DOTPLACEにコラム「マンガとの出会いが変わる」がアップされました。
オリンピックと併走する日本の現実
深夜の発表にも関わらず、多くの人がその瞬間に関心を寄せ、TwitterやFacebookには次々と歓喜の声が書き込まれた。行く末のわからないことがあふれる現代で7年後に催される世界的イベントが決まる。その事実は大会の内容そのものよりも私たちを安心させるには十分だった。
このニュースは、前回の東京大会がそうであったかのごとく高度経済成長再来の夢を見させる。しかし、私たちはこうした華々しい話題と並行して起きる絶望的な状況にも薄々気づきつつある。それは、国土の荒廃だ。
2年前、国土交通省が“「国土の長期展望」中間とりまとめ”として発表した資料は関係者だけでなく多くの人々に衝撃を与えた。2050年、人口が現在より増加する地域は全国の1.9%しかなく、逆に現在の半数以下に減少する地域が65%以上を占めるという事実。これを国が公表することは、国土の衰退を認めざるを得ない時期に来ていると受け止められたからだ。
発表は確かに衝撃的な内容であった。一方、深刻な予見を突きつけられながらもどこか自分の身の回りではまだそれを感じられない。ゆえにやり過ごす、未来に丸投げする、そんな他人事の受容だったようにも感じられた。しかし、2年を経て私たちの心にはいくつか思い当たる小さなしこりができ始めている。そう、この衰退は知らず知らずのうちにジワジワ浸食してくるものなのだ。
荒廃を描き出すのは予測データだけではない。鈴木みそ『限界集落温泉』(エンターブレイン)は伊豆山中の旅館を舞台に地域の衰退と向き合う人たちの姿を扱ったユニークな作品である。ゲームクリエイターの道をあきらめた主人公・溝田。廃業した温泉宿に迷い込んだ彼が、なぜか集まってきたネットアイドルやオタク達の力を借りて宿を再興、地域産業の拠点にしていくというのがそのストーリーだ。
こう書くといかにも軽薄なストーリーと萌え系の絵柄が想像されるかもしれない。しかし根底にある視線はいたって冷静である。作者の鈴木は前作『銭』(エンターブレイン)をはじめとし、徹底的な取材に基づいたリアルな世界を描くことに定評がある作家だ。多少の脚色やコミカルな表現はあるが物語の中で提示されるのは、無い袖は振れないという事実と、無いものを補うには身近な人材と知恵をフル活用するしかないという地道な解決策だ。
このような地に足の着いた解決策は2013年4月に発行された『まちづくり:デッドライン』(木下斉、広瀬郁/日経BP)のような専門書にも通じる。困難の中で荒廃にどう立ち向かうのか。町はどの程度の規模で維持可能か。地域にある資産をいかに循環させるか。厳しく言ってしまえば撤退戦にどう挑むのか。現実を踏まえながら具体的な手法を積み上げていく内容は、鈴木が『限界集落温泉』で描いたルートをなぞる。
溝田は考える。果たして自分たちが持っている有効なコマは何か。そして思いつく。ボロさ、薄気味悪さ、未開、不便がここにはある。ケータイの電波が完全に届かない環境なんて、実は都会で暮らしているとほとんど手に入らない貴重なものなのだ。
最初は自分の居場所(寄生先)を確保することだけを目的としていた溝田の関心はより広く複雑な問題へと向けられていく。一軒の宿が抱えていた問題が次第に地域の、町のそれと絡み始めるのだ。とはいえ、溝田が聖人君子や敏腕経営者といった雰囲気では無く胡散臭いペテン師のように描かれていたり、単なるサクセスストーリーとして終わらないのは、この物語を現実と完全に乖離した虚構にしたくないという意図の現れであろう。
無論、現在進行形で真剣に地域おこし、町おこしに携わっている人からすると「こんなに簡単にはいかない」といった意見や、自分達の地道な活動をマンガが面白おかしく描くことに抵抗もあるだろう。しかし、作品を完全に否定できず、なにか共感を覚える箇所があるとすれば、それはジワジワ迫ってくる荒廃に対し、巨額の補助金を獲得しようとか、新たな企業を誘致しようという大文字の方策でなく、自分達のできる範囲で知恵を絞り、自走するモデルを目指す姿が描かれているからだろう。この作品はそうした理想を描き努力を重ねている人たちの心にこそ響くのである。
オリンピック開催が決まり、高揚する雰囲気に水を差すつもりは全くない。いや、それが決まったからこそ私たちは7年後、この国がどうなっているかという現実と真剣に向き合い、そこに自分を置かなければいけないのだ。きらびやかな話題の裏でジワジワ迫り来る荒廃は日本各地で生活のすぐ傍に現れてきている。もしこうした現実から逃げず、最高のもてなしで各国の人々を迎えることができるなら、身の丈で振る舞う実直な日本の姿を誇りとともに発信できるはず…。私はそこに夢を見るのである。
【dotPlace】新連載「マンガは拡張する」のお知らせ
これからの執筆・編集・出版に携わる人のサイト「dotPlace」第一弾リニューアルにあわせて、代表 山内康裕がコラム「マンガは拡張する」を隔週で連載します。
【アニメ!アニメ!】話題の有名人もゲスト声優に、「ONE PIECE」劇場3作品の意外な裏側
アニメ!アニメ!に『話題の有名人もゲスト声優に、「ONE PIECE」劇場3作品の意外な裏側』を寄稿しました。
過去の劇場化作品のうち3作品を取り上げて、楽しみ方や見どころについて紹介しています。
本文はこちらからご覧ください。
マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編
2013年10月20日(日)に主催イベント「マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編」を開催します。 今回のイベントは、マンガナイトではお馴染の、グループでのマンガの回し読みと読んだマンガの感想の共有です。
参加のお申し込みは下記のフォームからお願いします。
今回のお題は「学び」。早稲田大学に近い会場「Le Cafe RETRO(ル・カフェ・レトロ)」に合わせたお題にしました。これまで出会ったマンガで、あなたの人生を左右したもの、今でもバイブルになっている作品はありませんか?
「このマンガで、仕事に必要な知恵が身につきました」「このキャラクターの生き方は憧れる」という作品をお持ちください。持ち寄ったマンガのエピソード、どんな学びを得たのかなどを教えてください。
会場にはメンバーお薦めマンガコーナーも用意。新しいマンガに出会えること間違いなし。あなたの次の「必携書」が待っているかも知れません。
※ 過去のイベントの様子はこちらから
最近マンガを読んでいない方から、ヘビーリーダーの方まで、マンガを介して気軽にコミュニケーションが生まれ、新しいマンガに出会えるイベントです。みなさまのご参加をお待ちしております。
概要
【マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編】
- 内容
- マンガからの学びを語り合う
- 日時
- 2013年10月20日(日)18:30(開場18:00)~21:00 ※ 21:00~懇親会
- 持ち物
- 「あなたに大事なことを教えてくれたマンガ」1冊〜数冊とお薦めポイント
- 参加料
- 2,000円(ワンドリンク・軽食付き)※ 懇親会の参加料:2,000円(1ドリンク+フード)
- 定員
- 30名(事前予約制)
- 会場
- Le Cafe RETRO東京都新宿区西早稲田2-1-18
【アニメ!アニメ!】国民的代表作『ONE PIECE』はデータで見てもスゴかった!
アニメ!アニメ!に「国民的代表作『ONE PIECE』はデータで見てもスゴかった!」を寄稿しました。ワンピースが国民的作品となった背景を、社会情勢から分析しています。また、漫画版のファンにとっての映画版ワンピースを楽しみ方について、言及もしています。本文はこちらからご覧ください。
サードプレイスとの距離を問う意外な宮廷漫画
本来サードプレイスとはファーストプレイス=自宅、セカンドプレイス=職場、以外の居場所のことだ。ある人にとってはカフェやバーであったり、またある人にとっては図書館やダンス教室であったりとその空間は人により異なる。唯一存在する条件は、自分らしさを取り戻せる居心地の良さを備えていることだろう。
こうした現代のサードプレイスを意識させるのが久世番子著『パレス・メイヂ』(白泉社/「別冊花とゆめ」連載)だ。
時代は日本の大正にあたる頃。舞台は宮廷(パレス・メイヂ)。主人公御園は美しき少女帝彰子に仕える侍従職出仕である。彼の仕事は帝の生活の空間である「奥御座所」と執務の空間「表御座所」をつなぐ渡御廊下を行き来し、物や情報を受け渡すことだ。この廊下を行き来できるのは帝本人と成人していない数名の少年出仕たちのみ。女の空間「奥」と男の空間「表」をつなぐ廊下は帝にとっての中立地帯といえる。
彰子は先帝亡き後、幼き皇太子が元服するまでのつなぎ役として即位した。本作品の設定では帝位についた女性は結婚を許されず、終生宮殿の中で暮らすことを強いられる。しかし彰子は少女でありながらもそれを受け入れ、公務をこなし、周囲に希望を与え続ける象徴としての帝をつとめあげる。
そんな彰子にとって渡御廊下は帝としての役割から解放され、少女の自分に戻るごくわずかな時間を与えてくれるサードプレイスとなっている。そしてそこで本当の自分を引き出してくれる存在が御園なのだ。
また、御園にとっても即物的で拝金主義の兄や姉がいる自宅、それぞれのプライドと守備範囲を固めようと懸命になる「奥」や「表」から切り離なされた廊下は、彰子を想い、真摯に意見を言える大切なサードプレイスとなっている。
ただ、この作品は、サードプレイスでの2人のやりとりを描くだけでなく、さらに深く居場所としてのサードプレイスについて考えさせる内容に展開する。
彰子は帝として宮殿という籠に閉じ込められている一方で、自分が「寵愛」という形を用いて誰かを閉じ込めることができると知る。そうすれば御園が成人したとしても自らの傍に置くことが可能だ。だが、彰子はそれを選ばない。自分を解き放つために御園の存在を求めることは、即ち彼を束縛することに他ならない。彼女は自由がきかない立場だからこそ他人の自由を奪うことを嫌うのだ。
苦慮の上、御園に暇を出す彰子。しかし、彼は力強く告げる。
「私は籠の鳥にはなるつもりはありません! 陛下のお側で陛下が少しでも楽しくお過ごしになれるような籠になりとうございます!」
これはたとえ彰子が退位し、廊下を渡ることが無くなろうとも自分がそのかわりとなり、サードプレイスとして彼女が本当の自分に戻れる場所になり続けようという強い意志の現れだ。
この言葉は私たちを「サードプレイスはただ与えられるだけのものか」という問いと直面させる。私たちは自宅と職場の往復の中で、自分自身を解放する場所、時間を十分作れているだろうか。そして自分の言葉で考え、身の丈で語れているだろうか。さらにそうした自分自身の渇望、充足とともに、自身が誰かのサードプレイスになれているだろうか――このような省察がここから立ち上がる。そう、サードプレイスとは私たち自身が獲得し、再生産していくべき存在なのである。
『パレス・メイヂ』は単に宮殿における少女帝の恋愛やしきたりを描くだけではなく、その深部で「自分の居場所」を探し求めている現代人に対し、様々な示唆を与える重層的な作品になっている。果たして私たちは彰子や御園のように聡明な振る舞いができるだろうか。
関連リンク
花とゆめonline(よみきり・最新話)
マンガ→アートの原点を探る旅
世界に誇る日本のアートのひとつになったマンガ―なぜこの大衆文化はアートにまで昇華され、日本を代表する表現形式となったのか。その答えを教えてくれるのが東京都現代美術館で9月上旬まで開催された特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」だ。
この展示では、手塚治虫・石ノ森章太郎両氏を、「時代の流れ」という縦の線と「マンガ家同士のつながり」という横の線でつなぎ、マンガという大衆文化がアートになり、その領域を広げていく過程がわかる。多くの人は彼らが作品を見ると「どこかで見たことがある」という感覚におそわれるが、それほど彼らの作り上げた表現方法は、国内外で人々の感覚や生き方に浸透しているのだ。
「マンガのちから」はは9月8日まで東京都現代美術館で開催。11月から来年春にかけて大阪歴史博物館や宮城県美術館など全国4カ所を巡回する。
“マンガの神様”手塚治虫氏と“マンガの王様”石ノ森章太郎氏。この2人はそれぞれ個人の記念館があるほど実績があり、仰ぐべき存在だ。なぜ今彼らを同時に取り上げて展示をする必要があるのだろうか? ――それはこの2人とその仲間たちで今のマンガ表現の基礎が作られたからだ。
主催のNHKプロモーションの鈴木俊二展博事業部担当部長は「2人は現在のマンガにつながるマンガ表現そのものを作ったクリエイター。その後に続いた人たちが発展させたことでマンガは社会に根付いた」と話す。普段はアート作品の展示が中心に東京都現代美術館という場所で、両氏の作品を現代アート、ポップアートの文脈でとらえ直すという狙いもある。
展示された原画や作品も、2人の関係性のわかる作品が中心だ。手塚プロダクションや石森プロが、2人のつながりなどがわかる作品を選りすぐった。高校生だった石ノ森氏が臨時アシスタントとして手伝ったという、手塚氏の『鉄腕アトム』の原画など興味深い展示が多い。これらはプロローグと4つのパートにまとめられ、順に見ていくと日本経済が成長する中で、マンガの表現方法や領域がどのように進化していったかがわかる。
第1部「ふたりの出会い マンガ誕生」は両氏の出会い編。一足早くマンガ家として活躍していた手塚氏と、宮城県で同人誌『墨汁一滴』を主催していた石ノ森氏。石ノ森氏は当時のマンガ雑誌『漫画少年』への投稿を通じて、その才能を手塚氏らに認められていたようだ。
高校生の石ノ森氏が臨時アシスタントとして手塚氏の原稿を手伝ったエピソードも
第2部「爆発するマンガ 時代への挑戦」は、手塚・石ノ森両氏が日本経済の発展とともに、月刊誌から週刊誌、さらにはテレビ雑誌や学年誌と活躍の場を広げていった時代をまとめた。1964年の東京オリンピックをきっかけに家庭用テレビが普及したことで、テレビアニメの時代が到来。『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『サイボーグ009』などマンガのアニメ化による「メディアミックス」がスタート。鉄腕アトムの制作費を確保するために、おもちゃメーカーなどに版権を付与し始めたこともわかる。
『鉄腕アトム』はアニメ化、キャラクター商品化とメディアミックスの先駆けだった
マンガ家が子ども向けテレビ番組のオリジナル設定・ストーリーを本格的に作り始めたのも石ノ森氏の『仮面ライダー』の頃からだといわれている。石ノ森氏案の段階で、戦隊物の色分けがすでに行われていた。
第1部、第2部で蓄積された作品は、第3部の「“ちから”の本質対決」につながる。「いのち」「戦争と平和」「女性観」などテーマにあわせてそれぞれのマンガ家の作品から象徴的なシーンを選び、壁やカプセル内に展示。「2人の作品を知らない人でも楽しめるよう、それぞれのマンガ家の特徴的な表現やストーリーを抽出した」(NHKプロモーションの鈴木氏)という。それぞれのテーマの作品を見ながら、描き方の違いや共通点を考えてみるのも面白い。
「科学」というテーマで両氏の作品から象徴的なシーンを選んで展示
これらの展示を通じてわかるのは、現代のマンガ表現方法や産業の基礎がほぼ彼ら2人とその仲間たちによって作られたということだ。彼らはそれまでのマンガ表現を元に、映画や舞台などマンガ以外の分野から表現方法を取り入れていった。擬音の描き文字、モブシーン、陰影、クローズアップ、大胆な構図…現代のストーリーマンガで一般的に使われる表現方法の多くは手塚氏らが黎明期のマンガで挑戦したものだ。
それは「グッズ付特別版単行本」「キャラクター商品」などマンガ産業・メディアミックスの展開でも同様だ。ビデオソフトやゲームソフトなど新たなメディアの立ち上がりも後押しした。
石ノ森章太郎氏の「佐武と市捕物控」ではグッズセットの豪華版がすでに発売されていた
マンガ家同士も、お互いの作品や描き方を強く意識していた。年代順に原画を見ていくと、石ノ森氏の初期の作品は、手塚氏の絵の線の感じに似ているが、徐々に独自の線の書きぶりになっていくことがわかる。
「古事記 マンガ日本の古典」のころの絵柄。すでに石ノ森スタイルになっている
だマンガへの姿勢は2人の間で微妙な差があったようにも思える。常に先導者としての自覚のあった手塚氏と、その手塚氏の切り開いた道の中で自由に振る舞えた石ノ森氏。「マンガという文化を世の中に認めさせたかった手塚氏にとって自分に追従してくる後継者はライバル。一方で石ノ森氏はとことん楽しんで描いていたのでは」(NHKプロモーションの鈴木氏)。
もう一つわかるのは、当時のマンガ家がいかに当時の大きな娯楽であった映画やクラシック音楽に傾倒していたかということだ。『アパッチ砦』『我等の生涯の最良の年』――第1部では第2次世界大戦後に日本で公開されたアメリカ映画の白黒映像が流れる。会場内に再現された、「トキワ荘」内の石ノ森氏の部屋の床には無数のレコードが積み上がり、8ミリカメラも展示されている。石ノ森氏はテレビ『仮面ライダー』シリーズで監督を務めたこともある。
トキワ荘内の石ノ森氏の部屋の再現。レコードがつみあがっている
もちろん手塚氏の取り入れた映画的表現も解説されている。手塚氏は「戦争で子どもの娯楽が少なくなったなかで、子どもが手にできる紙媒体に映画の面白さをとじ込めようとしたのではないか」(NHKプロモーションの鈴木氏)。そしてその試みは、当時子どもだった人々に衝撃を与え、マンガ家の道に導いた。
トリビュート作品を取り込むことで、マンガの世界はさらに広がる
彼らの築き上げた「マンガの力」の行き着くところはどこか。それが第4部に集められたトリビュート作品だ。神様と王様が生涯描いたマンガ作品は短編・長編を含めると非常に多い。子供向けだった『鉄腕アトム』『ジャングル大帝レオ』『仮面ライダー』から青年向けの『BLACK JACK』『HOTEL』と、当時一緒に活躍していたマンガ家や若手のクリエイターは、様々な場面で手塚・石ノ森両氏の作品に触れ、影響を受けてきた。もちろんマンガ家以外のアーティストらへの影響も見逃せない。たとえば中村ケンゴ氏。彼は手塚氏が群衆シーンなどで多用してきたキャラクターの線を組み合わせることで新たな現代アートを作り上げる。福士朋子氏もコマ割りや擬音語などマンガの構造や文法を取り入れるアーティストの1人だ。
人気アイドル、桃色クローバーZが「サイボーグ009」のキャラクターに変身
個人的にはこのトリビュートのひとつに、今夏日本で公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』も加えたい。監督が直接、日本のマンガ・アニメを見たのかは確かではないが、「KAIJU」が人間社会を襲う様子、選ばれた人間がロボットともに戦うという設定、ロボットのエネルギー源が原子炉ということなど、手塚・石ノ森両氏の考え出した世界を彷彿とさせた。
こうした多様なアーティストによるトリビュート作品には石森プロ・手塚プロダクションともに乗り気だったという。そして、寄贈に近い形だったが多くのアーティストから賛同を得られた。「今、マンガ家という仕事が成立しているのは2人のおかげという思いもあったようだ」(NHKプロモーションの鈴木氏)トリビュート作品やオマージュ作品は、これまでいろいろな場面で目にすることができた。しかしオリジナル作品と同じ空間で展示されるようになったのは、マンガという文化がその領域を一段と広げたことの証左だろう。
展覧会の企画中に起きた2011年3月11日の東日本大震災も展示の方向を決めた。震災後、何ができるかを考えさせられていたところ、奮闘する宮城県石巻市にある「石ノ森萬画館」や宮城県の書店で回し読みされた週刊少年ジャンプ…とマンガの力が人々を明るくする様子を目の当たりにした。「『日本にはマンガがある』と強調するために、タイトルも『マンガのちから』にした」(NHKプロモーションの鈴木氏)
手塚・石ノ森両氏によってDNAにマンガを組み込まれた私たち。この所業はひとりの天才だけでもできなかったし、凡人だけでもできなかった。マンガ家やマンガフリークたちはいまだに手塚・石ノ森両氏の手のひらの上にいるのではないか――そんなことを思わせる展覧会だった。(bookish)
今後の開催予定
- 広島展
- 2013年11月15日~2014年1月5日
- 広島県立歴史博物館
- 大阪展
- 2014年1月5日~3月10日
- 大阪歴史博物館
- 山梨展
- 2014年3月21日~5月19日
- 山梨県立博物館
- 宮城展
- 2014年5月31日~7月27日
- 宮城県美術館
最新技術で楽しむ「藤子・F・不二雄」の世界
マンガというのは、紙など平面に描かれた二次元の世界である。読者である私たちはそれを目で見て楽しむ。だがその作品に愛着を持てば持つほど目で見るだけでない楽しみを求めるようになり、マンガはアニメ、フィギュア、舞台へと展開してきた。今後私たちは「マンガ」の世界をどう楽しむことになるのか。その一端を示しているのが、東京タワーで開催中(〜10/6)の生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」だ。目で見るだけではなく、マンガの世界が文字通り二次元を飛び出しているのだ。過去の作品と最新技術が組み合わさることで、藤子・F氏の世界の新しい楽しみ方の一端を示している。
最新技術でマンガを表現する
今回の展示の特徴は、過去の作品と先端技術の組み合わせだ。「55/80ひろば」のある屋上から階段を下りた4Fの展示フロアの最初のメーンが藤子・F氏の作品の主要キャラクターが出迎えてくれる「SF(すこしふしぎ)シアター」だ。一面は白い本棚のような壁と机。机の引き出しに吸い込まれた原稿を、キャラクターが追いかけ恐竜時代にタイムトラベル…… ストーリーはシンプルだが、次々とシーンが移り変わるのを目にすると、紙のマンガを読んだりアニメーションを見たりするのとはまた違う世界に出会った気持ちになった。特に原稿が飛んでいくときの紙のこすれる音、タイムマシンに乗っている間の風の感触。最新技術を使い五感でマンガを楽しんだ気分だった。
このシアターに使っている技術は「プロジェクションマッピング」といわれるもの。(PingMagではしめじへのプロジェクションマッピングの記事も以前紹介)今回のシアターでは、「4Dプロジェクションマッピング」を使っており、でこぼこして見える場所に本棚が投影され、そこからさらにキャラクターが飛び出してきたのだ。