娯楽と社会的メッセージと

暗殺教室

娯楽のひとつであるマンガ。ともすれば「おもしろい」だけで終わってしまいがちだが、現実社会へのメッセージを読み取ることのできる作品もある。そのひとつが『暗殺教室』だ。娯楽と社会性の両立は、作品の奥行きを深めている。

『暗殺教室』は2012年に週刊「少年ジャンプ」で連載が始まり、現在単行本2巻まで刊行されている。

舞台は現代の私立学校。成績などでクラスが分けられており、劣等感の強い「E組」に、世界を滅ぼす力を持ち、各国が狙う暗殺のターゲットが「先生」となる。第1話の冒頭で、クラスの全員が挨拶の合図と同時に銃を向ける表現が象徴するように、E組の生徒らは国の訓練を受けつつ暗殺をねらうことになる。

「世界の滅亡」「暗殺」「子供が世界の救世主」と、一見トンデモ世界の設定。暗殺のターゲットとなり、「殺せんせー」と名付けられた先生は、つるりとした丸い頭、8本の手足と、およそ人間離れした外見で、マンガを娯楽として楽しむ要素も高い。

だが、学校内に存在するヒエラルキー、いつ自分が最下層に転落するかもしれないおそれなど現実社会の厳しさを正面から描いているところが読者を物語の中に引きこむ。「教室内(スクール)カースト」(鈴木翔氏)が描くように学校内のヒエラルキーはすでに絵空事ではない。大人の社会も「格差社会」といわれ、リストラなどでいつ自分が最下層に転落するかわからない不安定さ。そのような境遇におかれた現代人に、この作品は身につまされるものとして訴えかけている。

組織の中に当然発生するヒエラルキーや格差を冷徹に描きつつ、けして後味が悪くないのは、その現実への解決策のひとつを提示しようとしているからだ。それが対立する「殺せんせー」によるE組生徒らの底上げだ。「暗殺」という課題を与えられた「E組」の生徒は、殺せんせーを暗殺対象として狙いつつ、その殺せんせーから一般教科を習うことで、暗殺技術という武器だけでなく、「第二の武器」=成績の上昇などを手にするのだ。もちろん、どんなに能力が高くてもひとりでつっぱしっては目標を達成できず、周囲の同じ目的を持つ仲間と連携することの重要さも描かれる。

生徒たちはけして超人的な能力を持たず、自然に殺せんせーとの勝負は頭脳勝負が中心になる。人気のある少年マンガ『ONEPIECE』や『HUNTER×HUNTER』ではバトルモノであるためどうしても最後は物理的な力と力のぶつかり合いになる。だが暗殺教室では、暗殺しやすい場所に殺せんせーを追い込むためのコース設計が修学旅行の課題になるなど、頭脳や知恵を使った戦いの面白さを描く。生徒たちは情報収集の必要性も自然と学び、男女の区別なく力を発揮できる。『ドラゴンボール』や『北斗の拳』などはいかに肉体的力を高めていくかが勝負の決め手になっていたが、『ジョジョの奇妙な冒険』以後、力技だけではない、頭脳勝負を主眼に置く作品も出てきており、ジャンプの伝統のひとつでもある。

けして超人ではない、自分と近い存在が周りと協力して一つの目標に向かっていく———小中学生の時にこれを呼んでいたらどのような感想を持つのだろうか。大人が共感できる作品だが、こどもに読ませたいと思える、直球の少年マンガという側面も強い。娯楽と社会性の両立こそ、もともと子ども向けメディアとして成長してきたマンガの真骨頂だろう。

情報誌「おとなファミ」に掲載された著者へのインタビューの中では、どのように終わらせるかのアイデアもあるそうだ。週刊少年ジャンプのセオリーである「友情・努力・勝利」のうち「勝利」はまだ出てきていない。殺せんせー、生徒、両方にとっての「勝利」をどう描くのか楽しみだ。

文=bookish
1981年生まれ。「ドラえもん」「ブラック・ジャック」から「週刊少年ジャンプ」へと順当なまんが道を邁進。途中で「りぼん」「なかよし」「マーガレット」も加わりました。主食はいまでも少年マンガですが、おもしろければどんなジャンルも読むので常におもしろい作品を募集。歴史や壮大な物語をベースにしたマンガが好み。マンガ評論を勉強中。マンガナイト内では「STUDIOVOICE」のコラムなど書き物担当になっています。マンガ以外の趣味は、読書に舞台鑑賞。最近はサイクリングも。