オリンピックと併走する日本の現実

「第32回夏季オリンピック大会の開催地は… 東京!」

深夜の発表にも関わらず、多くの人がその瞬間に関心を寄せ、TwitterやFacebookには次々と歓喜の声が書き込まれた。行く末のわからないことがあふれる現代で7年後に催される世界的イベントが決まる。その事実は大会の内容そのものよりも私たちを安心させるには十分だった。

このニュースは、前回の東京大会がそうであったかのごとく高度経済成長再来の夢を見させる。しかし、私たちはこうした華々しい話題と並行して起きる絶望的な状況にも薄々気づきつつある。それは、国土の荒廃だ。

2年前、国土交通省が“「国土の長期展望」中間とりまとめ”として発表した資料は関係者だけでなく多くの人々に衝撃を与えた。2050年、人口が現在より増加する地域は全国の1.9%しかなく、逆に現在の半数以下に減少する地域が65%以上を占めるという事実。これを国が公表することは、国土の衰退を認めざるを得ない時期に来ていると受け止められたからだ。

発表は確かに衝撃的な内容であった。一方、深刻な予見を突きつけられながらもどこか自分の身の回りではまだそれを感じられない。ゆえにやり過ごす、未来に丸投げする、そんな他人事の受容だったようにも感じられた。しかし、2年を経て私たちの心にはいくつか思い当たる小さなしこりができ始めている。そう、この衰退は知らず知らずのうちにジワジワ浸食してくるものなのだ。

荒廃を描き出すのは予測データだけではない。鈴木みそ『限界集落温泉』(エンターブレイン)は伊豆山中の旅館を舞台に地域の衰退と向き合う人たちの姿を扱ったユニークな作品である。ゲームクリエイターの道をあきらめた主人公・溝田。廃業した温泉宿に迷い込んだ彼が、なぜか集まってきたネットアイドルやオタク達の力を借りて宿を再興、地域産業の拠点にしていくというのがそのストーリーだ。

こう書くといかにも軽薄なストーリーと萌え系の絵柄が想像されるかもしれない。しかし根底にある視線はいたって冷静である。作者の鈴木は前作『銭』(エンターブレイン)をはじめとし、徹底的な取材に基づいたリアルな世界を描くことに定評がある作家だ。多少の脚色やコミカルな表現はあるが物語の中で提示されるのは、無い袖は振れないという事実と、無いものを補うには身近な人材と知恵をフル活用するしかないという地道な解決策だ。

このような地に足の着いた解決策は2013年4月に発行された『まちづくり:デッドライン』(木下斉、広瀬郁/日経BP)のような専門書にも通じる。困難の中で荒廃にどう立ち向かうのか。町はどの程度の規模で維持可能か。地域にある資産をいかに循環させるか。厳しく言ってしまえば撤退戦にどう挑むのか。現実を踏まえながら具体的な手法を積み上げていく内容は、鈴木が『限界集落温泉』で描いたルートをなぞる。

溝田は考える。果たして自分たちが持っている有効なコマは何か。そして思いつく。ボロさ、薄気味悪さ、未開、不便がここにはある。ケータイの電波が完全に届かない環境なんて、実は都会で暮らしているとほとんど手に入らない貴重なものなのだ。

最初は自分の居場所(寄生先)を確保することだけを目的としていた溝田の関心はより広く複雑な問題へと向けられていく。一軒の宿が抱えていた問題が次第に地域の、町のそれと絡み始めるのだ。とはいえ、溝田が聖人君子や敏腕経営者といった雰囲気では無く胡散臭いペテン師のように描かれていたり、単なるサクセスストーリーとして終わらないのは、この物語を現実と完全に乖離した虚構にしたくないという意図の現れであろう。

無論、現在進行形で真剣に地域おこし、町おこしに携わっている人からすると「こんなに簡単にはいかない」といった意見や、自分達の地道な活動をマンガが面白おかしく描くことに抵抗もあるだろう。しかし、作品を完全に否定できず、なにか共感を覚える箇所があるとすれば、それはジワジワ迫ってくる荒廃に対し、巨額の補助金を獲得しようとか、新たな企業を誘致しようという大文字の方策でなく、自分達のできる範囲で知恵を絞り、自走するモデルを目指す姿が描かれているからだろう。この作品はそうした理想を描き努力を重ねている人たちの心にこそ響くのである。

オリンピック開催が決まり、高揚する雰囲気に水を差すつもりは全くない。いや、それが決まったからこそ私たちは7年後、この国がどうなっているかという現実と真剣に向き合い、そこに自分を置かなければいけないのだ。きらびやかな話題の裏でジワジワ迫り来る荒廃は日本各地で生活のすぐ傍に現れてきている。もしこうした現実から逃げず、最高のもてなしで各国の人々を迎えることができるなら、身の丈で振る舞う実直な日本の姿を誇りとともに発信できるはず…。私はそこに夢を見るのである。

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編

2013年10月20日(日)に主催イベント「マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編」を開催します。 今回のイベントは、マンガナイトではお馴染の、グループでのマンガの回し読みと読んだマンガの感想の共有です。

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参加のお申し込みは下記のフォームからお願いします。

今回のお題は「学び」。早稲田大学に近い会場「Le Cafe RETRO(ル・カフェ・レトロ)」に合わせたお題にしました。これまで出会ったマンガで、あなたの人生を左右したもの、今でもバイブルになっている作品はありませんか?

「このマンガで、仕事に必要な知恵が身につきました」「このキャラクターの生き方は憧れる」という作品をお持ちください。持ち寄ったマンガのエピソード、どんな学びを得たのかなどを教えてください。

会場にはメンバーお薦めマンガコーナーも用意。新しいマンガに出会えること間違いなし。あなたの次の「必携書」が待っているかも知れません。
※ 過去のイベントの様子はこちらから

最近マンガを読んでいない方から、ヘビーリーダーの方まで、マンガを介して気軽にコミュニケーションが生まれ、新しいマンガに出会えるイベントです。みなさまのご参加をお待ちしております。

概要

【マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編】

内容
マンガからの学びを語り合う
日時
2013年10月20日(日)18:30(開場18:00)~21:00 ※ 21:00~懇親会
持ち物
「あなたに大事なことを教えてくれたマンガ」1冊〜数冊とお薦めポイント
参加料
2,000円(ワンドリンク・軽食付き)※ 懇親会の参加料:2,000円(1ドリンク+フード)
定員
30名(事前予約制)
会場
Le Cafe RETRO東京都新宿区西早稲田2-1-18


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【アニメ!アニメ!】国民的代表作『ONE PIECE』はデータで見てもスゴかった!

アニメ!アニメ!に「国民的代表作『ONE PIECE』はデータで見てもスゴかった!」を寄稿しました。ワンピースが国民的作品となった背景を、社会情勢から分析しています。また、漫画版のファンにとっての映画版ワンピースを楽しみ方について、言及もしています。本文はこちらからご覧ください。

サードプレイスとの距離を問う意外な宮廷漫画

昨今、複数の肩書きや名刺をもっている人は珍しくなくなり、本業で培った経験や技術を活かして社会貢献活動を行うプロボノの存在もそれを加速させている。昨年ビジネス書ランキングで上位に食い込んだリンダ・グラットン著『ワーク・シフト』(プレジデント社)やちきりん著『未来の働き方を考えよう』(文芸春秋)で繰り返し触れられているのは、必ずしも一つの職業を定年まで全うするのではなく、複数の職業を兼務して働くワーカーの存在だ。そんな人たちの受け皿として組織や立場を越えて意見を交換し、本業以外で自分が本当にやりたいことをするための空間、サードプレイスが改めて注目を集めている。

本来サードプレイスとはファーストプレイス=自宅、セカンドプレイス=職場、以外の居場所のことだ。ある人にとってはカフェやバーであったり、またある人にとっては図書館やダンス教室であったりとその空間は人により異なる。唯一存在する条件は、自分らしさを取り戻せる居心地の良さを備えていることだろう。

こうした現代のサードプレイスを意識させるのが久世番子著『パレス・メイヂ』(白泉社/「別冊花とゆめ」連載)だ。

時代は日本の大正にあたる頃。舞台は宮廷(パレス・メイヂ)。主人公御園は美しき少女帝彰子に仕える侍従職出仕である。彼の仕事は帝の生活の空間である「奥御座所」と執務の空間「表御座所」をつなぐ渡御廊下を行き来し、物や情報を受け渡すことだ。この廊下を行き来できるのは帝本人と成人していない数名の少年出仕たちのみ。女の空間「奥」と男の空間「表」をつなぐ廊下は帝にとっての中立地帯といえる。

彰子は先帝亡き後、幼き皇太子が元服するまでのつなぎ役として即位した。本作品の設定では帝位についた女性は結婚を許されず、終生宮殿の中で暮らすことを強いられる。しかし彰子は少女でありながらもそれを受け入れ、公務をこなし、周囲に希望を与え続ける象徴としての帝をつとめあげる。

そんな彰子にとって渡御廊下は帝としての役割から解放され、少女の自分に戻るごくわずかな時間を与えてくれるサードプレイスとなっている。そしてそこで本当の自分を引き出してくれる存在が御園なのだ。

また、御園にとっても即物的で拝金主義の兄や姉がいる自宅、それぞれのプライドと守備範囲を固めようと懸命になる「奥」や「表」から切り離なされた廊下は、彰子を想い、真摯に意見を言える大切なサードプレイスとなっている。

ただ、この作品は、サードプレイスでの2人のやりとりを描くだけでなく、さらに深く居場所としてのサードプレイスについて考えさせる内容に展開する。

彰子は帝として宮殿という籠に閉じ込められている一方で、自分が「寵愛」という形を用いて誰かを閉じ込めることができると知る。そうすれば御園が成人したとしても自らの傍に置くことが可能だ。だが、彰子はそれを選ばない。自分を解き放つために御園の存在を求めることは、即ち彼を束縛することに他ならない。彼女は自由がきかない立場だからこそ他人の自由を奪うことを嫌うのだ。

苦慮の上、御園に暇を出す彰子。しかし、彼は力強く告げる。

「私は籠の鳥にはなるつもりはありません! 陛下のお側で陛下が少しでも楽しくお過ごしになれるような籠になりとうございます!」

これはたとえ彰子が退位し、廊下を渡ることが無くなろうとも自分がそのかわりとなり、サードプレイスとして彼女が本当の自分に戻れる場所になり続けようという強い意志の現れだ。

この言葉は私たちを「サードプレイスはただ与えられるだけのものか」という問いと直面させる。私たちは自宅と職場の往復の中で、自分自身を解放する場所、時間を十分作れているだろうか。そして自分の言葉で考え、身の丈で語れているだろうか。さらにそうした自分自身の渇望、充足とともに、自身が誰かのサードプレイスになれているだろうか――このような省察がここから立ち上がる。そう、サードプレイスとは私たち自身が獲得し、再生産していくべき存在なのである。

『パレス・メイヂ』は単に宮殿における少女帝の恋愛やしきたりを描くだけではなく、その深部で「自分の居場所」を探し求めている現代人に対し、様々な示唆を与える重層的な作品になっている。果たして私たちは彰子や御園のように聡明な振る舞いができるだろうか。

関連リンク
花とゆめonline(よみきり・最新話)

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

マンガ→アートの原点を探る旅

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世界に誇る日本のアートのひとつになったマンガ―なぜこの大衆文化はアートにまで昇華され、日本を代表する表現形式となったのか。その答えを教えてくれるのが東京都現代美術館で9月上旬まで開催された特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」だ。

この展示では、手塚治虫・石ノ森章太郎両氏を、「時代の流れ」という縦の線と「マンガ家同士のつながり」という横の線でつなぎ、マンガという大衆文化がアートになり、その領域を広げていく過程がわかる。多くの人は彼らが作品を見ると「どこかで見たことがある」という感覚におそわれるが、それほど彼らの作り上げた表現方法は、国内外で人々の感覚や生き方に浸透しているのだ。

「マンガのちから」はは9月8日まで東京都現代美術館で開催。11月から来年春にかけて大阪歴史博物館や宮城県美術館など全国4カ所を巡回する。

“マンガの神様”手塚治虫氏と“マンガの王様”石ノ森章太郎氏。この2人はそれぞれ個人の記念館があるほど実績があり、仰ぐべき存在だ。なぜ今彼らを同時に取り上げて展示をする必要があるのだろうか? ――それはこの2人とその仲間たちで今のマンガ表現の基礎が作られたからだ。

主催のNHKプロモーションの鈴木俊二展博事業部担当部長は「2人は現在のマンガにつながるマンガ表現そのものを作ったクリエイター。その後に続いた人たちが発展させたことでマンガは社会に根付いた」と話す。普段はアート作品の展示が中心に東京都現代美術館という場所で、両氏の作品を現代アート、ポップアートの文脈でとらえ直すという狙いもある。

tezuka-ishinomori01©手塚プロダクション ©石森プロ_R

展示された原画や作品も、2人の関係性のわかる作品が中心だ。手塚プロダクションや石森プロが、2人のつながりなどがわかる作品を選りすぐった。高校生だった石ノ森氏が臨時アシスタントとして手伝ったという、手塚氏の『鉄腕アトム』の原画など興味深い展示が多い。これらはプロローグと4つのパートにまとめられ、順に見ていくと日本経済が成長する中で、マンガの表現方法や領域がどのように進化していったかがわかる。

第1部「ふたりの出会い マンガ誕生」は両氏の出会い編。一足早くマンガ家として活躍していた手塚氏と、宮城県で同人誌『墨汁一滴』を主催していた石ノ森氏。石ノ森氏は当時のマンガ雑誌『漫画少年』への投稿を通じて、その才能を手塚氏らに認められていたようだ。

tezuka-ishinomori02石ノ森章太郎氏らが主催した「墨汁一滴」

tezuka-ishinomori03高校生の石ノ森氏が臨時アシスタントとして手塚氏の原稿を手伝ったエピソードも

第2部「爆発するマンガ 時代への挑戦」は、手塚・石ノ森両氏が日本経済の発展とともに、月刊誌から週刊誌、さらにはテレビ雑誌や学年誌と活躍の場を広げていった時代をまとめた。1964年の東京オリンピックをきっかけに家庭用テレビが普及したことで、テレビアニメの時代が到来。『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『サイボーグ009』などマンガのアニメ化による「メディアミックス」がスタート。鉄腕アトムの制作費を確保するために、おもちゃメーカーなどに版権を付与し始めたこともわかる。

tezuka-ishinomori04会場では原画とアニメを同時に楽しめる

tezuka-ishinomori05『鉄腕アトム』はアニメ化、キャラクター商品化とメディアミックスの先駆けだった

マンガ家が子ども向けテレビ番組のオリジナル設定・ストーリーを本格的に作り始めたのも石ノ森氏の『仮面ライダー』の頃からだといわれている。石ノ森氏案の段階で、戦隊物の色分けがすでに行われていた。

tezuka-ishinomori06戦隊物は石ノ森氏の案の段階ですでに色分けがされていた

第1部、第2部で蓄積された作品は、第3部の「“ちから”の本質対決」につながる。「いのち」「戦争と平和」「女性観」などテーマにあわせてそれぞれのマンガ家の作品から象徴的なシーンを選び、壁やカプセル内に展示。「2人の作品を知らない人でも楽しめるよう、それぞれのマンガ家の特徴的な表現やストーリーを抽出した」(NHKプロモーションの鈴木氏)という。それぞれのテーマの作品を見ながら、描き方の違いや共通点を考えてみるのも面白い。

tezuka-ishinomori07「科学」というテーマで両氏の作品から象徴的なシーンを選んで展示

tezuka-ishinomori08「映像的表現」というテーマもはずせない

これらの展示を通じてわかるのは、現代のマンガ表現方法や産業の基礎がほぼ彼ら2人とその仲間たちによって作られたということだ。彼らはそれまでのマンガ表現を元に、映画や舞台などマンガ以外の分野から表現方法を取り入れていった。擬音の描き文字、モブシーン、陰影、クローズアップ、大胆な構図…現代のストーリーマンガで一般的に使われる表現方法の多くは手塚氏らが黎明期のマンガで挑戦したものだ。

tezuka-ishinomori09有名な「新宝島」の映画的手法を使ったコマ

それは「グッズ付特別版単行本」「キャラクター商品」などマンガ産業・メディアミックスの展開でも同様だ。ビデオソフトやゲームソフトなど新たなメディアの立ち上がりも後押しした。

tezuka-ishinomori10石ノ森章太郎氏の「佐武と市捕物控」ではグッズセットの豪華版がすでに発売されていた

マンガ家同士も、お互いの作品や描き方を強く意識していた。年代順に原画を見ていくと、石ノ森氏の初期の作品は、手塚氏の絵の線の感じに似ているが、徐々に独自の線の書きぶりになっていくことがわかる。

tezuka-ishinomori11「墨汁一滴」のころの石ノ森氏の絵柄(左)

tezuka-ishinomori12「古事記 マンガ日本の古典」のころの絵柄。すでに石ノ森スタイルになっている

だマンガへの姿勢は2人の間で微妙な差があったようにも思える。常に先導者としての自覚のあった手塚氏と、その手塚氏の切り開いた道の中で自由に振る舞えた石ノ森氏。「マンガという文化を世の中に認めさせたかった手塚氏にとって自分に追従してくる後継者はライバル。一方で石ノ森氏はとことん楽しんで描いていたのでは」(NHKプロモーションの鈴木氏)。

tezuka-ishinomori13手塚治虫氏

tezuka-ishinomori14石ノ森章太郎氏©石森プロ

もう一つわかるのは、当時のマンガ家がいかに当時の大きな娯楽であった映画やクラシック音楽に傾倒していたかということだ。『アパッチ砦』『我等の生涯の最良の年』――第1部では第2次世界大戦後に日本で公開されたアメリカ映画の白黒映像が流れる。会場内に再現された、「トキワ荘」内の石ノ森氏の部屋の床には無数のレコードが積み上がり、8ミリカメラも展示されている。石ノ森氏はテレビ『仮面ライダー』シリーズで監督を務めたこともある。

tezuka-ishinomori15トキワ荘内の石ノ森氏の部屋の再現。レコードがつみあがっている

もちろん手塚氏の取り入れた映画的表現も解説されている。手塚氏は「戦争で子どもの娯楽が少なくなったなかで、子どもが手にできる紙媒体に映画の面白さをとじ込めようとしたのではないか」(NHKプロモーションの鈴木氏)。そしてその試みは、当時子どもだった人々に衝撃を与え、マンガ家の道に導いた。

tezuka-ishinomori16トリビュート作品を取り込むことで、マンガの世界はさらに広がる

彼らの築き上げた「マンガの力」の行き着くところはどこか。それが第4部に集められたトリビュート作品だ。神様と王様が生涯描いたマンガ作品は短編・長編を含めると非常に多い。子供向けだった『鉄腕アトム』『ジャングル大帝レオ』『仮面ライダー』から青年向けの『BLACK JACK』『HOTEL』と、当時一緒に活躍していたマンガ家や若手のクリエイターは、様々な場面で手塚・石ノ森両氏の作品に触れ、影響を受けてきた。もちろんマンガ家以外のアーティストらへの影響も見逃せない。たとえば中村ケンゴ氏。彼は手塚氏が群衆シーンなどで多用してきたキャラクターの線を組み合わせることで新たな現代アートを作り上げる。福士朋子氏もコマ割りや擬音語などマンガの構造や文法を取り入れるアーティストの1人だ。

tezuka-ishinomori17人気アイドル、桃色クローバーZが「サイボーグ009」のキャラクターに変身

個人的にはこのトリビュートのひとつに、今夏日本で公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』も加えたい。監督が直接、日本のマンガ・アニメを見たのかは確かではないが、「KAIJU」が人間社会を襲う様子、選ばれた人間がロボットともに戦うという設定、ロボットのエネルギー源が原子炉ということなど、手塚・石ノ森両氏の考え出した世界を彷彿とさせた。

こうした多様なアーティストによるトリビュート作品には石森プロ・手塚プロダクションともに乗り気だったという。そして、寄贈に近い形だったが多くのアーティストから賛同を得られた。「今、マンガ家という仕事が成立しているのは2人のおかげという思いもあったようだ」(NHKプロモーションの鈴木氏)トリビュート作品やオマージュ作品は、これまでいろいろな場面で目にすることができた。しかしオリジナル作品と同じ空間で展示されるようになったのは、マンガという文化がその領域を一段と広げたことの証左だろう。

展覧会の企画中に起きた2011年3月11日の東日本大震災も展示の方向を決めた。震災後、何ができるかを考えさせられていたところ、奮闘する宮城県石巻市にある「石ノ森萬画館」や宮城県の書店で回し読みされた週刊少年ジャンプ…とマンガの力が人々を明るくする様子を目の当たりにした。「『日本にはマンガがある』と強調するために、タイトルも『マンガのちから』にした」(NHKプロモーションの鈴木氏)

tezuka-ishinomori18マンガのちからは東日本大震災の被災地の応援にも力を発揮

手塚・石ノ森両氏によってDNAにマンガを組み込まれた私たち。この所業はひとりの天才だけでもできなかったし、凡人だけでもできなかった。マンガ家やマンガフリークたちはいまだに手塚・石ノ森両氏の手のひらの上にいるのではないか――そんなことを思わせる展覧会だった。(bookish)

今後の開催予定

広島展
2013年11月15日~2014年1月5日
広島県立歴史博物館
大阪展
2014年1月5日~3月10日
大阪歴史博物館
山梨展
2014年3月21日~5月19日
山梨県立博物館
宮城展
2014年5月31日~7月27日
宮城県美術館

最新技術で楽しむ「藤子・F・不二雄」の世界

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マンガというのは、紙など平面に描かれた二次元の世界である。読者である私たちはそれを目で見て楽しむ。だがその作品に愛着を持てば持つほど目で見るだけでない楽しみを求めるようになり、マンガはアニメ、フィギュア、舞台へと展開してきた。今後私たちは「マンガ」の世界をどう楽しむことになるのか。その一端を示しているのが、東京タワーで開催中(〜10/6)の生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」だ。目で見るだけではなく、マンガの世界が文字通り二次元を飛び出しているのだ。過去の作品と最新技術が組み合わさることで、藤子・F氏の世界の新しい楽しみ方の一端を示している。

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20世紀を象徴する東京タワーとドラえもんの組み合わせ

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まずは屋上の「55/80ひろば」から。どのドラえもんと写真を撮るか迷う

最新技術でマンガを表現する

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「SFシアター」では藤子・F先生も出迎えてくれる

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「プロジェクションマッピング」で過去の記憶と出会う

今回の展示の特徴は、過去の作品と先端技術の組み合わせだ。「55/80ひろば」のある屋上から階段を下りた4Fの展示フロアの最初のメーンが藤子・F氏の作品の主要キャラクターが出迎えてくれる「SF(すこしふしぎ)シアター」だ。一面は白い本棚のような壁と机。机の引き出しに吸い込まれた原稿を、キャラクターが追いかけ恐竜時代にタイムトラベル…… ストーリーはシンプルだが、次々とシーンが移り変わるのを目にすると、紙のマンガを読んだりアニメーションを見たりするのとはまた違う世界に出会った気持ちになった。特に原稿が飛んでいくときの紙のこすれる音、タイムマシンに乗っている間の風の感触。最新技術を使い五感でマンガを楽しんだ気分だった。

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貴重な原画が散らばってしまった

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なんと引き出しに原画が吸い込まれる

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吸い込まれた原画をタイムマシンで追いかける

このシアターに使っている技術は「プロジェクションマッピング」といわれるもの。(PingMagではしめじへのプロジェクションマッピングの記事も以前紹介)今回のシアターでは、「4Dプロジェクションマッピング」を使っており、でこぼこして見える場所に本棚が投影され、そこからさらにキャラクターが飛び出してきたのだ。

マンガが子どもから青年のものになった時代の象徴

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藤子・F先生にもなれる

4Fのフロアを進むと原画の展示と作品のワンシーンに入り込める「なりきりキャラひろば」などがある。どちらも藤子・F氏の作品世界に浸ることができる場所だ。ここで興味深いのは「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」など子ども向け生活ギャグマンガの原画やその作品のワンシーンに入り込める「なりきりキャラひろば」と、青年向けの「SF短編マンガ」が並列に展示されているところだ。

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部屋の間の移動はどこでもドアで

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大人向けには「SF短編の世界」

藤子・F氏が活躍した時代は、ちょうど子どもから徐々に青年層にまでマンガの読者が広がり始めていた時期だった。藤子・F氏はもちろん子ども向け生活ギャグマンガの名手として名高い。これらは大人になってから読むと、子どもの時とは違う感想を持つだろう。だが彼はより幅広い読者層のアプローチしようとしていたのではないか——そう思わせるのがSF短編集だ。会場の「SF短編の世界」のスペースには主な短編作品の表紙が壁一面に飾られている。「ミノタウロスの皿」「みどりの守り神」「劇画オバQ」「パラレル同窓会」……どれもSFセンスにあふれ、なおかつ読者に「あなたならどうするか」との問いをつきつけるものだ。もちろん子供も楽しめるものであり、会場では熱心にSF短編の原画を読む子供もいた。

そしてこれらは、展覧会のタイトルにもあるように「藤子・F・不二雄展」——つまりほぼ藤子・F氏から生み出された世界なのだ。彼は5万枚の原画を残し、川崎市のミュージアムや今回の展覧会のもとになっているという。

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開催を祝う色紙は幅広い著名人から

展覧会の最後の部屋には、藤子・F氏が各インタビューなどで残した言葉と、今回の展覧会に寄せられた著名人からの色紙が飾られている。「藤子不二雄A」「曽田正人」「藤田和日郎」「松本大洋」らマンガ家だけでなく「福山雅治」「村上隆」「鴻上尚史」ら音楽やアートなど他分野からの色紙も多い。マンガ家の展覧会でこれだけ幅広い著名人からの色紙が集まることは少ない。藤子・F氏の作品が幅広い層に愛された証左だろう。

東京タワーという場所

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今回の展示は藤子・F氏の生誕80周年を記念して行われた

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インタビューの言葉は「仕事論」としてもぐっとくる

「藤子・F・不二雄展」は藤子・F氏の生誕80周年を記念したもの。藤子・F氏には川崎市に「藤子・F・不二雄ミュージアム」がある。なぜ専用のミュージアムがあるのに別の場所で展示会をするのか、それは彼の作品が東京タワーに象徴される昭和期、そして東京タワーそのものと切っても切れない縁があるからだ。その一端は、会場の入り口となる屋上から、4Fフロアに降りる途中の階段にさりげなく示されている。「東京タワーとF作品」がそれだ。各作品から東京タワーの描かれたコマを切り出し、壁に貼り付けてある。コマをみながら、どの作品だったかを思い起こすのもいいだろう。

ドラえもんの秘密道具「タケコプター」「フワフワオビ」、パーマン……「すこしふしぎ」を追求した藤子・F氏の作品で登場人物らは高い頻度で空を飛ぶ。その描写に東京タワーは不可欠だったのだ。いかに当時の読者にとって東京タワーのような高い建物を「越える」ことが夢だったのかがわかる。

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「東京タワーとF作品」空を飛びたいという夢は変わらない

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パーマンが飛ぶ背景にも東京タワー

藤子・F氏の描いた「21世紀」はどうなるのか——そんなことに思いをはせながら東京タワーや20世紀の作品を楽しんではどうだろうか。(bookish)

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最後はキャラクターらと記念撮影

矛盾、空虚、曖昧。日本文化の原点的鑑賞法を可能にする装置

奏でられる音符、歌われる言葉ーー音楽は確かに耳で感じ取るものである。だが、一方で私たちは音そのものを楽しむだけでなく、それを演奏している、歌っているアーティストと紐つけながら楽しんでいることも事実だ。しかし、もし音楽を提供する主体としてのアーティストの存在が不確定で曖昧だとしたらどうだろうか。それが「さよならポニーテール」(以下、さよポニ)だ。不確かなことがかえって彼らの存在への想像力をかき立てている。

さよならポニーテールは2011年10月にアルバム『魔法のメロディー』でメジャーデビューを果たした音楽ユニット。その活動はネット上に限られ、ライブはまったく行わない。メンバー同士も一部を除いて互いに面識がない。ファンは本当に公式アナウンスされているメンバー構成なのか、ユニットが目指すところはどこなのかなど、不確かな土壌の上で彼女たちの活動を見守っている。

さよポニをご存じない方の中には「さよポニって何?」「正体は誰なの?」と検索をかけた人もいるだろう。

私たちは常に「○○は××である」と言えるよう記号に意味を充填する。眼前にわからない対象が現れた途端、ポケットからケータイを取り出し、検索をかける。そして正体を突き止めて安心する。それだけわからない対象に意味づけできないことへの恐怖感が日常にあふれているのだ。

だがもともと日本文化とは、ロラン・バルトが『表徴の帝国』のなかで西洋を「意味の世界」、日本を「表徴(記号)の世界」と位置づけたように、「記号に確固たる中身がない。それでも豊かに存在する」ものだった。それは世界を切り分け百科事典化するキリスト教的世界観と、世界の複雑さを複雑なまま受け入れようとする仏教的世界観の違いと言い換えることもできる。自分たち西洋人が長い時間をかけて必死に議論し、弁別し、定義づけてきたものは何なのかと、バルトは日本文化の形態に驚いたのである。

この日本文化独特の空虚さは、まさにさよポニ世界の特徴を言い当てている。ファンは音楽を通じてさよポニを知る。しかしその実態は空虚だ。名前や役割が存在しても、それを理解するには圧倒的に情報が少なすぎるし、何よりその背後に固着した意味があるという保証はない。中身が入れ替わろうと誰も気づくことはできないのだ。

音楽と同時にその世界を知るために重要な存在となっているのがマンガ3作品だ。写真など実体を裏付ける情報が全く存在しないさよポニの世界では、ファンはマンガに描かれたキャラクター、背景によってはじめてその世界を視覚的に同定することができる。最新作『星屑とコスモス』(集英社)はファンタジーと現実が入り交じる世界でボーカル3人の学園生活や恋を描く。日常の傍らにいるような、遥か遠くにいるような不思議に変化する距離感が本作品の魅力となっている。

だが、3作品のマンガが必ずしも連続性をもち、音楽世界にぴったりと寄り添っているわけではない。彼女達の日常を描いた第1作『きみのことば』。だが第2作『小さな森の大きな木』は異世界を舞台としており圧倒的にファンタジーの要素が強く、両者間に大きな断絶が存在する。そして3作目の『星屑とコスモス』(別冊マーガレット増刊「bianca」他、掲載)ではまた日常生活に近い世界で話が進んでいく。なぜこのような断絶やより戻しが起こるのか、さよポニ側から一切の説明も無く音楽とマンガの微妙なリンクは続いている。

もたらされる曖昧な設定や断絶。しかしそれは混乱や失望を生むのではなく、まるでさよポニから独自の鑑賞世界のつくりかたを提案されているように感じられる。受け手は与えられる情報を集積するのではなく、自らの想像力をもってより主体的にさよポニの世界を補強し柔軟にその世界の変化に対応していかなければいけない。それはさよポニの世界に自己投影し親和性を高めることに他ならない。

想像力ーー私たちはこの単語を前にすると言い表せないむず痒さを感じる。幻想や妄想と同義として使う場合、どうしても現実と乖離しているというネガティブな面が主張し、公に語ることがはばかられる。にもかかわらず、それを完全に否定することができないのは、自分の中に自分だけの世界を作ることへの憧れを捨てきれないからなのだろうか。

さよポニは軽やかに、誰でも調べればわかる意味で構成された世界ではなく、記号をつなぎとめるためのエーテル(空想)で満たされた世界へと私たちを誘う。恥じらい無く想像力を開放するフィールドがそこにはある。

日本文化は本来、矛盾や空虚、曖昧といった世にあふれる説明がつかない事象を自分の想像力で埋めることで自分なりの世界を作り、堪能することで形成されてきた。

さよポニは現代において同様の鑑賞世界を私たちに与えてくれる装置なのである。

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

本を通して生まれる、新たなコミュニケーションとは? 選書のプロと一緒に、これからの本について考えてみよう(後編)

photo_hapongreenz.jpとのコラボレーション連載、マンガ×ソーシャルデザイン、今回は「本を通して生まれる、新たなコミュニケーションとは?選書のプロと一緒に、これからの本について考えてみよう(後編)」です。こちらより本文をご覧いただけます。

結婚は愛情だけでなく生活の手段の一つである

20~30代女性が一度は関心を示すであろう「婚活」。この一大テーマにとうとうマンガが向き合い始めた。『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社、海野つなみ作)がそれだ。「生活のための手段としての結婚」を求める女性側がきっかけになって結婚生活を始めた2人を、海野氏流の丁寧な言葉で心理を描き、かえって他人と暮らすよさを伝えている。

『逃げるは恥だが役に立つ』は女性向けの月刊誌「Kiss」で連載中で、6月中旬に第1巻が発売された。主人公、森山みくりは大学院を出たものの就職先がなく、派遣社員として働いていたところ勤務先の都合で派遣切りにあう。父親の部下の家で家事代行サービスを請け負うも、家族が引っ越すことに。そこで住み込みで家事代行サービスをするために雇い主と共謀し、事実婚を偽装することにした。

ここで読者の前に示されるのは、いささか極端ながら「恋愛以外の結婚までのルート」である。

婚活という結婚へのルートは、結婚を意識する男女にとって大きなテーマになっている。昭和期までの結婚観は「男女ともに一定年齢までに結婚するもの」だった。社会的プレッシャーや周りのお膳立てもあり、特に結婚のために特別な活動をする必要はなかった。女性の仕事場が限られ、「女性は25歳までに結婚して家庭にはいるのが当たり前」といわれていた時代、女性にとって結婚とは生活の手段のひとつであり、父親の庇護から夫の庇護に移ることだった。男性にとっても一人前の社会人と認められるために、結婚は不可欠で、パートナーの女性が必要だったのだ。

だが現代、女性が仕事を持ち、働き続けることは当時よりも容易になった。未婚の男性も半人前とは見られなくなりつつある。彼らにとって結婚は、経済的・社会的保証ではなく、愛情ある相手との半永久的なつながりの維持となった。だからこそ「この相手でいいのか」と結婚相手に迷うことが増えている。

この現状に、マンガの中の結婚の描き方は追いついていなかった。従来は「ときめきトゥナイト」「恋愛カタログ」(ともに集英社)など好きになったもの同士がつきあえば、当然結婚または永遠に一緒にいることを意識させられるか、「ぽっかぽか」(講談社)のように結婚後の夫婦の課題を描くことが一般的だった。その間に存在するはずの「結婚までのノウハウ」はすっぽり抜け落ちていたのだ。読者、特に女性は、現実には恋愛即結婚ではないことに気がついていたのに、である。

結婚までのルートを模索する読者に「結婚は愛情だけでなく生活の手段の一つである」と示したこの作品はどう受け止められるだろうか。もちろん「現実にはありえない」と反発もあるだろう。だが、きちんと読むと他人と暮らすことのよさを実感できる。結婚も悪くない――そう思えるほど、海野氏は細い線のきちんとした絵柄で淡々と登場人物らがきちんとお互いの思いや考えを伝えあいながら、穏やかな日々を暮らす様子を描いている。海野氏が丁寧に選ぶセリフは、結婚を考える人にも結婚に懐疑的な人にも刺さるものがあるだろう。回り回って、読者の結婚を後押ししているのだ。

結婚に対する社会的な圧力が減ったいま、20~40代の適齢期にある世代は、「何のために結婚するのか」と悩んでいる。そしてほかの人がどう考えているのか気になっている。ネットの結婚情報サービスを使って結婚に至った過程を描いた『31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる』(新書館、御手洗直子作)がヒットするなど「結婚までのノウハウ」は女性にとって(もしくは男性にとっても)、他の人の事例をのぞき見したい分野のひとつなのだ。

結婚しなくてもいい時代になぜ結婚するのか。そのためにはどうすればいいのか――こう思う読者にとって、結婚が運命づけられている恋愛やすでに結婚した夫婦を描くだけのマンガでは満足できない。「マンガのなかの結婚」は読者の欲求に答えることで転換期を迎えている。

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。

マンガ似顔絵ワークショップ(16:00〜18:00)

533658_548122961914331_1412368732_n954327_549762045083756_1644428762_n2013年8月3日(土),4日(日)にルミネ立川屋上庭園コトリエで開催されるイベント「あおぞらガーデン」に出展します。
漫画家さんと参加者の皆さんが一緒に似顔絵マンガを完成させる「マンガ似顔絵ワークショップ」を行います。
参加者のみなさんには、漫画家さんに似顔絵を描いてもらっているあいだに、マンガの効果音やセリフを簡単に作ってもらい、マンガの一ページを完成させます。

似顔絵は、漫画家 戸城イチロさんに描いていただきます。

開催概要

場所
ルミネ立川屋上庭園コトリエ
※イベント会場となる屋上庭園コトリエへは東側(東京方面)のエレベーターでお越しください
日程
2013年8月4日(日)
時間
16:00~18:00
参加費
1,200円

※先着順

所要時間
5分程度

今あなたが知るべき漫画家・田中相とは、誰なのか

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“これからの日本の漫画家”といえば誰だろう?それは、気鋭の漫画家のひとり・田中相。2010年3月に創刊された講談社の「ITAN」(隔月誌)で鮮烈なデビューを果たした若手漫画家だ。2011年7月に短篇集『地上はポケットの中の庭』を発売し、現在は『千年万年りんごの子』をITANに連載している。そして、平成24年度 第16回文化庁メディア芸術祭では『千年万年りんごの子』がマンガ部門新人賞を受賞。その圧倒的な画力も紡がれる物語も、全てにおいて注目の漫画家なのだ。

この記事では、インタビューを通して田中相とは一体どのような人物なのかを明らかにしていく。

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『千年万年りんごの子』1巻、2巻

ずっと「マンガは描けない」と思っていた

漫画家になろうと思ったきっかけは?

母と伯母がマンガ好きで、水野英子さん、山本鈴美香さんや和田慎二さんなどの少女漫画がたくさん本棚に並んでいました。子どもの頃からマンガが身近な存在で私も大好きでした。小さい頃は漫画家になりたいなと考えていたんですが、真似事をするうちに「自分では無理そうだ」と思うようになって。高校の時には既に「漫画家になりたい」とは考えなくなっていました。もちろん、ずっと憧れはありました。

意外ですね。なぜ?

私には姉が一人おりまして、高校生だった姉は清水玲子さんが大好きで絵をそっくりに描けるほどで。それが本当に上手で「私はできない」と思っていました。マンガの形式にしてもコマを割り始めたものの完成させることができず、という感じで。よくあるタイプかな?(笑)「見る」と「やる」とでは大違いですね。だから、通っていた高校のデザイン科を卒業したらそのまま就職して働こうと思っていたんです。でも、結局は美大を選びました。

ai-tanaka3小学生の頃は『ドラゴンボール』の神龍を描くのが得意で、クラスの男子に頼まれることも多かったという田中さん。

そこからどうして美大へ?

ちょっと時間の猶予が欲しくて……親には申し訳ないのですがモラトリアムというか(笑)。短大でいいから美大へ行こうと画塾へ通いましたが、そこから大きく変化したと思います。この画塾の先生にはすごく影響を受けましたね。そして先生から「美大へ行かなくとも絵はかける、それでも受験するなら4年制の大学を目指してみては」とアドバイスをいただいて、その先生の母校を目標にすることにしました。

どんな先生だったのでしょうか。

お恥ずかしながら当時は「自分は絵がうまい」なんて考えていたんですよ(笑)。でも画塾でデッサンの講評会をした時にその自信が崩れ落ちました。その後は、素直に自分は下手なんだと自覚できているので大変ありがたかったです。印象に残っているのが「田中は途中であきらめている。もっと観察して、最後まで描き上げることができたはず」と言われたこと。自分は終わったと思っていても「もっと見ろ!」と言われるんです。もう描く所なんて無いと思うのに、さらに見て描く。しがみつくというか、粘りみたいなものを勉強させてもらいました。

そして、その先生は「大学受験の後のこと」についていつも話していました。画塾は受験で受かるための勉強だけをするイメージですが、精神的な部分も含めて、続けていくための考え方も先生から学びました。

初めてマンガを描いたのは同人誌

美大を卒業してからはどうしていましたか?

今はもう辞めてしまいましたが、デザイン業務やイラストを描きながら10年くらい働いていました。働いている当時、私が大のマンガ好きと知っている友人に「マンガ、描いてみないの?」と言われていましたが、なんとなくそのまま過ぎていました。でも、同人誌を出している友人と一緒ならページ数も少なくて済むし、責任感が生まれてやる気になるかも! と思い立って最初の同人誌をコミティア(オリジナルジャンル限定の同人誌即売会)に出してみたんです。これが初めて描いたマンガですね。

最初の同人誌を作ってみて、いかがでしたか?

「いいものが出来た!」というわけでもなく「ああ、終わったな」という感じです。手探りで描いてみて、コミティアに来た人が買ってくれるのがすごく嬉しかったです。そこで、のちにお世話になることになるITANの編集さんに声をかけていただきました。

ai-tanaka4同人誌「mabatakihasorekara」

ai-tanaka5別の同人誌の中には自画像の原型も。この時はこのマンガのためのキャラクターだった。

そこが商業誌デビューのきっかけだったんですね。

その時は名刺をいただいただけで何も進展はありませんでしたが、2009年11月に出した二冊目の同人誌「mabatakihasorekara」を同じ編集さんが買っていかれたんです。帰り際に「これをスーパーキャラクターコミック大賞に出していい?」と聞かれて、私も軽いノリで「どうぞー」と答えたら、ある日「大賞です!」という電話がきて……その時はよく意味がわかりませんでしたね(笑)

コミティアや同人誌のつながりは、今もすごく大切なお友達だとか。

はい。今は隔月連載で余裕が無く同人誌は出せていませんが、続けている友人はいるのでコミティアが開催されるとみんなに会いに行っています。本当に元気をもらえますね。私の他に商業誌デビューした友人もいますし、元々プロだった方もいます。色々なつながりに支えてもらっています。

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ai-tanaka7『地上はポケットの中の庭』には、初の同人誌に掲載した処女作「5月の庭」も収録されている。

ai-tanaka8ITANの壱号にも掲載された「ファトマの第四庭園」。衣服の緻密な描き込みに魅了される/『地上はポケットの中の庭』より。

マンガは模索しながら描いている

田中先生の作品では、人物・自然・昆虫・動物から布の柄まで繊細に描かれています。それは画塾の先生の教えが生きているのでしょうか?

うーん、そうかも? 散漫に描くのではなく狙いを絞って、というのは言われたことですし意識しています。マンガは1ページで平面構成の要素もありますしね。モチーフが目の前にあれば詰めて描けますが、マンガはそこに無いものを描くことも多いので、それが大変かもしれません。

ai-tanaka9コミックスの装丁は全て本瀬智美によるデザイン。親しい友人ということもあり、装丁は相談してもらいつつ進めた。

子どもの時も、美大でも、大人になってからもマンガを描いていなかったとおっしゃっていましたが、1枚絵のイラストには無い“動き”も重視されるマンガをなぜ、ここまで素晴らしく描けるのでしょうか。

全然素晴らしくはないですよ、できてないことばかりです! まだまだ暗中模索しています……。私はコマが割ってあってその中にギュッと絵が入っているマンガの形態が好きなようです。色々試したり考えることはありますが、自分の好みでやっているだけかも。でも、読みやすく混乱させないコマ運びにはなるべく気をつけています。

描いていて楽しいものは?

木、花、蔦、特に楽しいのは手。手は描いていて楽しいです。手と髪の毛はフェティッシュに好きです。逆に苦手なのは建築物。パースペクティブがきちんとしていないと、傾いて見えちゃいますもんね。家など建物を描く時はアタリとなる3Dを簡単に作ってから、それを下書きにして描くこともあります。パースをとるのも、空間認識も昔から弱くてですね(苦笑)。

ai-tanaka10髪の毛も躍動感をもって描かれる/『千年万年りんごの子』1巻

ai-tanaka11手で表現される、重要なシーン/『千年万年りんごの子』2巻

普段のマンガの描き方について教えてください。

まずはA5のコピー用紙に1枚につき1ページとして鉛筆でネームを描いて、スキャンしたものを担当編集さんに送ってチェックしてもらっています。GOサインが出たら、スキャンした状態のネームを123%に拡大後、プリントアウトしてライトボックスの上で原稿用紙に写して青のシャープペンシルで下書き、それをペン入れしスキャン、最後にコミックスタジオ(マンガ制作ソフト)でトーンを貼り仕上げています。

ai-tanaka12田中さんは「本当は毎日9時間くらいは寝たい」と、かなりのロングスリーパーのようだ。好きな食べ物はチョコレート、嫌いな食べ物はバナナ。

最後に、PingMag読者に向けてメッセージをお願いします。

私は「たくさんの人に自分のマンガを読んで欲しい」と思っていて、これまでは女性読者が多いのかなと考えていました。でも、2013年5月に新宿で催して頂いた『千年万年りんごの子』のサイン会では性別を問わず、しかも若い方から年配の方まで、色々な方に来ていただけて本当に嬉しくて。もっともっと多くの方に自分の作品が届いたらいいなと思っています。

いずれ海外版を出すことができれば嬉しいですね。世界中の人に届いて欲しいです!

ありがとうございました!

ai-tanaka13今回のインタビューに際してオリジナルイラストを描いていただきました。
(AYAKA KAWAMATA)
協力:HAPON新宿 http://hapon.asia/shinjuku/

green drinks Tokyo「greenz.jp 7周年大感謝祭!」

2013年8月1日(木)19:30〜22:00開催のNPO法人グリーンズ主催イベント『green drinks Tokyo「greenz.jp 7周年大感謝祭!」』に、代表 山内康裕がゲスト出演します。
greenz.jpとコラボレーション連載中の「マンガ×ソーシャルデザイン」を振り返る予定です。

“イエ充”によるお取り寄せ――グルメマンガの今。

自分の家の中でのんびりくつろぐことを好む20代、30代ーーつまり「イエ好きでイエ充」が増えているという。

ネット環境の向上、ゲーム機、好きな番組が見放題のCS放送といった、室内で過ごすためのハードやソフトも年々クオリティが増しており、外に出なくても楽しく暮らすことができてしまう。「イエ充」はもはや止められない時代の流れであり、今後しばらくは続いていくと思われる。

この「イエ充」の空気を象徴するマンガが、今回取り上げる「おとりよせ王子 飯田好実」(「月刊コミックゼノン」連載中)である。本作は、主人公が週1回のノー残業デーに、毎回違うお取り寄せグルメを楽しむというストーリーだ。取り上げられる食品は、北は北海道の「松坂牛大とろフレーク」から南は佐賀県の「蔵出しめんたい」まで実に様々で、読者を飽きさせない。

コミックスは5月20日に第3巻が発売されており、既に累計25万部を突破している。

また連続ドラマ(メ~テレ、ひかりTV、tvkにて放送中)がこの4月より放映され、注目を集めてきた。飯田好実名義のツイッターアカウントのフォロー数は、番組効果もあり現在1万越えとなっている人気ぶりだ。今年の4月4日から10日にかけては、主人公の住んでいる(とされる)吉祥寺の東急百貨店で、物産展とコラボレーションしたイベントが開催され、こちらも盛況だったようである。

「おとりよせ王子」こと飯田好実は独身で一人暮らし、彼女なしの26歳SE男子である。普段は仕事で忙しいが、毎週水曜日のお取り寄せデーと休日はほとんど家にいる「イエ充」だ。彼のお取り寄せ時のテンションの高さと、職場で黙々と仕事をこなす様とのギャップはこの作品の面白さの一つである。

なぜ、この「おとりよせ王子 飯田好実」が今の時代の雰囲気に合っており、多くの人を引き付けるのだろうか。それは、この作品がグルメ描写と共に若者のリアルな生態を丁寧に描いているからだと考えられる。

彼は、ソーシャルメディアを「家の中で人とつながるツール」として効果的に使用して充実した生活を楽しんでいる。飯田の世代は「プレッシャー世代」(1982年~1987年生まれ)と言われている。社会不況などのあらゆる外圧に耐えて育ち、その結果無駄なプレッシャーから逃れる術を身につけている世代とされ、このように命名された。

メールやSNSなどのコミュニケーションツールと共に成長してきた彼らは、人とつながることを強く意識しており、そのための通信費は惜しまない傾向にある。

飯田はお取り寄せの度に、その食べ物についてTwitterでつぶやくことを習慣にしている。そのセンスが光っていたため、彼のフォロワーは一般人としてはかなり多い。Twitterは人づきあいの苦手な飯田にとって、実生活では発揮できない才能を表す場所になっているのだ。

元来のお取り寄せのコミュニケーションとは、遠方からめったに食べられない食べ物を取り寄せ、誰かと分かち合って食べる、という形式である。しかしこの作品では、自分のためにお取り寄せをし、それを見知らぬ人達に披露するという形を取っている。

これはFacebookといったSNSに自分が食べた料理を写真とともにアップし続けることで、結果的に「実名グルメ口コミSNS」が形成される道程そのものであり、かつ現代における新たな「お取り寄せ」のカタチが描き表されていると言っていい。

飯田が美味しそうな料理の写真と詳細な感想を送った瞬間、フォロワーから続々と反応が届く。部屋の中から世界と、見知らぬ人とつながる奇跡と喜び。煩わしいことを回避し、それを享受することができる家の中は、実に籠りがいのある、居心地の良いシェルターなのかもしれない。

これからも様々なお取り寄せが登場し、読者の目を楽しませてくれるはずの『おとりよせ王子 飯田好実』。今後の展開における最大の関心事は、2巻で表出した「父親との確執」だろう。彼が実家を出た原因が親子の不仲にあることは十分考えられる。またお取り寄せによる「イエ充」ライフを始めた理由もそこにある可能性は高い。

今後、父親という彼にとって最大のプレッシャーとどう対峙していくのだろうか? これはそのまま、若者にもあてはめられるテーマではないのだろうか。イエという、己を守る場所から“外”に出る、あるいは“外”と対峙せねばならない時、どう考え行動していくのか。

飯田はすでに社会人として働いているが、そういう意味ではこのマンガは学生 対 社会という見方もできる。社会、親、大人として抱えなければならないプレッシャー……そういった通過儀礼をどう越えていくのか。居心地のいいイエ充ライフは、どうなるのだろうか。

この作品にはお取り寄せグルメやSNSとリアルでの自分といった、現代になって注目を浴びるようになった物事が描かれているが、根底のテーマはどの時代でも大切な「大人への成長」なのかもしれない。

(kuu)

関連サイト
飯田好実Twitter
イエ充って何?NAVERまとめ

「かくあるべし」に抗する判断とそれができる夫婦の関係

政府が導入しようとして問題になった「女性手帳」。女性の結婚、妊娠、子育て適齢期を意識させるよう提案されたが、「なぜ女性だけ」「人に管理される事柄ではない」と反発の声があがり頓挫することになった。

結婚、出産だけでなく、ワークスタイル、家族のあり方も多様化の一途をたどり、過去共有されてきた「○○かくあるべし」といったソフトロー(明文化されない共通の理想)は次第に通じなくなってきている。

第3巻で完結を迎えた米田達郎の『リーチマン』(講談社)は、ワークスタイルや家族形態の多様化という重いテーマを描きながらも痛快で心温まる作品である。主人公、達郎(英訳:リーチマン)はフィギュアの造形師になるべく会社を辞めた専業主夫。そんな達郎を支えるのは百貨店勤務で竹を割ったような性格の妻・トモエだ。

妻が稼ぎ夫を養うといった夫婦形態については様々な意見があるだろう。しかし、私がここで提出したいのは「男女分業かくあるべし」という議論ではない。反対に「かくあるべし」に抗する判断とそれができる関係についてだ。

例えば2人の結婚。会社を辞め国民健康保険料が払えない達郎。激痛の虫歯を抱えながらも歯医者に行くこともできない。そんな達郎の告白に、トモエは「ほんなら…、結婚するか」と応える。

世間で共有されてきたソフトローに照らせば、これはあまりに逸脱性(アノマリー)に富みすぎている。本来なら結婚のような人生における重大な判断はもっと熟考し、周囲に相談したうえで下すべきなのではないかと誰もが思うだろう。

達郎が会社を辞める際も、本来なら実績も計画も無い中で夢を追うのはリスクが高い。案の定、主夫になった後も彼の造形師としての評価は上がらず、苦悶の日々が続く。

だが、2人のアノマリーな判断が必ずしも読者をあきれさせるとは限らない。ソフトローに基づく「夫婦の姿」や「男女分業の姿」とはかけ離れていたとしても、この2人を見るとなぜか共感し、信頼感に心打たれる。

人間とロボットやコンピュータとの違いとは何だろうか。それは「感覚に基づいたダイナミックな判断ができること」だといわれている。もし、コンピュータが前述の結婚や退職に対して、何がより的確な判断かを求められたとしたらどう応えるだろうか――答えは明白だ。

このダイナミックな判断が生み出される原因は人間独特の「身体性」だという。一般的に、脳は身体を統括しており、身体は環境に対してセンサーとアクチュエータの働きをするにすぎないと考えられている。しかし、脳は自らが効率的に判断できるように情報を簡略(言語)化し処理しているに過ぎず、決してすべての情報を満遍なく処理し判断しているのではないという。

一方、身体は環境から膨大な情報を受け止めている。そしてそれは経験として身体に刻み込まれている。雰囲気やノリの察知、矛盾を孕む判断というのはそうした身体に残された情報をもとに行われるというのだ。

こうしたことは以前より指摘されてきた。坂口安吾がいう「われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、常に肉体を裏切り肉体を軽蔑することに馴れているが、精神はまた肉体に常に裏切られつつあることを忘れるべきではない」(『恋愛論』)とはまさに身体に基づく判断そのものだ。ただ安吾の時代にはマイノリティーだったソフトローからの感覚的な逸脱は今、決してそうとは言えない状況へと変わってきている。

以前は結婚も仕事もソフトローによる「あるべき姿」と照らし合わせ整合性をとることができた。

それはいわば、脳が処理可能な知識を基に下した距離感である。しかし物語の中で達郎やトモエが行う判断は「損してもやるべき」や「この人なら大丈夫」という感覚を重視して下される。

作中、トモエが帰宅すると「ただいま○○○」「おかえり○○○」と駄洒落で出迎える特徴的なシーンが、幾度となく展開される。これは周囲から見ればまったく意味を持たない遊戯でしかない。

しかし、夫婦にとってはお互いの状態を確認しあうために欠かせない約束事だ。のしかかるソフトローに抗する2人の小さな秘密というと大げさだろうか。

『リーチマン』は生活の多様化の中で懸命に生きる夫婦を通じ、他人に押し付けられるのではなく、自らがスタイルを作り上げていく健気さを実感させてくれる応援歌のような作品だ。私たちはソフトローに屈しない彼らの姿に同時代性を感じ、勇気づけられる。

ましてや達郎とトモエの間にある強くてしなやかな絆。ページをめくるごとに何気ないやりとりから深い愛情があふれ出してくる。そして2人の信頼関係の延長線上に読者は置かれる。いつの間にかヒーローでも美男美女でもない2人を家族のように応援してしまう。

そう、彼らと供に生き抜く感覚こそが本作品の魅力なのだ。

参考サイト
Webコミック「モアイ」

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

西島大介:「マンガ」の展示はどこまで可能か?

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「マンガ」はどのように展示できるのか――マンガをアート文脈で捉える機会が増える中、美術館やギャラリーでのマンガの展示方法は模索が続いている。4月6日から6月8日まで東京・墨田のマンション内の小さなギャラリー「AI KOKO GALLERY」で開催された、マンガ家・西島大介氏の「『すべてがちょっとずつ優しい世界』展」は、マンガという複製芸術を見つめなおす西島氏の見方を学びつつ、この問いを考えるきっかけになる挑戦的なものだった。

展覧会は西島氏の新作『すべてがちょっとずつやさしい世界』(出版社:講談社、以下「すべちょ」)をテーマにしたもの。同作は、ある村に「ひかりの木」が植えられ、村の住民の生活や環境が変化していくさまを寓話的に描いた作品だ。東京電力福島第一原子力発電所の事故を思い起こさせ、2013年に第3回広島本大賞を受賞した。

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西島大介氏の新作「すべてがちょっとずつ優しい世界」

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床に広がる原画、いすの上の単行本、壁のパネル画と3層に分かれる

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アパートのドアを入るとパネルが迎えてくれる

展示会には最終日の6月8日(土)に訪れた。ギャラリーに入ってまず驚いたのは、「すべちょ」の原画が床一面に無造作に広げられていたことだ。市販のトンボの入ったマンガ用原稿用紙に、ペンで描かれた絵。写植前のセリフが鉛筆で描かれており、「どちらのセリフか迷っています」など、単行本を読んでいるだけでは目にすることのない、一種の生々しいやりとりが見て取れた。しかも、一般的な原画展のように額縁に入っているわけではないので、気軽に手にできる。

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子どもも原稿に興味津々

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原稿を手に持ち、色むらまでしっかり見ることができる

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原画が敷き詰められた床の両側の壁には、西島氏が今回の展示のために描き下ろしたドローイングが飾られており、部屋の奥のテーブルには「すべちょ」の単行本や過去の西島氏の作品も一部、並んでいた。原画はマンガ家が生み出したオリジナルで非常に価値があると考える私には、床に広がる原画は越えられない川のように思えた。だがギャラリストの小鍋藍子さんの「原画を越えて、単行本や新たに描き下ろした作品を見に行ってください」という声に後押しされ、恐る恐る部屋の奥のほうに進み、ドローイング作品や西島氏の単行本を見ることにした。

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部屋の奥にいくには原画を踏み越える必要がある

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展覧会のために描き下ろした作品が壁に並ぶ

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会場では西島氏のほかの作品も楽しめた

額縁に入った作品は、マンガ用原稿用紙を一度ホワイトで塗りつぶし、その上からポスカで描かれている。原稿に比べて色のムラが少なく、西島氏のやさしい絵柄を十二分に味わうことができた。木製パネルに描かれたものもある。

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パネルは小さな正方形。マンガのコマとの違いを強調する

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展覧会のために書き下ろしたパネルに描かれた作品

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額に入った絵では風景も人気だった

西島氏の絵はいまでもすべて手描きだ。特に「すべちょ」における西島氏の絵柄は、彼の過去の作品よりも線が柔らかくなっているように私には見える。彼の絵柄は、非常に記号性が高い。手描きによるやさしさを含有した線で人物造形をデフォルメ化しているからこそ、「すべちょ」のように巨大な力でコミュニティが崩れていく様子など批評的なメッセージをバランス良く描くことができているのではないだろうか。

通常このような展示会にマンガ家本人が参加することは少ない。だが「西島さんをひとりのアーティストとしてとらえ、彼の考えそのものを展示したかった」(小鍋さん)ことから、無料電話ソフトのスカイプで西島氏と話ができる機会も用意されていた。訪れた日も広島にいらした西島氏にスカイプを通じて展示会や作品の狙いを聞くことができた。

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パソコンを通じて著者と対話も

なぜマンガ作品の展示が、今回のような形態になったのかという疑問に西島氏は「そもそもマンガの原画を展示するつもりはなかった」と断言する。一般的にマンガ作品をテーマにした展示会では、その作品の世界に入り込めるものやネームなどメイキング過程を見せることが多い。だが小鍋さんから「アートとして一点ものを作成してください」といわれたことで、西島氏はマンガとギャラリーで扱われることが多いアートの違いを徹底して考えた。その結果「マンガは複製品の単行本が完成し流通することがうれしいが、アートは一点もの。アートはひとりでも気に入った人がいれば売買が成立して価値がつく。関係性がまったく別のもの」(西島氏)との考えに至った。それがドローイング作品の作成につながっている。もともと西島氏のマンガを知らなくても、ふらりと訪れた人が純粋にひとつのアート作品として気に入ることもあったという。

実は過去に、出版社が西島氏の原稿を紛失したことがある。そのとき版下データさえあれば出版できた経験から、西島氏は原稿に愛着を持ちつつもその金銭的価値には懐疑的だった。「単行本という複製形態のものをつくるための材料にしかすぎない原稿はアート作品ではない」(西島氏)。そのため原稿は床に広げて、あたかも価値がないもののように展示。その原稿より空間的には上部にある単行本やパネル作品に価値があるということをギャラリー全体を使って示したのだ。

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だが彼も原画の価値を完全に否定しているわけではない。「あらゆる価値観を認めたうえで、他のマンガ家の展示を否定したくない」という西島氏。今回の展示会でも来場者にはサイン入りの「一点もの」の単行本がもらえた。「単行本の販売数が増えることで出版社にもメリットがある」(西島氏)。

西島氏はこれまでもマンガ家としてだけではなく、アートディレクターや、「DJまほうつかい」としても活躍している。(DJまほうつかいとして楽曲も発表)。「マンガ家として9年間仕事をしてきましたが、今回、一点物の作品を作ることで、今回少しアートの分野に踏み出しました」(西島氏)。今後はアート分野でもファン層を広げていきそうだ。

過去に別の出版社の展覧会を訪れたとき、マンガ家によって「原画・生原稿」に迫力の違いがあることを実感した。手描きの原稿を見て、印刷物の単行本では伝わりにくい迫力を感じさせるマンガ家がいる一方、制作過程をすべてデジタル化しているため、「原画」が平板な印刷物になってしまっている作品もある。今回の展示会は「トータルの考え方を展示する場こそ展覧会である」という西島氏だからこそ実現したものだ。マンガをアートの流れの中に位置づける動きが増えてきているいま、「何ができるのか」を考える大きなヒントとなるだろう(bookish)。

第4回マンガ・イノベーションcafe「事例から見る新たなマンガビジネスの可能性Ⅱ」

6月21日(金)19:30~21:00開催の第4回マンガ・イノベーションcafeトークイベント「事例から見る新たなマンガビジネスの可能性Ⅱ」に、代表 山内康裕がボードメンバーとして出演します。

ゲストに、漫画家がゲストのネットラジオトーク番組「漫画元気発動計画!」を主宰し初の漫画家主導となるオリジナル電子書籍Domix(ドゥミックス)を進めている漫画家の樹崎聖氏、初音ミクによるオペラ「THE END」プロデューサー東市篤憲氏、をゲストにお呼びして、マンガ業界と異業界の融合、電子化やネットカルチャーの今後、ライブやWEB空間といった場の可能性など、実際の事例を元に新たなマンガビジネスの可能性や課題についてディスカッションをします。

詳細とお申し込みは下のボタンからお願いします。

マンガナイト×OpenCUワークショップ〜同僚を励ます1冊を贈ろう!

2013年6月28日(金)19:00~21:30「マンガナイト×OpenCUワークショップ〜同僚を励ます1冊を贈ろう!」を開催します。「落ち込んだ同僚を元気づける、この1冊」をテーマにみなさんでマンガをシェアします。Loftworkさんが運営する、クリエイティブに関する学習ネットワーク「OpenCU」とのコラボレーション企画です。詳細とお申し込みは下のボタンからお願いします。

業界マンガ、次の一手

編集者や営業など出版関係者や書店員の間で話題となっている『重版出来!』(じゅうはんしゅったい)(「月刊!スピリッツ」連載中)。
3月29日に発売された単行本第1集は、発売からわずか5日で重版が決定。
さまざまなニュースサイトで取り上げられるなどメディアからもプッシュされている、今注目の作品だ。

そして、出版社や書店の動きが細かに描かれているが、“読者の動き”をどう描くか、それが現実に対してどう響くかが、非常に楽しみな作品でもあるのだ。

いまこの作品から目が離せない理由が2つある。1つめは、『働きマン』や『編集王』にはなかった、ネットなどソーシャルメディアを使った”拡散者の拡大”を実現したこと、2つめは、今後これから読者をどのように物語に取り込んでいくかである。

『重版出来!』は同業者なら、全く同じ体験をしていなくても共感できる「あるあるネタ」がいくつも仕込まれている。
営業と編集の部数の駆け引き、不規則な生活による親からの小言など、「あるある」を細やかにストーリーに取り込み、編集、営業、書店員どの位置に立っていても楽しめる内容だ。

このマンガを描くにあたって入念に取材をしているのが作品からよくわかる。だからこそ、同業者ならどの立ち位置であっても思わず肩入れしたくなるのだ。

ひと昔なら、同業を取り込んだところで、口コミで「いい」と広がるしかなかったが、現代ならばソーシャルメディアを使って大勢に拡散することができる。
拡散された情報を見た人が、さらなる拡散者に変化し、波状の輪のように広がっていく。
特に書店員を取り入れたことで、書店の棚でのプッシュ度合いも上がり、売上げに対する効果は大きかったはずだ。

マンガ/ソーシャルメディア/書店員の盛り上がり方はとても興味深い。
発売後は書店員たちが、店での売上げがどのような状態か、店舗にある残りの冊数はどれほどか……これをリアルタイムにTwitterで発信してくれたおかげで、このマンガの勢いをありありと知ることができた。

出版といえば「小説家(先生)」がいて、「編集者」という秘書のような存在が寄り添う、といったイメージが一般にはあったように思えるが、今はそれも昔のこと。
『重版出来!』によってマンガの中でもリアルでも、営業、流通、書店員、デザイナーといったさまざまな存在が改めて浮き彫りになった。

出版業界で働く者を題材にしたマンガはいくつかあるが、最も知られているのは先述の通り『働きマン』と『編集王』だろう。
週刊誌の女性記者をテーマとした『働きマン』では、事件を追う一人のジャーナリストとしての自分/女としての自分の間で揺れ動く姿を描いたりと、単純に記者ではない部分を描き出し、働く女性からの共感を集めた。『編集王』は漫画の世界どのような葛藤や人間関係があるか……という、業界の裏側と一人の働く男としての姿、夢破れた男の再生を熱量をもって描き出したことで、同業者だけでなく一般読者(主にサラリーマン)にも響いた。

この、「同業者だけでなく一般読者にも響く」を、『重版出来!』は今後いかに実現させるのだろうか。

現在発売されている1巻までを読めば、編集者/営業/書店員/作家/アシスタントなど「作り手側」の視点は多角的に出てくる。これを読んだ読者は普段知り得ない業界の裏側を読む楽しさは味わえるが、ソーシャルメディアで出版関係者が盛り上がっているほどの共感はもてていないのではないだろうか。

何をもってして、現在盛り上がっている層と同じところに読者を引っ張ってくるか……これは今後、非常に期待すべきポイントだろう。

もしも、巧みに読者を取り込み、出版関係者と読者が同じテンションをもってこの作品について盛り上がりをみせることができれば、今後の職業マンガや出版業界を描いたマンガに影響を与える、歴史にみる発明品のような、珠玉の一作になるのではと思う。

参考サイト
スピネット/SPINET

kawamata
文=川俣綾加
1984年生まれ福岡県出身。フリーライター、猫飼い。岡田モフリシャス名義で「小雪の怒ってなどいない!!」を「いぬのきもち ねこのきもち WEB MAGAZINE」にて連載中。ライターとしてのジャンルは漫画、アニメ、デザインなど。冒険も恋愛もホラーもSFも雑多に好きですが最終的になんとなく落ち着くのは笑える作品。人生の書は岡田あーみん作品とCLAMP作品です。個人ブログ「自分です。

マンガナイト読書会―思い出の’90年代編

マンガナイトは5月11日、2013年2回目のリーディングイベント「マンガナイト読書会―思い出の’90年代編」を開催しました。

今回の会場は飯田橋駅近くカフェ「CONGRATS CAFE」。
なんと、街中の駐車場の上にあります。なんだかマンガみたいなスペースの使い方です。

会場の「CONGRATS CAFE」 (2)会場内は木目調の机やカウンターでとてもおしゃれな雰囲気です。イベント抜きにしてもゆっくり本やマンガを読みたい場所です。ソファやいすもいい座り心地でした。

まずは持ってきた作品の紹介(ドラゴンボール班)
読書会は代表の山内の挨拶でスタート。今回のテーマは「’90年代っぽいマンガ」ということで、ブースを「少女」「少年」「青年」の3つにしました。

一通り参加者が自己紹介し、持ってきた作品について話すと読書タイム。一気に静かになります。横で持ってきた作品の紹介を聞いていましたが、なかなか時代を反映したものが。月刊コロコロで連載していた小野敏洋氏の「バーコードファイター」、ご存じでしょうか? 90年代当時発売されていた「バーコードバトラー」という電子ゲーム機を題材にしたメディアミックス作品です。男子にはすごく人気だったらしいですよ。筆者もこれに似た玩具(スーパーバーコードウォーズ。ドラゴンボールのキャラクターのカードを使うやつでした)で遊んでいたのを思い出しました。

もくもくと読書タイム回し読みが終わると、それぞれのブースに集まった作品の発表です。もともとマンガナイトの読書会は20代後半~40代、つまり1990年代子どもとしてマンガを読んでいた世代の参加が多く、この時代に出版された作品は人気です。今回はもう少し踏み込み、「そのマンガのどこが’90年代っぽいのか」を考えてもらうことにしました。

「青年班」は’90年代初期から後期にかけてのファッションの変化に注目。例えば「『幽☆遊☆白書』第1巻に登場したキャラクター、桑原和真は明らかに’80年代のヤンキー文化を引きずっている」「『モンキーターン』の女子高生はルーズソックスをはいているが、まだやぼったい」「’94年ごろ出版された『赤ちゃんと僕』にはガングロギャルが登場する」などの意見が出ました。そういえば今の少女マンガでルーズソックスをはいているキャラクターは少ないですよね。昔はみな、はいていたのですが…… 「赤ちゃんと僕」のように会社にガングロ女性が出勤してくる様子もあまり今は見られません。

「YAWARA!」班作品

「少年班」が注目したのはマンガで使われているガジェットや通信方法の変化です。ゆうきまさみ氏の「じゃじゃ馬グルーミンUP!」で待ち合わせをする登場人物らが使うのは駅の伝言板。浦沢直樹氏の「MONSTER」でも主人公は会いたい相手をポケベルで呼び出し、記憶力に優れた登場人物の表現にはフロッピーディスクが象徴的に使われていました。

会場からは「今、フロッピーディスクといわれても、あまり記憶力がよくみえない」と辛辣な意見も。記憶媒体がなくなったら一体読者はこのたとえをどうとらえるのでしょうか。カセットテープやビデオテープもそうですが、デジタル機器を描くのは非常に難しい時代です。ちなみに筆者は伝言板が駅からなくなったとき「シティーハンターは活躍できなくなるのか」と愕然としました。

さらに少年マンガについて、絵が変化していることを説明してくれました。’90年代は顔の輪郭を描くのにすごくたくさんの線を使っていたのに対し、今はかなり洗練されて顔の線は厳選されています。代わりに増えたのは身体や衣服の線だそうです。

「ドラゴンボール班」の熱のこもった説明「ドラゴンボール班」の作品

「少女班」はコミュニケーションの取り方の変化を恋愛マンガを取り上げて説明。現代のようにパソコンや携帯電話はあまり登場せず、特に少女マンガでは直接的なアプローチが多かったそうです。もちろん告白は、ラブレターを渡したり自分の口で告白したり。

「セーラームーン班」の発表「セーラームーン班」の作品

なかなか興味深い指摘が続いたあと、最後は「カズノコGXコーナー」の担当者からお勧め作品の紹介です。少年マンガから少女マンガまで幅広い作品の中から、「喰う寝るふたり住むふたり」や「重版出来!」を紹介してくれました。「喰う寝るふたり住むふたり」はかなり書店で動いているそうです。読むと結婚したくなるらしいそうですが、実際みなさまどうでしょうか。

毎回人気の「カズノコGXコーナー」「カズノコGXコーナー」よりメンバーによる最新のお勧めマンガの紹介

当日は生憎の雨にもかかわらず、たくさんの方にご参加いただきました。みなさまありがとうございます。次回はまた夏ごろ開催予定です。

参加者で集合写真

「ドラゴンボール」、時代を越えるその絵の力

こちらのコンテンツは、PingMagからの許諾を得ての転載となります。
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1980~90年代、全国の少年少女を魅了したマンガ「ドラゴンボール」がいままた日本で人気を集めている。きっかけは原作者の鳥山明氏が原作・ストーリー・キャラクターデザインで参加した17年ぶりの新作映画「ドラゴンボールZ神と神」の上映。主人公の声優をつとめる野沢雅子氏が「キャラクターもストーリーも往年のファンを裏切らない」というように、20年以上前の作品がいまでも通用するのはなぜか。展覧会の原画や作品を見ていると、洗練された絵柄、時代や国境を超える世界設計が大きいのではないかと思う。そしてこのエッセンスは確実に、「NARUTO」など現代の少年バトルマンガにも継承されているのだ。

ドラゴンボールは鳥山明氏が1984年、週刊少年ジャンプで連載を始め、1995年に最終回を迎えた。ジャンプが600万部を超える販売部数を誇った時代を支えた作品のひとつだ。どんな望みもかなう伝説の宝物「ドラゴンボール」を探す冒険物語であり、主人公の孫悟空の成長譚でもある。連載開始当初はギャグテイストが強かったが、徐々に強い敵が増え、「少年バトルマンガ」となった。

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[左]1985年発行の第1巻(旧表紙カバー)[右]1995年発行の最終巻(旧表紙カバー)

新作映画の公開を記念した展覧会「鳥山明The World of DRAGON BALL」では、懐かしいコミック原画200点が用意され、東京会場には多くのファンが訪れた。(4月までに東京・大阪で開催されたほか、7月には名古屋でも開催予定)孫悟空の登場シーン、フリーザとの戦いのシーンなどどれも原画を見ているだけで物語を思い起こさせ、わくわくしてくる。

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2013年3月27日(水)~4月15日(月)に、日本橋髙島屋8階ホールで開催された

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会場内には入場者が「かめはめ波」を撮影できるブースを設置

東京の会場で改めて原画や翻訳版をみると、鳥山氏の描いたドラゴンボールが世界中で受け入れられた理由が見えてくる。1つは国境を越える世界設定だ。ドラゴンボールは中国の小説「西遊記」に近い中華的な世界観をベースにしながらも、海の近く、砂漠、街中へと広がり、地球上のどこの国と特定させない描き方がされている。特に連載が始まった初期のころはその傾向が強い。孫悟空が住んでいるのは中華風の家。でも海の近くに行くと、木造の洋風の家に。広大な大地、個性的な造形のメカニックのあふれた都市。様々なカルチャーがミックスされた様子が背景画を見ているだけで実感できたのだ。だからこそ、世界中の読者が「違う国の話」ではなく「近くにあるかもしれない国の物語」として、入り込むことができたのではないだろうか。

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[左]コミック3巻、[右]第12巻(いずれも新表紙カバー)同じような南国の風景だが、一方アジア、もう一方は西洋世界を想像させる。

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2003年発行「ドラゴンボールランドマーク」、2004年発行「ドラゴンボールフォーエバー」。この他、設定を掘り下げるガイドブックが各種発行されている

もちろんキャラクターの魅力も大きい。登場人物の顔は基本的に、1本のシンプルな線で輪郭が描かれている。1本の線にいろいろな意味を込めて描くのは、複数の線を使うよりも難しく集中力がいることなのだそうだ。この線で鳥山氏がキャラクターを描いた結果、それまでのマンガ作品にはない垢抜けた造形を持つキャラクターが生まれた。「実録少年マガジン編集奮闘記」では「鳥山明らジャンプの新人たちがかくマンガは週刊少年マガジンが築き上げてきたものとまったくちがうとおもった」とかかれている。それは物語の作り方はもちろん絵柄の違いも大きかったのだろう。これは鳥山氏のデザイナーとしての能力も影響しているだろう。あるデザイナーの友人は、「構造からとらえて人物を描いている」と指摘する。鳥山氏は元グラフィックデザイナーであるため、キャラクターの感情や音を表現する擬音についてもグラフィック的な仕上がりを意識しているようにみえるそうだ。鳥山氏自身も「マンガ脳の鍛えかた」(集英社)内のインタビューで、「デッサンをたくさん描いたりした」と答えている。それまでのマンガ家はマンガや絵画を見ながら絵を描く力を鍛えていた。それに対し鳥山氏がグラフィックデザインの素養を持ってマンガの絵を描こうとしたことで、全く違う系統の「マンガ絵」が生まれたのだ。

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[左]コミック41巻(新表紙カバー)[右]コミック10巻 表紙デザインにおいても、グラフィカルなデザインパターンを取り入れているのが分かる

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2010年発行「マンガ脳の鍛え方(集英社)」

その絵の力は読みやすさにもつながっている。鳥山氏は「神は細部に宿る」を実践し、自動車のタイヤの溝の一本一本や、神龍のうろこの一枚一枚、洋服のしわまでまで書き込んでいた。洋服や自動車や飛行機などの機械類などどれをとっても「実際にありそう」と思わせるほどディテールが細かいものだった。天下一武道会のシーンでは、きちんと観客まで描かれ、いかに試合が盛り上がっているかが表現されていた。だがそれでいて、コマの中の情報は多すぎない。ある種、あまり絵を描くことにこだわらず、過不足ない量で抑えていたからこそ、テンポよく読める作品として世界で受け入れられたのだろう。

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2002年~2004年にかけて発行された「完全版」。最終巻は初期版に加筆されている

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[左]コミック28巻(新表紙カバー)[右]1990年発行「鳥山明the world」 ディティールまでこだわったバイクや自動車といった機械や、皮膚の質感まで再現する恐竜などの絵は鳥山氏の特徴のひとつ

このコマの配置も、テンポよく読める要素の一つだ。「マンガ脳の鍛え方」のインタビューでは「コマの構成を斜めにしたり大小、変化をつけたりします」と答えている。1ページのコマの数は4~5コマ、1話の終わりは次につながる印象的なコマを置いて終わる――少女マンガなどの一コマが「静」ならば、鳥山氏の一コマは「動」。全体的にコマの中もコマとコマの間もアップテンポな時間が流れているように感じられる。
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2013年発行「鳥山明The World of DRAGON BALL」カタログ

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1993年発行AKIRA TORIYAMA EXHIBITION「鳥山明の世界」展図録

マンガ評論家の南信長氏は「現代マンガの冒険者たち」の中で「ビジュアルの変革者」という系譜で、鳥山明を取り上げている。「手塚治虫のマンガ的表現にアメコミを加えたスタイリッシュな絵柄」とのこと。「冒険ファンタジー系の作品をかいている作家はすべて影響を受けている」としている。その証拠に、鳥山氏のキャラクターは登場から20年以上たった今、最新のマンガのキャラクターと並んでも遜色ない。映画の公開を記念して、同じ週刊少年ジャンプで連載中の「トリコ」や「ONEPIECE」のキャラクターと一緒に登場するアニメが放送されたが、はまったく違和感がなかった。「宇宙戦艦ヤマト」など過去の作品をリメイクするさい、キャラクターをデザインし直すのとは対称的だ。
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震災支援企画で描かれたイラスト。そのキャラクターはいつの時代も子供たちを元気づける

垢ぬけたキャラクター造形、無垢で純粋な主人公、ペット的な脇役の配置、ギャグとシリアスなシーンのバランス。さらには鮮やかな色使い――ドラゴンボールを構成する要素を考えると、マンガ「ONEPIECE」や「NARUTO」がドラゴンボールの確立したフォーマットを継承していることがわかる。それほど鳥山氏の残したモノは大きかったのだ。

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[左]ドラゴンボール完全版29巻、[中央]ONE PIECE 1巻、[右]NARUTO 1巻

今年3月末に公開された「DRAGON BALL Z神と神」は公開から23日間で動員数200万人を突破。興行収入は後悔から15日間で20億円を超えるなど、4月時点で、2013年公開の映画としては最速だ。映画館には、原作を連載で楽しんでいた世代だけでなく、子供の姿も少なくなく、「♪CHAーLA HEAD-CHA-LA~」とテーマソングを歌っていた。昔の子どもをわくわくさせたドラゴンボールは、そのままの姿で今の子どももわくわくさせ続けている。dragonball12

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。

3.11で思う、風景と私たちの生活との一体性

東日本を襲った大震災から2年。マスコミなどを通じて被災地の風景に触れるとその回復には時間がかかることを実感せざるをえない。
震災が一変させた風景はそれが自然だけではなく私たち、そして私たちの祖先の暮らしによってつくられてきたことを物語っている。
沈下や隆起により地形が変化し失われた風景の大半は、私たちの生活の堆積だったのだ。
風景と人の生活はつながっている——このシンプルだが誰もが忘れがちなことを震災が起こるより前に訴えようとしていた作品が、芦奈野ひとしの『ヨコハマ買い出し紀行』(講談社)だ。

『ヨコハマ買い出し紀行』は人口減少、地球温暖化、文明の後退が進む近未来の関東周辺が舞台。
主人公であるロボット、アルファと周囲の人々の交流を独特のテンポで描く。
この作品はロボットなど多くの人工物が登場しつつも景観というよりは圧倒的に風景的な雰囲気が強い。
それは背景と登場人物の境界が曖昧で、切り離して取り出すことが出来ないものとしているからだ。

登場人物の一人が言う。「私たち音やにおいでできてるんですよ…たとえばなしとかじゃなくて…」。
主人公アルファはウトウトしながらさらりとそれに応える。「知ってるよー」。

自然と身体の境界は曖昧である——『ヨコハマ買い出し紀行』の主人公たちは、これを当然のこととして受け入れることで、豊穣な意味の中を漂うことが出来るのだ。

作中で主人公たちはそれぞれの今を生きている。がそれは同時に世界に生かされているということのようにも感じられる。
世界は自分に大きな影響を与えるかもしれないが、自分も(微力ながら)世界に影響を与えている。
時間の長短、規模の大小こそあれども、それはどちらも受け継がれる風景の一部なのだ。

地理学者オギュスタン・ベルクは東日本大震災を「風土のスケールに近い出来事であった」と述べている。
日本で古くから「景観10年、風景100年、風土1000年」と言い伝えられていることを踏まえての発言だ。
震災のもたらした影響はおそらく『ヨコハマ買い出し紀行』で主人公らが経験した文明の後退より大きなスケールなのだろう。
だが現実の私たちは、「震災前は良かった」という感傷から脱却し、早急に景観をそして風景をつくりあげていかなければいけない。

例えば建築家の伊東豊雄。彼はただ闇雲に震災前の建物や港を再度造るのではなく、風景や風土の視線を取り込んだ「みんなの家」プロジェクトを乾久美子、平田晃久らとともに岩手県陸前高田市で実現させた。
「みんなの家」は、昨年のベネチアビエンナーレ建築展日本館で展示され、多くの来場者の共感を得た。風景を取り戻すという動きがけして小さなものではないことの証左だろう。

日常生活を送る中で、私たちが意識的に風景について考えることはほぼ無い。
震災で意識させられた、風景と私たちの生活との一体性も、忘れられてしまうかもしれない。
だが『ヨコハマ買い出し紀行』に触れることで、読者は自分も世界に組み込まれており、風景の一部であると再認識できるのだ。

『ヨコハマ買い出し紀行』は直接震災を扱った作品ではないが、震災後の行先を考えるうえで重要な要素が埋め込まれられていた。
良くも悪くも時代を先読みする——空想から生み出されるマンガにはときにそんなことがありうるのだ。

関連書籍
『風景という知』(オギュスタン・ベルク)世界思想社
『ここに、建築は、可能か』(伊東豊雄)TOTO出版

文=いけだこういち
1975年、東京生まれ。マンガナイト執筆班 兼 みちのく営業所長。好きなジャンルは少女マンガ。谷川史子、志村貴子作品をマイ国宝に指定している。日々、大蔵省(妻)の厳しい監査(在庫調整)を受けながらマンガを買い続ける研究者系ライター。どうぞごひいきに。

帰属意識は“路線”に宿る

この3月に東急東横線渋谷駅が移転した。

地上から地下5階へ。この歴史的移転をひと目見ようと、地上での営業最終日は東横線渋谷駅が人でごった返し、駅長による挨拶に涙した人も多かった。普段何の気なしに駅を利用していても、この変化に寂しさを覚えた人が大勢いたのだ。

渋谷駅移転について、一連の人々の反応やニュースを見ていると、東京に住んでいる人は無意識に電車や駅、それらを包括する路線に帰属意識を抱き、帰属している路線を愛しているように思う。東京そのものに帰属意識を持っているわけではなく、「地域」よりもさらに細分化された「路線」が対象だ。

たとえば、初めて会う人と「どこに住んでいるか」という会話で盛り上がるのは、地方では間違いなく「市」区切りである。同じ市であれば親近感がわき、そこから出身中学や高校の話題にうつるのに対し、東京で盛り上がるのは「どの路線に住んでいるか」である。居住地区が近くても異なる路線沿いに住んでいるより、地図上では離れていたとしても同じ路線の方が、話が盛り上がる場合が多いのだ。

この帰属意識を人物の心の揺れ動きや成長へと結びつけ、物語へ発展させたマンガがある。『鉄道少女漫画』(中村明日美子/白泉社)は、鉄道ファンに向けた純粋な“鉄道マニアマンガ”ではなく、「鉄道を舞台とした登場人物の日常」に目を向けた鉄道漫画だ。

鉄道が好きな主人公を描いた『名物!たびてつ友の会』(山口よしのぶ/白泉社)『鉄子の旅』(菊池直恵/小学館)など、従来からある「鉄道」そのものへの愛を強調したものとは、毛色がまるで異なる。また、鉄道漫画は、鉄道好きな男性が多い男性誌で出されるのがセオリーだが、少女漫画誌で掲載されているのも特徴といえる。

話を戻して、東京に住む人々の帰属意識について考えたい。なぜ東京に住む人々は、地域ではなく路線に帰属意識をもつのだろうか。

多くの人が移動に電車を利用するため、地域や道路よりも電車の方が生活になじんでいるという点はもちろん、それ以外にも理由は二つある。

一つは電車の特徴である「共有する空間」にある。車で移動する場合、同乗者がいなければ一人の空間で目的地へたどり着くため、だれかと空間を共有することがない。一方、電車は出発地から目的地まで誰かと共有しながら進んでいく。そのため、地方では誰かと共有する空間=「地域(市や町など)」となるのに対し、東京は路線に集約されるのだ。

次に、東京では地域単位ではなく、路線ごとに個性があるからだ。東京にはさまざまな路線があり、蜘蛛の巣状にレールが敷かれ、あらゆる方向へと電車が走っている。停車駅も乗客の“色”もバラバラであり、たとえ同じ駅を停車駅にもつ路線だとしても一方は高級住宅街を走り、一方は郊外に抜ける路線であったりと非常に多種多様のため、一つひとつの路線に個性が生まれている。帰属意識が地域に生まれるのではなく、路線に生まれるのはこのためだ。

東急東横線渋谷駅の件だけでなく、小田急線東北沢駅〜世田谷代田駅が同じく3月に地上から地下3階へ移転する際も、駅舎の最終営業日に人々がつめかけ、ニュースで大きく取り上げられた。気づかれることのなかった帰属意識が、駅舎移転というイベントよってあらわになったといえる。この一連の出来事によって、読者の心をつかむ「鉄道漫画」の存在はより色濃くなっていくのではないだろうか。

『鉄道少女漫画』は都心の新宿から観光地として名高い箱根湯本、またデートスポットとして知られる片瀬江ノ島まで通っている「小田急線」を舞台にした短編集の漫画である。

物語は実在する小田急線の駅を舞台に進行していく。地下/地上なのか、急行は停車するのか… こうしたリアルのエッセンスがマンガの中にちりばめられている。髪の毛一本一本まで美しい繊細な描写と、その細やかさの中に描かれる軽やかな空気感は、小田急線沿いに住み日々を送る登場人物たちに、そこに住んでいなくともノスタルジックな感慨と、そして同族意識に似た愛おしさすら喚起させる。これこそが『鉄道少女漫画』が他の鉄道漫画と一線を画す部分だ。

東急東横線渋谷駅は、駅舎移転によって東京メトロ副都心線と接続し秩父や川越まで1本で行けるようになった。ここでどんな帰属意識の変化が起きるのだろうか。それはこれから楽しみな部分であり、これを題材にした鉄道漫画もいつか出てくるのでは、という期待に胸がふくらむ。

東京の路線は少しずつ変化していく。そのたびに私たちの帰属意識のありかも変化していく。今日、自分と同じ電車を利用している同乗者の日常ドラマに、思いをはせてみるのもいいかもしれない。

(kukurer)

関連書籍
新刊『君曜日—鉄道少女漫画2—』(白泉社/1月発刊)
『鉄道少女漫画』に収録されている「木曜日のサバラン」のスピンアウト作品。

【告知協力】立川市子ども未来センター「まんがぱーく市」

「マンガナイトの本棚」を設置している立川市子ども未来センターまんがぱーくで6月2日(日)、7月7日(日)、7月21日(日)に、まんがぱーく市が催されます。施設内のマンガナイトの本棚とともにお楽しみください。

第3回マンガ・イノベーションcafe「事例から見る新たなマンガビジネスの可能性」

【告知】5月22日(水)19:30~21:00 開催の第3回マンガ・イノベーションcafeトークイベント「事例から見る新たなマンガビジネスの可能性」に、代表 山内康裕がボードメンバーとして出演します。

ゲストに漫画家の鈴木みそ先生、京都国際マンガ・アニメフェアのプロデューサー和田昌之氏をお招きし、ネットでマンガを販売していくにあたり、どのようにコミュニティを形成していくのか。また、地域とコラボレーションした漫画やアニメイベントなどのリアルコミュニティは今後どうなっていくのか等、ディスカッションをします。お申し込みはリンク先からお願いします。

【告知】5月24日(金)、25日(土)「太陽と星空のサーカス」に出店します

【告知】5月24日(金)、25日(土)「太陽と星空のサーカス」ワンダーバザールに、ブックピックオーケストラと共同出店します。マンガナイトは、セリフで相手に「気持ち」と「おすすめマンガ」を贈る新作プロダクト「Comic Leaf」を、マンガ付きで販売します。マンガは、あなたが贈りたい相手にピッタリのものをセレクトします。

「mangaな展」ワークショップ

2013年5月27日(月)〜6月2日(日)開催のマンガナイトの企画展「mangaな展」、最終日の6月2日(日)に、参加者同士でマンガを贈り合うワークショップを行います。

参加のお申し込みは下記のフォームからお願いします。

まずは、マンガナイト厳選のグルメマンガからお好きな1冊を、ある仕掛けによって直感的に選んでいただきます。そしてその作品から、印象深いセリフを抜き出します。

mangaな展ワークショップここで登場するのは、セリフで相手に「気持ち」と「おすすめマンガ」を贈るマンガナイトの新作プロダクト「Comic Leaf」。

セリフやその作品を、Comic Leafを用いて、心動かされたエピソードやグルメマンガならではのメニューとともに参加者同士で共有。

最後には、共有した中から気になった作品を1冊、お持ち帰りいただきます。

マンガナイトが新たに提案する「マンガの贈り方」「マンガとの出会い方」を体験してみませんか?

日時
6月2日(日)14:00~16:00
スケジュール
14:00 1冊選書と導入(「Comic Leaf」の紹介・使い方含む)
14:15 選んだ作品の読書~セリフを抜き出しComic Leafに記入
15:00 Comic Leafを用いて新たに1冊選書~参加者で作品を共有
定員
20名(予約先着順)
参加料
1,500円(マンガ1冊とComic Leaf付き/ドリンク代別途)
会場
水道ギャラリー(酢飯屋併設)
112-0005 東京都文京区水道2-6-6
TEL: 03-3943-9004


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マンガナイト企画展「mangaな展」

2013年5月27日(月)〜6月2日(日)、マンガナイトの企画展「mangaな展」を水道ギャラリー酢飯屋)にて開催します。

mangaな展
会場ではマンガ表現からインスパイアされたさまざまなプロダクトを展示しています。また、マンガナイトのお勧めグルメマンガの紹介もしています。

6月1日(土)夜には、併設の酢飯屋にて食のイベント「寿司漫画ナイト」も開催しています。
6月2日(日)午後は、参加者同士でマンガを贈り合うワークショップを行います。

営業時間
5月27日(月)~30日(木)11:30~17:00
5月31日(金)、6月1日(土)11:30~22:00
6月2日(日)11:30~16:00
会場
水道ギャラリー(酢飯屋併設)
112-0005 東京都文京区水道2-6-6
TEL: 03-3943-9004


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【6月1日(土)】寿司漫画ナイト

あの寿司漫画に登場するようなお寿司を、グルメ漫画とともに楽しんでいただく「寿司・酢飯屋」との食のコラボレーションイベント(マンガナイトが企画サポート)です。

詳細と参加お申し込みはこちら

お持ち寄り頂いたグルメマンガをみなさんで共有したあとに、マンガでしか見れないような、あっと驚くお寿司まで食べれてしまうという内容です。

寿司・酢飯屋

使う食材や道具は可能な限り現地に足を運び、五感で確かめると言うことにこだわりのもと、月に一度は日本各地に旅に出ている寿司職人 岡田大介さんが、弟さんと一緒に完全紹介制、完全予約制の店として元お豆腐屋さんの古い一軒家を改装し営業されているお店です。

基本情報

日時
2013年6月1日(土)19:00~22:30
場所
『酢飯屋』 文京区水道2-6-6
最寄駅
地下鉄 有楽町線 『江戸川橋駅』 4番出口から徒歩3分
会費
5,000円(お酒代は別途)
持ち物
イチオシのグルメ漫画1冊
定員
20名(先着順)
※ 詳細とお申し込みは寿司・酢飯屋のホームページからになります

脱構築されたバンド・デシネが生んだ新しい表現世界

2012年から相次ぎ欧州やアメリカのマンガが日本に紹介されている。

これまで数多くの日本のマンガ家に影響を与えてきた海外のマンガ作品だが、最近はマンガ以外のエンターテインメントにも影響を広げている。新しい文化の流入で日本のマンガにも進化が期待できそうだ。

その端緒がフランス語圏のマンガ「バンド・デシネ(BD)」にインスピレーションを受けたゲームソフト『GRAVITY DAZE 重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動』だ。

『GRAVITY DAZE』は2012年9月に発売したソニー・コンピュータエンターテインメントのプレイステーションVita用ソフト。架空の都市を舞台に、主人公のキトゥンが重力を操り、嵐に奪われる街を取り戻そうとするアクションゲームだ。Vitaのジャイロセンサー機能を使い、重力を操作しているかのようにキャラクターを動かすことができるのが特徴で、2013年メディア芸術祭のエンターテインメント部門で優秀賞を受賞した。メディア芸術祭のホームページでは受賞理由を「重力を操るという新しい快楽のあり方を発明した」としている。

一見普通のグラフィックが美しいアクションゲームに見えるが、開発者の外山圭一郎はメディア芸術祭内で開催された講演会で、その開発のきっかけになったのはフランスのバンド・デシネ作家、メビウスの作品を見たことだと説明。「メビウス氏の鮮やかな空間にインスパイアされた」といい、欧州的な風景の中にキャラクターが浮いている絵を思いついたという。

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さらにアクションシーン以外のストーリー展開はバンド・デシネのようなコマ割りで進む。しかもゲーム本体を傾けると2次元だったコマが2.5次元になるという工夫までされているのだ。

バンド・デシネはフランス語圏で出版されるマンガの総称だ。子ども向け冒険物語からSFまで幅広いテーマを扱っている。日本のマンガに比べて絵の表現に重きを置いた作品が多い。週刊誌や月刊誌に掲載された連載作品がコミックスになる日本に対し、最初から単行本の形で発売されるものがほとんどだ。

バンド・デシネはこれまで何度か日本に紹介されており、『AKIRA』作者、大友克洋らの表現にも影響を与えたことで知られている。大友は「ユリイカ」3月臨時増刊号「世界マンガ体系」のなかのインタビューで「バンド・デシネの作家の描くSFの世界にあこがれた」と話している。このフレンチコミックが、日本のマンガだけでなく、家庭用ゲームの表現にまで影響を与えていたのは驚きだ。

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これまでマンガとゲームが必ずしも断絶していたわけではない。むしろ愛好家の層が一部重なり合うなど関係は深い。だがその関係は、「ゲームをマンガ化する」「マンガのキャラクターをゲームに使う」「ゲームを楽しむ人をマンガにする」など。あくまでゲームとマンガというそれぞれの分野を、相手の分野で拡張するだけにすぎなかった。

もちろん拡張により登場したすばらしい作品も多い。ゲームのマンガ化では『ポケットモンスター』があげられる。元は任天堂が発売した『ポケットモンスター』というゲームだったが、子供向け幼年誌でマンガになり、アニメ化されることで世界的なキャラクターに成長した。ゲームを楽しむ人を題材にした作品では、すがやみつるの『ゲームセンターあらし』(小学館)や押切連介『ハイスコアガール』などだ。後者は1990年代のゲームセンターや家庭用ゲームのヒット作を紹介しつつ、ゲームを楽しむ男の子の青春と恋愛をうまく描いている。

これらと『GRAVITY DAZE』が違うのは、一見してこれがバンド・デシネというフレンチコミックの影響をうけたものだとはわからないことだ。開発者らの話を聞けば、その根底にバンド・デシネの表現方法やアニメーション作成の手法が活用されたことがわかる。だがそれらの世界観や手法が開発者らのなかでいったん咀嚼されたうえでオリジナル作品としてユーザーには提示されているのだ。外山は「バンド・デシネのままでは難解すぎた」といい、日本のキャラクター文化を組み合わせた。


「4Gamer .net」より

この過程は、これまでの日本マンガの進化と重なる。これまで日本マンガは古今東西の小説や映画、舞台芸術から様々な物語や表現方法を取り込み進化させてきた。手塚治虫氏の初期の作品では、当時の洋画に影響を受けたものが多い。週刊少年ジャンプで連載中の『ONE PIECE』の作者、尾田栄一郎も映画監督の黒澤明の作品の世界観に影響を受けているといわれている。もちろん、古今東西の作品を深く咀嚼し、自分のものとして新たな表現としている。

そのようにして歴史を積み上げてきたマンガが、逆に他のエンターテイメントである家庭用ゲームに同様の影響を与えることになったのは、マンガという文化が世界中で深化した証左といえるのではないだろうか。

日本のゲームに影響を与えたのが日本産のマンガでなかったことは悔しいが、マンガという表現方法がゲームに対してまだ貢献の方法があるということなのだろう。今後もそうあってほしいし、マンガという表現方法や業界も、海外進出を視野に入れた開発を進めるゲーム業界から多くのことを吸収できるのではないだろうか。

関連サイト
『GRAVITY DAZE 重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動』(ソニー・コンピュータエンタテインメント/プラットフォーム)

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。