2010年から、日本は国を挙げてポップカルチャーを主としたソフトを海外に打ち出してきた。その中でもマンガやアニメは海外でもポピュラーなものだろう(日本以外でこの記事をご覧の読者、いかがだろう?)。一方、「ガイマン賞」や「海外マンガフェスタ」の開催を筆頭に、日本以外の国のマンガを日本で広げる動きも活発化の兆しが出ている。
それでも、まだまだこれから。「国境を越える」という言葉では無く、そもそも越えるものなんて無い状態ーー「フラット」になれたならば、マンガもバンド・デシネもアメコミもマンファももっともっと、読者との素敵な出会いが生まれるに違いない。
それをごくごくナチュラルに実現している漫画家、ケン・ニイムラのこれまでと現在に迫った。
とにかく好きで、自然と続けていた
物心ついた時から気がついたら何か描いていました。とにかく本が好きで、紙にマンガを描いてホチキスでとめて一冊にまとめるのを楽しんでいて。なぜ好きか、というのはあまり考えたことが無くて、とにかく好き!です。
生まれてからずっとスペインでしたが、父の帰省に合わせて、父の実家がある日本には2年に1回くらいの頻度で行っていました。大学を卒業するまではずっとスペインですね。
小学校の授業で足を運んだことはありますが僕は全然良さがわからなくて(笑)、もちろん良いもの、優れたものだという認識はあったんですが「ふーん」みたいな。油絵や絵画って、トーンが暗かったりして、小学生じゃそういうの楽しめないですよ。でも、デッサンは好きだったので10歳くらいからレッスンを受けていました。高校も美術の学科があるところを選んで……方向性はずっとそんな感じです。
今でもあの頃と、気持ちとしては同じなんです。だからガラッと何かを変えたわけではありません。でもいうならば、本格的にやり始めたのは15歳。友達とテーマを決め、読み切りを描いて同人誌にするのを7年ほど続けていました。
そういう活動をしているうちに、大学2年生の時にスペインで商業デビューしました。それは日本のコミックスのような形ではなく、32ページくらいのどちらかというとアメリカのコミックブックに近い読切りを描いて、他に作品を5作ほど。でも、やっぱりこれまでの延長線上にあるもの。「プロ漫画家になったぞ!」という気持ちではなく、もっともっと勉強したいと感じました。大学の美術科では専攻を選ばなくても良かったので、写真、デザイン、クロッキー、油絵、なんでも勉強していきましたね。「マンガ家になりたい」という気持ちはずっとありましたが、それでうまくいくとは限らない。ここできちんと幅広く勉強しておけば、漫画家として生きていけなくても別の仕事をしながらマンガを描けると思って。在学中、絵本の勉強ができるベルギーの美大に短期留学したこともありました。
『I KILL GIANTS』がつなぐ縁
スペインにも日本のコミケやコミティアと同じように、「サロン・デル・マンガ・デ・バルセロナ」といったいくつかコミック・コンベンションがあり、そこに友達と一緒に出展していたんです。そのコンベンションの一つで『I KILL GIANTS』原作者のジョー・ケリーさんに声をかけて頂いて、作画を担当することになりました。パリに滞在しながら1年かけて描き上げて、2009年に出版。ここから3〜4年が漫画家として色々な学びがあった期間でしたね。この作品のおかげでフィンランド、イタリア、アメリカなどさまざまな国のコンベンションに招待して頂きました。
そうなんです。マーベルでジョーさんと『スパイダーマン』などスーパーヒーローもの短編を描いたりしていたのもこの時期。初めての経験も学びも多く、とても楽しい期間でした。ですが結果として思ったのは、細々と作品を出すのはとても勉強になるけれど、キャリアとして考えると厳しい。もっと自分を試せるチャンスが必要だと思いました。それが、日本に行こうと思ったきっかけでした。
作中のページを日米版で比較してみた。日本語訳すると文字数が増えるため、フキダシが大きめになっている。フキダシ内の余白も日本版のほうが広めだ。ニイムラさんは原稿を手描きで仕上げた後にスキャンし、Illustratorでフキダシのレイヤーとコマの枠線のレイヤーを重ねる作画方法をとっているため、このような後からの調整が可能だった。
正確には、24歳の2006年に大学を卒業してパリへ行き2009年まで滞在し、海外をブラブラしてから2011年9月に日本へ渡った、という流れです。パリではスペイン向けWEBサイトに向けて、パリのカフェやショップなどの情報を発信したりエッセイマンガなどを描く仕事をしていました。
もともと行き来があってなじみのある国だったので、どんな国がわかっていたので安心だったというのと、マンガに対する仕事の仕方の違いです。バンド・デシネの作家には編集者が制作中の作品に対して口をあまり挟みません。最初に何を作るかのみ打ち合わせたらあとは作家が完成まで持っていくのみ。僕にとってこれは、きちんと面白いものを作れているのか不安が残る進め方なんです。
一方日本では、ストーリーも作画も編集者と密に打ち合わせをして一緒に作る。この方法が合うな、と感じました。『I KILL GIANTS』を描いていた時もアメリカの編集者は僕の作画に何も介入してこなくて、これは普通、“親切なこと”なんですが、僕はとても不安で。もちろん自分一人だけで完結できる作家は大勢いて、そこでいい作品を作れるのは天才だと思うし、純粋にすごいと感じています。ただ、僕はそのスタイルじゃなかった。
ニイムラさんの作業部屋。昭和レトロな雑貨やインテリアなのが印象的だ。少し古めかしいものが歴史を感じて好きなんだそう。子供の頃も、同級生が話題にするような流行の音楽より、親世代がよく聴くものが好きだったという。
日本のマンガ制作スタイルで、作品を描く
ネームを描いて、編集者に見せて、色々と相談してやり直したりもして……OKだったら原稿を進める。このスタイルで良いものができているなという実感はあります。少なくとも前よりは……あくまで個人的に、ですけどね!(笑)前よりも脚本も書けるようになったというのは、確実にありますね。
線を全て筆で描いた第5話の原稿。女性の髪、光の方向などが丁寧に描かれている。
第9話の原稿。この時も筆を使って描かれており、雨、川、人物、建物などより洗練された印象だ。
『へ/ン/シ/ン』では読みやすさに集中していますので、今回はあまりしていませんが、『I KILL GIANTS』では映画っぽく描いています。ラストシーンとの対比になるよう影も多めに、ダークに。使っているのは線を描くペンとベタ用の日本の筆で、書道で使う筆にインクをつけて使っていました。あとはパソコンでグレーのトーンをつけました。原稿用紙は水彩用の紙を使って、印刷された時に少しテクスチャーが出るようにしています。Photoshop的にいうなら、ノイズが出るように。キレイすぎると作品に合わないと思って、作品に合った情報量になるようにしています。200ページくらいの作品自体が初めてで、それを同じ手法で貫くのも初めて。僕にとってとても実験的でした。
うーん、難しいのですが、何かコミュニケーションが絡んでいるもの。言葉が通じないからわからない、じゃなくて、語らなくても通じ合えるものがある。それは日常のささいな中にもあって、そこを描いてみると楽しいと思うんです。通じ合えないこともあるからこそ楽しい。
アイデアスケッチ。「考え事をする時は、日本語、英語、スペイン語どれでも。その時に合わせて」だそう。スケッチから察するに、静止画で考えるよりも映像が頭の中に流れているようだ。
第11話のラフ。「猫を飼いたいが飼えない」というニイムラさんのむずむず、わくわくした猫への愛とキュートな妄想が伝わってくる。
まずは『へ/ン/シ/ン』の単行本と来年スペインで出る短編集を仕上げることに注力します。あとは新しい作品の準備を始めたいと思っています。みなさんに面白いと思ってもらえるようにしたいですね。
ニイムラさんにインタビューをしてみてわかったのは、マンガを描くということがごくごく自然に彼の中にあるということ。それが許される環境があれば、そこへ行く。冒頭でも述べたように、日本を含めさまざまな国々が互いのコンテンツを広げようとしているが、作り手の視点に立ってみるのもいいのではないだろうか。作り手にとって「作品を生み出せて、生活できる環境があればどこへでも」という考えは、おおいに“アリ”。海外で活躍する漫画家が日本で存分に活動できる場を整えてみれば、マンガやアニメ業界にも新たな展開も期待できるのではないだろうか。(2013/12/23)