込んでおり、グルメ漫画としては重要な「シズル感」が満載だ。

ただ、ガイドブックとは違い、商品の「値段」がほとんど記されていない。そこには、SAグルメは商品の入れ替えが激しいことに加え、通りかかった時に季節や流行を味わう「一期一会」の面白さがあると訴えている思いが感じられる。

この作品、初めてまとまったのは12年9月発売のコンビニコミック(ペーパーバック)だ。単行本1巻の発売は13年5月と、非常に間が空いている。作者自身も1巻の巻末で「ココまで長かったですね」と主人公に語らせている。なぜそんな経緯をたどったのだろう。

SAは普通、通過点であり、旅や移動のおまけだ。そのおまけを主題にした本作の立ち位置は、当初手探りだったのではないか。しかし、昨今の節約志向からプチ贅沢に消費動向が変わる中、非日常のSAでの消費行動は、一つの目的として定着してきた。本作は、そんなSAの価値向上とともに見直され、単行本化を果たしたのではないか。2巻の巻末でも「次が出るか分からない」となっているが、時代を彩る作品としてぜひとも続刊を残してほしい。

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schoo「マンガで読み解く現代社会学」配信

【出演】2013年1月16日(木)21:00~22:00、ネットで受講できる無料授業を配信している「schoo」にて、代表山内康裕が「マンガで読み解く現代社会学」の先生をやります。

BEST of 2013 #4:マンガナイトセレクトの海外にも紹介したい漫画10選

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もはや現代の日本を語る上で欠かすことの出来ないものとなった漫画。当然、日本の一年間を振り返ろうとした時にも漫画という要素は外せない!ということで、PingMagで、いつもマンガに関しての記事を執筆していくれているマンガナイトのメンバーに、この2013年で一番印象に残った漫画作品を聞いてみました!

今回は特別にPingMagに合わせて「絵や表現の素晴らしさ」や「日本文化を感じることができる」といった観点から、特に海外の方にも紹介したいと思った漫画を、マンガナイトのメンバーがそれぞれ1作品づつ計10作品選んでくれました。

2013年に印象に残った漫画を教えてください!

『青い鱗と砂の街』小森羊仔

非常に繊細で素晴らしく可愛らしい登場人物達。メルメンな絵本と少女マンガの中間に立つような雰囲気だ。しかし、この作品が際立っているのはキャラクターの存在に過度に依存せず、背景を密に描き込み、生活感や地域感を演出しているところにある。独特の温度で構成された風景は、記憶をたどり人魚を求めるファンタジーの部分と、引っ越しを機に始まる父親との二人暮らし、転校先の学校でのやりとりという二つの部分を違和感なく縫い合わせる役目を果たしている。この作家、この作品でしか味わえない世界観がここにはあるのだ。(いけだこういち)

『アノネ、』今日マチ子

10代の頃、『アンネの日記』を読み終えた夜にみた夢を、そのまま具象化されたような気がした。余白の多い、あっさりとしたシンプルな絵柄。『我が闘争』を彷彿とさせるような赤と黒の装丁。物語は隠れ家から収容所までの一連の流れと、アドルフとアンネを想起させる「太郎」と「花子」の閉ざされた空間におけるつかの間の交歓のあいだを行き来する。まだのびしろの大きい時期ゆえの夢見がちな伸びやかさと、親の呪縛から逃れられない閉塞感に、人の痛みが分からないがための残酷さ。ここで本質的に語られているのは思春期であり、社会情勢の変化などそのスパイスに過ぎない。少女の中に広がる心象風景そのもののような作品だ。(洛中洛外)

『月影ベイベ』小玉ユキ

伝統芸能の民謡と踊り「おわら」を守り伝える町を舞台に、恋や友情、秘密が描かれている作品。みずみずしい方言や古い町家の家並みなど、富山県八尾地域の特色が随所に見られ、日本情緒が堪能できる。装丁も凝っており、カバー裏にはおわら節の歌詞が美しくデザインされている。小物による描写も巧みで、例えば踊りに使う菅笠が舞い手の表情を隠し、ドラマをよりミステリアスに見せている。また、主人公の叔父が予期せぬ出会いに際し思わずこぼすコーヒーや、恋するヒロインが食べるサンドウィッチなど、フードを絡めた描写も印象深い。ただの「ボーイ・ミーツ・ガール」ではないこの作品、今後どうなっていくか楽しみなマンガである。(kuu)

『文豪の食彩』原作:壬生篤、作画:本庄敬

有名人の通う店やお取り寄せは「この人ならば、きっと良いものを食べているはず」という期待で人気のコンテンツだ。ステルス・マーケティングという手法が横行する今でさえ、あこがれの人と同じ空間や味を感じたい、という人は多いだろう。本作は、太宰治に芥川龍之介、永井荷風といった、明治以降の文豪の食生活を題材にした珍しい切り口の作品。わずか100年ほど前の国民的作家が、どんなものを食べていたかを、垣間見ることができる。現存の店も多く、足跡をたどるのも面白い。何よりも、写真では小難しい顔が多い文豪の「嬉しそうに食事する姿」を目にできるのが、マンガの醍醐味とも言える。夏目漱石、正岡子規、樋口一葉も登場。(029*83)

『その男、甘党につき』えすとえむ

フランスでは谷口ジローの漫画が高く評価されている。その理由は過度な装飾が少なく写実的でバンドデシネに近いからだろう。その系譜としてえすとえむを紹介したい。基本的には写実的な絵で大人の恋愛群像劇を描いているが、時々、写実的な絵でシュールなギャグを描く。この作品も、パリに住むやり手弁護士、ジャン=ルイ。一見完璧な紳士に見える彼の大好物はチョコレート——と言った内容である。表紙も紳士がスーツの内ポケットに好物のチョコレートを隠し持つというミスマッチのおかしさを表現している。また、半透明なカバー紙、金色の箔オビ、遊び紙の模様。全て市販チョコレートのパッケージに似せるなど装丁にもこだわり抜いた作品である。(太田和成)

『かげきしょうじょ』斉木久美子

2013年は間違いなく「自分の夢に向かって切磋琢磨しながら成長する」少女たちがメディアでよく活躍した一年だった。本書は表紙こそユニコーンが出てきそうなくらいパステルカラーで原宿カワイイを彷彿とさせるデザインとなっているが、歌劇団養成学校を舞台に一生懸命な天真爛漫な女の子と、やる気がない元アイドルの女の子が、ぶつかりながらトップを目指して成長していく青春物語である。どんなシーンにも10代ならではのキラキラしたひたむきさや純真さが画面から伝わってくる点は現在の少女たちそのものだ。かげきしょうじょたちの成長と今年活躍した少女たちを重ねあわせて一年を振り返ってみても面白いかもしれない。(kukurer)

『僕は問題ありません』宮崎夏次系

やっぱり、天才です。絵も、タイトルも、セリフも、ディテールも、全体も秀逸。宮崎さんにしか出せない、独自の世界観に心ゆくまで没入してください。気持ちいいですよ。内容は、一言でいうと、たぶん、大きな愛についての話です。(イワサキユミ)

『さよならソルシエ』穂積

オランダ出身の画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟、テオドルス・ヴァン・ゴッホ。この2人の生きざまを、「絵画のよう」といいたい絵柄で描いた作品。ヴィンセントは「ひまわり」など後生に残る作品がありながら、生前には評価されず。弟のテオドルスも、「兄の生活を支えた」としか伝えられていない。そうした通説を元に、「実はこうだったのでは」と大胆な解釈でフィクションを作り上げ、圧倒的な物語として読ませている。同時に働くということについても考えさせられる。弟のテオドルスは作品中、「画家になりたくてなれなかったもの」と描かれる。自分より才能のあふれる人の隣で生きていくとき、人はどのような闇を抱えるのか。またそのなかでもどうすれば居場所を作り上げることができるのかー対照的な兄弟の姿を通じて作者は訴えてくるのだ。(bookish)

『めしばな刑事タチバナ』原作:坂戸佐兵衛、作画:旅井とり

空気系グルメマンガの極北。いかにも仕事のできなそうな刑事たちが、実在のチェーン店、弁当、スナックなどのB級グルメについて、こだわりとウンチクを語りまくる! 首都圏だけの話に終わらず、地方独自の店舗や文化までフォローしているのが凄いと思う。ここまでファストフードに詳しい原作者は何者?(本多正徳)

『ましろのおと』羅川真里茂

天才津軽三味線奏者の血を受け継ぐ少年。彼は才能に恵まれながらも、純粋な性格が災いして、外の世界に出ようとはしない。彼の純粋な性格や才能に惚れ集まってくる人たちに影響を受け、しだいに社会と交わり成長していく作品です。少年の成長を促すのは、子供からお婆さんまでのさまざまな女性たち。様々な角度から引っ張られて、助けられ成長していく少年の姿をみると、男性はどんな立場や年齢の女性にも心を動かされてしまうのだなと感じます。(山内康裕)

最後に、2014年にはこれが注目!という漫画や、漫画界でのムーブメントがあれば教えてもらえますか?

マンガ表現の拡張という視点から、「音」に着目して活動している二者の今後の展開に期待したい。一つは新しい電子コミックスの可能性に挑戦している漫画元気発動計画主催「Domix」。漫画家集団が主導で制作している音声付の電子コミックスは、アニメとは違う系譜でのマンガの進化の可能性を秘めている。

一方、アナログという観点から、ミエルレコードwithOTOWA「紙巻きオルゴール漫画」にも注目だ。オルゴールの音源となる紙自体がマンガになっており、手巻きで音を鳴らすと同時にマンガのコマも現れるという仕組みは、音楽を聴くスピードとマンガを読むスピードを一致させるという意味で画期的である。

“オープン・パーソン”の平熱感

今、内向型人間に注目が集まっている。

今年5月に刊行され話題を読んでいるスーザン・ケイン著『内向型人間の時代』(講談社)に続き、10月にはジェニファー・B・カーンウェイラー著『内向型人間がもつ秘めたる影響力』(すばる社)が発売され、ビジネス誌でも特集が組まれるほどだ。そこで語られているのは外向的で社交的な振る舞いをする人だけが評価されるのではなく、多くを語らなくともじっくり物事を考え、冷静に判断を下す内向的なタイプの人にもスポットを当てるべきだという提案である。

内向型が注目されているといっても、従来のように会議術やリーダーシップに関するノウハウ本が次々と出版され、ハーバード流、BCG流というような看板を掲げてそれに箔をつけようとする外向型養成の熱もいまだ冷めていない。

そんな中、内向型-外向型の軸には当てはまらない重要な存在に気づかせてくれるマンガが青桐ナツ『flat』(マッグガーデン「アヴァルス」連載)である。

主人公・平介は超がつくほどのマイペース。さらに「コイツが本気になることなんてあるのか?」と思うくらい冷めていて無駄な努力などする気はサラサラない。唯一、彼が好んで自ら行動することといえば、大好きなお菓子を作ることくらいだ。物静かな性格とはいえ、前向きに何かを考える姿勢が見られない平介は内向型の人間というよりも無気力な人間と言った方がしっくりくる。しかし、彼の周りにはなぜか親戚、友人、先輩後輩、そして先生までもが集まってきて活発な交流が行われるのだ。

平和を好み、のんびりとマイペースに生きる平介。そんな彼にも天敵が現れる。後輩の海藤である。海藤は互いが積極的に関わらない友情や、年下を思いやらない年長者(=平介)に大いなる疑念を抱いている。なぜもっと前向きに関係を築こうとしないのか、相手の気持ちを細かく拾い上げようとしないのか。ことあるごとに海藤は平介の態度に注文を付ける。

海藤に叱責され、表面上は平静を保ちつつも悩む平介。最初は自分の行動のなにが問題なのかすら気づかない。だが周囲との関係を振り返ることで「ああ、そういうことか」と自覚していき、そして得た結論は「このままでいいのでは」というものである。悩む平介と並行して海藤は崩壊していく。自分が理想とする積極的な人物像を平介に押し付けることで、彼を見下していたということに気づいたり、自分が考えていた以外にも友情や信頼関係にはいろいろな形態が存在することを知ってしまうからだ。

『flat』が提示するのは積極的に他人に働きかける外向型人間と、一人での熟考を好む内向型人間だけでは定義づけられない個性をもった人間がいるという視点である。それは社交的な振る舞いをとったり沈思黙考したりするのではなく、自覚なく周囲の人を惹き付ける性質を持っている存在だ。そうした人は外向型、内向型双方が周囲にいたとしても、それぞれに偏見を持ったり優劣をつけたりするような判断はせず、どちらのタイプも受容することができる。

社会学者アーヴィン・ゴフマンはこうした性質を持った人を「オープン・パーソン」と呼んだ。皆さんの周りに、よく道を聞かれる人、すぐに子供が懐く人は居ないだろうか。そういった人に共通するのは相手に警戒心を抱かせず、話しかけやすいオーラを放っていることである。例えばイヌを散歩させている人、幼児や老人などは人から気軽に話しかけられやすいオープン・パーソンだとされている。

平介は一見、消極的で無気力な存在のように思われる。だが、彼が無自覚に持っているのは、周りに人を集め、気兼ねないやり取りを成立させるオープン・パーソン的性質なのだ。外向型人間、内向型人間それぞれの能力を高める方策はビジネスの現場において非常に重要なことで、それによるメリットもわかりやすい。だが、クリエイティビティを高めるために人間の性質を二分し、それぞれに処方箋を出す一方で、多様な人々が協働する組織において欠かせないのは、まったく性質の違う人の間を取り持ち、潤滑油やハブの役割を果たす平介のような人物なのである。

現代のビジネスシーンにおいては内向型-外向型問わず、常にクリエイティブに、前向きになることが求められる。しかし、それだけが個人の価値や存在意義を決める軸ではない。そう、平介のような存在をその条件だけで排してしまっては組織が上手く機能しないのだ。

『flat』はそんな二者択一の行き詰まりをやんわりと否定する、“平熱感”の重要性を教えてくれる作品だといえるだろう。

関連サイト
アヴァルスオンライン

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

「与えられなかったもの」の処世

大学生の就職活動が本格化し、景気の回復期待で転職も活発になっている。多くの人が自分の好きな分野で才能を発揮してお金を稼げればと思っているだろう。だが、必ずしも自分の好きなことに関する才能を持ち、それでお金をもらえるようになるとは限らないのが現実だ。自分の進みたい分野に才能がないとわかったとき人はどうするのかーーこんな問いを考えさせてくれるのが、画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟、テオドルスの兄弟を描く穂積の『さよならソルシエ』(全2巻、小学館)だ。主人公の姿を通じて、読者は自らの抱える心の闇を垣間見るのだ。

『さよならソルシエ』は「月刊フラワーズ」で連載され、11月上旬に最終巻が発売されたところ。「ひまわり」など後生に残る作品を描きながらも生前には評価されなかったとされるヴィンセント・ヴァン・ゴッホとのその弟、テオドルス・ヴァン・ゴッホの二人の人生を、『式の前日』で注目を集めた穂積がやわらかな線で描いている。

史実にフィクションを織り交ぜるというのはマンガの常套手段だ。だが穂積氏は「史実」を大胆に解釈し、兄弟二人ーー「絵を描く」という才能を与えられたものと、与えられなかったもの――が愛憎入り交じる思いを抱えていたのではないか、と読者に示してみせた。

しかも作者が主人公にしたのは、弟のテオドルスだ。彼は作品中、「画家になりたくてなれなかったもの」と描かれる。しかも近くで自分より才能にあふれた兄をみてしまったがゆえに、だ。19世紀のパリを舞台に、様々な画家が新しい表現対象に挑戦し、新しい芸術が花開こうとする前向きな空気に全体があふれているからこそ、「与えられなかったもの」の闇は濃く描かれる。黙々と絵を描くヴィンセントに、努力をしても追いつけないーーテオドルスが画商として実績をあげるほど、ヴィンセントとの断絶は大きく見えてくる。

人は少なからず、才能あるものーー特に自分がほしかった才能をもつ人ーーに嫉妬と憧れという矛盾する感情を持つ。スポーツやアート分野で、トレーニングをした人の全員がプロになれるわけではない。一般企業に就職する人も、全員が希望の会社や職種、配属先にいけるわけではない。才能がなくてその道をあきらめたあとも、才能あるものが活躍していたり、逆に才能を発揮しきれていなかったりすると、「なぜ自分ではないのか」という想いと闇が心の中に芽生える。

しかし現実ではその嫉妬心や心の闇とうまくつきあい、別の分野で能力を発揮していくものだ。これは心理学的には「昇華」とよばれるプロセスで、作品の中でもテオドルスは、周囲を魔法のようにまきこみ、見事な手法で兄のヴィンセントを売り出していく。画家になりたかったという思いを抱えつつ、画廊で絵を売ることで才能ある人たちの後押しをするところに自分の居場所を見つけている。才能ある人を憎んでしまうところ、うまく居場所を作ることで昇華したのではないだろうか。

現実社会でも迷いと後悔、そして「与えられたもの」への嫉妬を抱えながら日々を過ごす人のほうが圧倒的に多い。だが自分の才能のなさをほかの人にぶつけていないか、別に努力できる分野はないか、自分の才能はどこにあるのかーーこの作品を読むことで、読者は自分の進む道を考えるきっかけになるのではないだろうか。

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。

日本人よ、もっとマンガを知れ:ガイマン賞に迫る

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2012年度の文化庁メディア芸術祭・マンガ部門は、大賞に海外の作品が初めて選ばれたことで話題となった。受賞作は、フランス・ベルギー地域のコミック“バンド・デシネ”のひとつ『闇の国々』(原作:ブノワ・ペータース/作画:フランソワ・スクイテン)。1ページを1週間かけて描いたという緻密な画は、マンガというよりもまるで美術作品のよう。いわゆる“マンガ”に慣れ親しんでいる私たち日本人がもつマンガの概念を覆すものだった。

そもそもマンガとは? 世界のマンガってどんなものだろう? 私たちが普段何気なく読んでいるマンガは、実はとっても一部のものなのかもしれない…… このように自分の“マンガの世界”を広げてくれるのが、日本以外で出版されているコミックスなのだ。今年で3回目の開催となる「ガイマン賞」は、これらの作品との幸せな出会いのきっかけになるだろう。

「ガイマン」は「外国のマンガ」という日本語を省略した造語で、「アメリカン・コミックス(アメコミ)」、フランス語圏の「バンド・デシネ」、韓国の「マンファ」など日本以外の国・地域で作られたマンガのこと。

ガイマン賞は“読者が選ぶ海外マンガの賞レース”だ。過去1年間に日本で翻訳出版されたガイマンが対象で、読んだ人は公式サイトや投票箱を通じて、感想とともに好きな作品に投票できる。人気ランキングを作ることで1年のガイマンを振り返るとともに、新たな読者の開拓・普及を目指していく。第3回目となった2013年度は、2012年10月1日〜2013年9月30日に出版されたガイマン85作品を対象に、9月14日〜11月17日の約2カ月、投票を受け付けた。

投票期間中は主催の米沢嘉博記念図書館(東京都)、京都国際マンガミュージアム(京都府)、北九州市漫画ミュージアム(福岡県)の3カ所の施設で、全作品が誰でも読めるよう展示されていた。

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主催施設のひとつ、明治大学が運営する米沢嘉博記念図書館

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米沢嘉博記念図書館の2階の閲覧室に会場に並んだ2013年度のガイマン賞ノミネート作品。いくつご存じだろうか?

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米沢嘉博記念図書館の2階の閲覧室では「ガイマン賞」に投票もできる

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ノミネートされたバンド・デシネ作品。美術書のような装丁が日本のマンガとは違った雰囲気を漂わせる

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アメコミの一群。映画でおなじみのスーパーヒーローたちは、にわかに心躍らせてくれる存在だ

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韓国の教育マンガ『かがくるBOOK—科学漫画サバイバルシリーズ』もノミネートしている

「日本であまり知られていないガイマンの魅力を広く知ってもらおうとスタートしました」と話すのは創設者のミソトミツエさん。初開催の2011年はWebサイトだけで投票とレビューを募り、「この海外マンガがすごい!2011」としてまとめた。2012年からはマンガ施設と共同開催する「ガイマン賞」にスケールアップし、実際に人々が作品を読める現在の形になった。

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こちらは2012年度のベスト3作品

ガイマンを気軽にまとめて読める場所の意味は大きい。「日本でも最近ガイマンが徐々に翻訳出版されてきているものの、日本のマンガに比べ高価格の上、販売店舗も限られており、ビニールで包装されていて試し読みもできない場合が多い。読者にとっては手が出しにくい環境になっています。ガイマンに興味を持った方が参考にできるランキングやレビューといったガイドと、賞を通じて実際に作品が読める機会を提供できればと思いました」(ミソトさん)

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米沢嘉博記念図書館の1階は展示室。この取材を行った11月上旬には、相田裕さんの作品『GUNSLINGER GIRL』の企画展が行われていた(2014年1月25日まで開催)

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マンガ・アニメ・ゲームなどサブカルチャーの資料を推計14万冊以上所蔵する同館はマンガ愛好家からの注目度が高いため、共同開催になることで賞の存在が認知されやすいなど相乗効果は大きい

ガイマン賞に関連し、投票箱を設置した各会場ではガイマンに関わる作家や編集者、翻訳者などを招いたイベントも定期的に実施。2013年11月2日には米沢嘉博記念図書館でトークイベント「ケン・ニイムラと担当編集者が語る『I KILL GIANTS』とマンガとガイマン」が行われた。

登壇者は漫画家のケン・ニイムラさんと小学館『IKKI』編集者・豊田夢太郎さん。司会はバンド・デシネ翻訳者の原正人さんが務めた。

ご自身もガイマンが好きだという豊田さん。トークショーではニイムラさんが作画したコミック『I KILL GIANTS』(原作:ジョー・ケリー、訳:柳亨英)と出会い、2012年末にIKKIコミックスとして翻訳出版するまでの苦労と喜びを語った。

『I KILL GIANTS』は、ニイムラさんがアメリカの原作者から依頼を受けて制作したワールドワイドな作品だ。2008〜2009年に全米でオルタナティブコミックとして刊行され話題になり、2012年初頭に外務省主催の第5回国際漫画賞で最優秀賞受賞を獲得。6カ国語に翻訳されている。内容は、自分は選ばれし<巨人殺し>だと思い込む妄想少女が孤独などの苦境を乗り越えるというもの。日本風にいいかえれば「中二病女子の成長物語」だ。

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『I KILL GIANTS』。ガイマン賞2013のノミネート作品でもある

ただこの作品は、物語がおもしろいだけではない。その魅力的なビジュアルにも大きな反響が寄せられているのだ。

翻訳版を担当編集した豊田さんは「ニイムラさんから初めて見せてもらった作品の表紙にひとめぼれした」と話す。家に置いておきたくなるセンスあふれる風格に「やられた!」と、その場で日本での出版をオファー。前からニイムラさんのようなキャッチーでキュート、そしてカッコイイ絵柄を描ける人を求めていたこと、ガイマンはオールカラー作品が多い中、同作は日本で主流のモノクロ作品だったのも大きなポイントだったという。

通常、翻訳作業は翻訳者がその意味を解釈しながら(時に、そこにとても苦心しながら)進められる。だが、今回はニイムラさんが日本にいるということで、「この意味は?」と一つ一つ確認しながら進めたという。

制作過程では異例づくしの工程がいくつもあった。 物語には日本にはないものが登場する。例えば『I KILL GIANTS』冒頭の授業風景。アメリカの学校では、その職業の魅力を語るという授業があり、外部から人を招いて話をしてもらうのだそうだ。日本の学校ではこうした授業はないので、一読しただけでは一体何が行われているのかわからない。まずは日本の読者が読みやすいようこうしたポイントをわかりやすくする作業が必要だった。日本語にすることで文字数が多くなるため、フキダシも大きくしている。

作り手と翻訳者が直にやりとりしたこともあり、翻訳の精度が高く、一方で日本の読者も読みやすい日本版『I KILL GIANTS』が完成。「アメリカの作品が見事な日本仕様になって……もう、小躍りして喜びましたね」と、ニイムラさんは顔をほころばせた。

国境を越え色々な作家のマンガが並んだ雑誌づくりを見据え、「海外の作家が日本で作品を生み出せる環境づくりが進めばいいと思う」と豊田さん。トークイベントを締めくくったこの言葉が実現すれば、一体どんな風になるのだろうか?漫画家も編集者も読者も、これから読者になる人も、この未来予想図にきっとわくわくするはずだ。

これまで知らなかった制作方法や表現スタイルをガイマンから見つけるたび、「自分の知っていたマンガは、狭かった!」という気持ちのいい驚きがあった。ガイマン賞が盛り上がることでマンガの可能性の面白さと驚きに、幾度となく出会えるに違いない。(TAKAHIRO KUROKI)

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投票箱や専用サイトには、多くの読者の感想が寄せられた

「虚親化」という、現代の新たな現象をめぐって

レンタル友達、レンタル恋人、レンタル家族。以前なら「レンタルする対象じゃないだろう」という反応が大半だったこうしたサービスに対し、私たちの心理的なハードルは下がりつつある。違和感を覚えながらもどこかでそれらが存在することを許容しているのだ。このようなサービスが成立する背景には、日常生活を送る中で発生する周囲とのつながりから、面倒くささを引きはがし、メリットだけを取り出そうという意図がある。

一方、マンガにおいてこうしたサービスと真逆の世界を提示しているのが、本来成立しないところに面倒くささを多分に含む親密な関係が発生する「虚親化(きょしんか)」を扱う作品群だ。これらのマンガの特徴はまったく関係のなかった人物同士が、ある出来事やルールによってあたかも恋人や家族のような役割を演じ出すところだ。奥山ぷく『Baby, ココロのママに!』(ほるぷ出版、WEBコミック「コミックポラリス」連載)もそんな作品の一つである。

主人公・路地静流(ろじしずる)は恋愛経験もない大学生。憧れの女性・奈々への接近をいかにさりげなく演出するか悶々とし、想いをショートポエムに綴ってしまうほど他者との関係づくりが苦手な性格だ。そんな静流がいきなり公園で幼児・米田(まいだ)にしがみつかれ「ママ」と呼ばれる。どんなに振り払ってもついてくる米田。だが、仕方なく米田の相手をするうちに、彼女が奈々の親戚だということがわかったり、彼女が通う保育園のイベントを通して園児と親しくなったりと、気づけば彼の周りにたくさんの関係が立ち上がっていく。しかし、こうした展開の中で、当然発生するはずの育児による負担や人間関係の面倒くささは不思議と読者に伝わってこないのだ。

確かに作中で静流はもがき、面倒くささと戦っている。それなのに、その姿勢が本人も知らないところでプラスの効果を生み出してしまい、ストレートに読者に届かない。奈々に近づこうとあたふたする静流を見て友人は彼を「面白いヤツ」認定する。真剣な彼の行動はその不器用さから周囲に「面白い」と受け止められてしまう。同様に米田に絡まれる度に、いやいやながら相手をする静流の姿を見た奈々は彼の背中に父性を見出し、あわや告白というシチュエーションにまで至る。思わぬところで面倒くささに変異が起こり、静流と周囲との距離が近づくことでそれぞれの感情が変化していくのである。

一人であれば気を遣わなくていいことも、友達がいると衝突や離反などの面倒くささが発生する。恋愛となると嫉妬や独占欲が生まれてさらに束縛が強化される。結婚は特定の相手と添い遂げる責任を引き受ける契約であり、さらにその先には子育てという未知の世界が待っている。当然これらには負の面だけが存在するわけではないが、人間関係が深化し、課される責任が増加してくるに伴い面倒くささのレベルもエスカレートしていくはずだ。子育てを扱う東村アキコ『ママはテンパリスト』(集英社、愛蔵版コミックス)や二ノ宮知子『おにぎり通信』(集英社、「You」連載)において、秀逸なコメディーが繰り広げられる隙間から滲み出してくるのはそうした現実である。

そんな中『Baby, ココロのママに!』のような「虚親化」を扱う作品が面倒くささを感じさせないのは、その世界が完全なフィクションだという安心感があるからだろう。読者は、いきなり自分に子供のような存在が現れたり、魅力的な異性がアプローチして来たり、豊かなコミュニティに受容されるとったイベントは起こりえないと信じている。だからこそ気楽に作品を味わえるのだ。

だが、本当にそうだろうか。実は静流が巻き込まれるような面倒くささは完全にフィクションとして私たちから切り離されているわけではない。というのも世の中のリアルな関係の大半は計画的に発生しないからだ。友人はちょっとした会話から意気投合してできてしまうし、恋愛も意中の相手以外からアプローチされて始まることがある。結婚は成り行きで決まったりするし、計画外に子供ができることも珍しくない。

このようにフィクションと信じきっていた世界と実生活との間に想定外の接点が生じる原因は、本作品に描かれている面倒くささの変異であり、さらに引けば関係の先にある相手や周囲の反応の不確かさにある。負担を引き受け、苦労している、もがいている人の姿がそのままネガティブに相手に伝わるわけではない。それらが相手によって頑張っている、粘り強い、親切だというプラス評価に変異し、受けとめられることで互いの間に親近感や愛情が生まれるのだ。

レンタル○○は親密なつながりに含まれる面倒くささを分離し、楽しさやにぎやかさ、暇つぶしといった効果だけを残すことで経済性に優れた関係を提供する。品質が保証されているので利用者は確実に自分が希望したサービスを受けることが可能だ。対してリアルに継続し、深化していく他人との関係、家族との関係にはそもそも品質という概念が存在せず、多くの面倒くささが伴う。しかし、そこには計画的に進められず、品質が保証されていないからこそ負担が突然プラスに変異し、意外な結果が得られる可能性が生じるのである。私たちがレンタル○○と聞いて覚える違和感は、他者との関係に経済性を求める態度に対する疑いであり、偶然性に対する期待でもあるのだ。

安心感を持って読み進める読者に対し、非経済的な関係とそこから生まれる偶然性の価値を忘れさせないための密かな裏切を演じる。それが「虚親化」マンガの役割なのである。

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編

10月20日(日)、「マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編」が開催されました。イベント当日はあいにくの空模様でしたが、それにもかかわらずたくさんの方が駆けつけてくれました。

会場は、早稲田大学近くの「Le Cafe RETRO(ル・カフェ・レトロ)」。学生街の中にある落ち着いた雰囲気のカフェです。ちなみに昨年の秋もここで読書会が開催されました。

今回は場所にふさわしい、「学び」がテーマです。参加者の皆さんには、読んで知識を得たり、感銘を受けたりしたマンガを持参してもらいました。そして「生き様」「暮らし」「お仕事」「愛」の4つのキーワードから一つを選んでもらい、チーム分けをしました。

18時30分、代表の山内の挨拶で読書会開始となりました。まずは各チームで自己紹介とマンガの紹介をします。それぞれ人数は6名程度で、どこも男女半々くらいとなりとてもバランスの良い印象を受けました。

全体1全体2

自己紹介が終わるといよいよ、マンガリーディングタイムに入ります。この時間の皆さんの集中ぶりは凄いものがあり、その真剣さと熱い静けさに店員の方も驚いていました。

約1時間後、マンガの回し読みを終えた所で、今度は発表用のオススメ作品を選んでいきます。たくさんのマンガの中からどれが選ばれるのか? 今回も名作ぞろいなのでドキドキします。

各グループの準備が整った所で、いよいよ結果が発表されます。まずは「暮らし」チーム。終始和やかなムードを漂わせていました。

暮らし1暮らし2

「暮らし」チームでは、独特の世界観を持つマンガ「アタゴオル」で幼児性の大切さを学んだ、「最強伝説 黒沢」の主人公の気の使い方が反面教師になった、という意見が出ました。「イエスタデイをうたって」は日常の中で積み重ねられる心の動きがよく描かれていると発表されていました。どれも全くタイプの違う作品で、暮らしの形も様々、そこから学び取ることも多様であることがよくわかりました。

次に「お仕事」チーム。ここではタブレットでマンガを読んでいて、時代は進んだなあとしみじみさせられました。
お仕事1
女性社員の日常を描いた「Good Job」はリアルなショムニのようで、女性社員の本音が知りたい男性社員にもおすすめとのことでした。「BLACK JACK」はブラックジャックが何のために高額な料金を取りお金を稼ぐか、その理由が明かされるエピソードにじんと来たとのことです。発表では取り上げられませんでしたが、「最強伝説 黒沢」がラインナップに入っており、福本伸行氏の作品の人気の強さがうかがえました。

続いて「愛」チーム。一番ノリが良く、楽しそうに談笑していました。
愛2
「JIN‐仁‐」のマンガ家村上もとか氏が40代の10数年をかけて描いた「龍‐RON‐」、ボクサーの鷹村と鴨川会長の師弟愛が泣ける「はじめの一歩」など、強く濃い「愛」が皆さんの関心を引いたようです。そしてまたもや福本作品が入りました。今度は「天」です。こちらは麻雀マンガなのに最後の3巻は説教ばかり続くという驚きの内容です。これも作者の愛のかたちなのかもしれませんね。

最後は「生き様」チーム。「生き様」は一番人気のテーマでした。

生き様1生き様2

まずは吾妻ひでお氏の「失踪日記」と「失踪日記2アル中病棟」。過去の経験を笑わせながら語れる作者に感動したそうです。これこそまさに生き様が表れているマンガといえるでしょう。そして松本大洋氏の「鉄コン筋クリート」と「ピンポン」。こちらは性格が正反対の人と付き合うことで、新しい世界が開かれる可能性を教えてくれる作品です。

小さなことから大きなことまで、マンガは本当に大切なことを、色々な表現で伝えてくれます。そのありがたさと、楽しさを改めて感じる日となりました。この後、代表の締めの挨拶があり、恒例の集合写真を撮って第1部は終了しました。

集合
続いて第2部は懇親会です。RETRO名物のオムライスなどをいただきながら、皆さんマンガの話で盛り上がっていました。今回はマンガをイメージした「マンガカクテル」もあり、その見た目や味でも楽しませてもらいました。

現役書店員カズノコ氏のブース「カズノコGX オススメマンガコーナー」も旬の新作マンガを取り揃えていて、大変好評でした。残念ながら本人は会場入りできませんでしたが、カズノコ氏のマンガ愛は伝わったのではないでしょうか。

kazunokoGX
今回ご参加いただいた皆さん、そして「Le Cafe RETRO」のスタッフの方々、どうもありがとうございました。次回、また冬にお会いいたしましょう!(EK)

キハラ×マンガナイト「MANGA RACK」

もっと図書館にマンガを。みんなで気楽にマンガを楽しめる「ちょこっとマンガ棚」登場

キハラ×マンガナイトのコラボレーション商品レーベル「MANGA RACK」が、第15回図書館総合展で発表されました
「MANGA RACK」は棚の側面やPOPプレートにマンガナイトオリジナルデザインを施したマンガ専用書架です。
この棚の前に集う人同士が好きなマンガについて語り合ったり、みんなでマンガをオススメしあったりするような、
コミュニケーションが生まれることを願って、この棚をプロデュースしました。
マンガ特有の表現をモチーフにしたデザインとなっているので、どのマンガで使われている表現なのか、探してみると楽しいかもしれません。
図書館をより身近に感じてもらうきっかけづくりにぜひ、お役立てください。

「マンガラック01」(近日発売予定)

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マンガのサイズに適したマンガ用の稼働式本棚(小型のブックトラック)です。
親子や友人同士でのコミュニケーションが生まれるよう、古今東西のマンガの背景表現をモチーフにしたデザインを、書架の量側面に施しています。
施設や場でのマンガコーナーの導入に最適です。

「マンガラック02」(近日発売予定・試作品)

1378469_583593155022110_133559325_nマンガ用の卓上本棚です。
「うなった。」や「泣いた。」「笑った。」などのカードをはめ込むことで、読者が新たなマンガを手に取りやすいようにしています。
お手軽にPOPと同様の効果を得られるようなカードも開発予定です。

マンガの未来と過去をつなぐ場所「立川まんがぱーく」

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マンガというのはフローコンテンツである。新刊書店に最新の雑誌や単行本がどんどん並べられ、話題になる作品が入れ替わる一方、旧作や読み切り作品を手にできる機会は少ない。この中で、特に未来の読者になりうる子どもたちが過去の名作と巡り会う場所を提供しようとしているのが、「立川まんがぱーく」だ。

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「立川まんがぱーく」は、立川市子ども未来センター2Fに位置する

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のらくろが入口でお出迎え

幅広い年代の作品を、「畳に寝転んで」「押し入れの中」など、日本の住宅での「マンガ読み」を疑似体験しながらマンガを楽しめる空間になっている。

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土日は子どもたちで賑わっている

立川まんがぱーくは2013年3月、旧市役所跡地の改装した立川市子ども未来センターの一角にオープンした。立川まんがぱーくの福士真人館長は「近年のマンガのジャンルは多様で、子ども達そして大人にとっても娯楽という枠を超えて学びを得ることができ、交流もできる。子育て施設が近くにあるこの場所にまんがぱーくがあることは、子ども達の未来に良い影響を与えることができる」と話す。

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まんがコーナー

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絵本コーナーも設置

立川まんがぱーくは3万冊の作品を所蔵。手塚治虫氏「BLACK JACK」から尾田栄一郎氏「ONE PIECE」まで幅広い出版社や年代の作品が棚に並ぶ。400円(子ども200円)の入館料を払った利用者は、自由にマンガを選び、部屋の中やバルコニーで読むことができる。

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バルコニー席

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室内空間

カフェ・コーナーでの軽食販売もあり、「ちょっとお菓子を食べながらマンガを読む」なんていうこともできてしまうのだ。

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カフェ・コーナーでは大人向けにアルコール販売もしている

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館内の作りもユニークだ。まんがぱーくは壁やドアなどの内装がほぼすべて木造、床は畳敷きだ。そして「ドラえもん」などに登場する「押し入れの中」が再現されている。福士館長は「畳敷きは昭和の民家をイメージしている。家族や友人と、家でリラックスしてマンガを読んでいるかのような環境を目指した」と話す。

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押し入れ風の半個室

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畳を基調にしている

この中で入館者は、畳に寝ころんだり押し入れの中に入ったりしてマンガを読むことができる。日本人が普段どのようにマンガを楽しんでいるのか(または読みたいと思っているのか)が再現されているのだ。

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押し入れ風の半個室でマンガを楽しむ方々

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増設された大人サイズの半個室

立川まんがぱーくが演出するのはマンガと人の出会いだけではない。人と人のつながりも生まれ始めている。7~8月には子どもたちを対象とした「まんがの描き方」教室も開かれ、参加した子どもたちはみごと作品を冊子の形にまとめた。ともすれば受け身になりがちなマンガ体験。あえて描き方教室を開催することで、子どもたちはマンガを描く側に回り、いつもと違った視点を持つことができる。

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「まんがの描き方教室」は全5回で開催された

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プロ漫画家からマンガの描き方を学ぶ子ども達

もちろん立川まんがぱーくを楽しめるのは子ども世代だけではない。 長年マンガを読んできた大人世代にとっては、子どもの頃楽しんだマンガと再会する場。同じ出版社の作品や少年向けの作品などで今の子どもが読んでいるマンガと比べてみるのもいいだろう。子供を持つ親世代なら、子育てマンガや料理マンガを手にしてみるのもいい。幅広い世代が、いろいろな楽しみ方のできるところなのだ。

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学習マンガの所蔵料は随一「受験・教科」棚

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「科学・技術・産業」棚

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往年のファンも楽しめる「のらくろコーナー」

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マンガ通好みのマンガが並ぶ「マンガナイトコーナー」

立川まんがぱーくには今年の夏休み、多くの親子連れが訪れた。今後、立川まんがぱーくがどんなマンガと人の出会いを実現させるのか。期待は大きい。(bookish)

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「まんがぱーく大市」というフリーマーケットも定期的に開催

トークイベント『「やさセカtwitter総選挙」総ざらい〜twitterとマンガ最前線〜』

2013年11月8日(金)20:00〜22:00本屋B&Bにてトークイベント『「やさセカtwitter総選挙」総ざらい〜twitterとマンガ最前線〜』を開催します。
「やさしいセカイのつくりかた」人気投票の結果を編集部と振り返りつつ、後半はtwitter上の年間マンガランキング「#俺マン」を主宰したネルヤ編集部も交え、twitterとマンガのこれからについて議論します。

詳細、参加は本屋B&Bイベントページからご確認のうえお申し込みください。

トークイベント「SFマンガナイト」

本屋B&B

2013年10月27日(日)15:30〜17:30本屋B&Bにてトークイベント「SFマンガナイト」をN会とコラボ開催します。デジタルゲームの人工知能研究者、超ひも理論専門の教授、ニュートン編集部、といった方々とSFマンガについて語り合います。

詳細、参加は本屋B&Bイベントページからご確認のうえお申し込みください。