高校まで義務教育となった近未来の日本のような所=極東の、「普通」からこぼれてしまった問題児ばかりが集まる高校を舞台に、彼ら魂をかけて送る奇妙で熱い学園生活の中のドラマを描く。なんだかうまくいかない感に苛まれていた大学時代に読み、火傷しそうな、血が出そうな「青春」の物語に圧倒され、救われた気がした。マンガってこんな表現もできるんだ、と思わされた作品でもある。作中の「『死にたい』は『生きたい』だ」「冬のように生きても、春は来る」といった台詞は、つらい時の心にいつもこだまする。
となりのロボット
人工知能(AI)やロボットが、身近な存在になった現代。IBMの人工知能「ワトソン」などが登場し、工場や販売店では、ロボットと人間がすでに一緒に働く。最後に残されている領域が、人間同士の感情のやりとり、例えば恋愛だ。人工知能(AI)を組み込み「だいたい人と同じことができる」ロボットと、少女の交流を描いたこの作品は、この最後の領域を描き、「相手を思う/恋愛とは何か」という本質に迫っている。
AI搭載ロボット「ヒロちゃん」に告白した少女「チカちゃん」。もちろんヒロちゃんはこの感情を「データ」としか受け入れられず、チカちゃんは「わかってくれない」と思い悩む。「人間とAIという違い」と思いがちだが、実はこうした感情のすれ違いや不釣合いは人間同士でも起こりうる。他人である以上、相手の感情や思いをすべて正確に理解できるわけではない、と読者は突きつけられるのだ。
こうした「感情のつりあいをどう確認するのか」という問いに対し、作者は「どれだけ相手と時間を共有したいか」という答えを示す。実際「ヒロちゃん」はチカちゃんに会えない間、再開したときデータを蓄積できるように作業領域に空きを作っていた。人間に近づくように作られたからこそ、自分の中で優先順位をつけ、「世界で一番好きな相手」のために自分の中に時間とスペースを作るのだ。そんなヒロちゃんに対し、チカちゃんも可能な範囲で自分のすべての情報を伝えようとする。
数多くの「恋愛」が描かれたマンガでも、「好きな相手はどう判断するのか」という基準は明確に示されてこなかった。「相手とできるだけの時間と情報を共有したい」―データを収集できるAIを相手にしたからこそ、恋愛を頂点とする一対一の交流の究極の判断基準のひとつが浮き上がってきた。作品を読み終わって周りを見渡せば、あなたの「一対一の関係を築きたい相手」が見つかるかもしれない。
黒博物館 ゴースト アンド レディ
近代看護システムを作り上げたフロレンス・ナイチンゲールを中心に、己の意志で人生を作り上げるく人の姿を描く秀作。親の反対で、看護の道に進む覚悟が揺れていたフロレンス。だがゴーストのグレイがフロレンスの覚悟を揺らしていた「生霊」を殺すことで、で自分の意志を押し通し、満足する生を全うする。グレイが、生前なし遂げられなかった祝福の「something four」をフロレンスに与え、彼女が天に召されるシーンも感動的だ。
物語が描くのは「人の生き様を妨げるものは『やめておこう』と自分を殺す心。それを押さえ込んで生きてこそ満足な人生」という熱い主張。フロレンスの場合は、グレイが殺してくれたが、多くの人は自分で押さえつけるしかないーーそんなことを痛切に感じさせる。
緋色の椅子
高校生のときにはじめて読み、外にいたにもかかわらずに泣いてしまった思い出がある漫画です。「夏目友人帳」の作者が描く、ある王国の玉座をめぐる物語です。田舎の村で生まれ育った少年ルカリアは王家の妾腹だと判明し、王位を引き継ぐため王都に旅立ちます。その少年の幼なじみの少女セツは、数年後に彼を追いかけていきますが、そこで出会ったのは偽物の人物でした。セツは本物を見つける旅に出ます。だんだんと伏線が判明していく冒険ものの楽しみもありながら、登場人物たちのこころの揺れ動きにぐっときます。特に真の黒幕が判明したときに、その人物を責めることができるのかを、ぐるぐる考えさせられました。
大阪ハムレット
「お笑い好き」「ノリ重視」「賑やか」「せっかち」。生まれも育ちも関東の私が、個人的に抱いていた「大阪人」のイメージはこんなところでした。このマンガは、そこに「世話好き」そして「あたたかい」の2語を加えてくれた作品。親との関係、近しい人との別れ、恋愛、自分の未来…。大阪という街で様々なことに思い悩む、ごく普通の(あるいは、普通よりも少し不運な)人々を、独特のパキッとした描線と抑制の利いたテンションで描き出した本作には、『少年アシベ』で有名な作者の鋭くも慈愛に満ちた人間観察眼が光ります。おじいちゃんが孫の境遇を想って泣きながら言う、「子供は毎日、幸せにしたらなアカンのに」という台詞が胸に迫る!
からくりサーカス
疲れて、足を止めたくなったとき背を押してくれるのは、逆境に負けずに進む人物の姿。「ではどうすれば進めるのか」という疑問に、「からくりサーカス」は才賀勝ら登場人物の生き様を通じて「他人の視線を受け止める」というひとつの答えを提示してくれます。
キャラクターの一人がシェイクスピアの言葉を引用して曰く「この世は舞台、ひとはみな役者」。この言葉が象徴するように、からくり人形らとの闘いという物語全体を通じて、重要な舞台を「サーカス」に設定。あたかも登場人物らはサーカスの舞台で精一杯自分の人生を演じ抜こうとしているようです。だからなのか、作品に登場するキャラクターのうち、成長して勝利をするのは、舞台にいることを意識し、他人の視線を受け止めて背筋を伸ばして前を向こうとする存在。逃げ回ることをやめた才賀勝も、当初は他人の活躍を見るだけだったが、少しずつ自分も見られる存在となっていきます。「自分なんか」と思ってしまったとき、この作品を読めば「誰かが見てくれているかも」と思い、もう少しだけ生きて前に進もうと思わせてくれるかもしれません。時間軸や古今東西の名作からの引用、伏線の使い方も見事なので、複雑な物語構造が好きな方もぜひ。
いつかティファニーで朝食を
個人的に「アラサー女性が共感してしまう漫画」の一つ(他には東京タラレバ娘、おんなのいえ等)。他作の主人公たちが恋愛や仕事で「女としての戦い」に意図せずのせられて、ひとり心をえぐられていることが多いが、本作は既婚者や地元に戻る友人、彼がいない後輩など異なる境遇間で朝食をきっかけに「悩みの共有」を経てサクッと元気になるキャラクターたちの絶妙なフィクション感が魅力。「わたしも朝食食べてまた頑張ろう!」と前向きになれるので、ぜひ疲れた夜には思い出して読んでみて欲しい。
クロ號
かわいらしい絵に反して、猫たちの生活を真実のままに、優しく時に残酷に描いたこの作品。こんなにも猫に厳しい猫漫画は初めてです。モーニング連載時から読んでおり、最初は普通のネコエッセイ漫画かと思っていたら、突如として人間に蹴られたり、脚を切られたりするので、そのような回を読んだ後の一週間はずーーーんっっと気分が落ち込みました。もちろん残酷なだけでなく、飼い主達とのご飯を巡る攻防や、恋人猫達との恋愛、仲間猫たちの友情などもおもしろおかしく描かれており、にんまりする回も多いのでご安心を。外猫の自由か家猫の安心か。猫にとっての本当の幸せが、はたして何であるのかは知る由もありませんが、とにかくまた猫と一緒に生活したい!と強く思える作品です。ここでこのような主張をするのはちょっと違うかな、とは思うのですが、猫や犬と暮らしたいな、と思う方はペットショップやブリーダーからではなく、保護施設などから引き取ると幸せな猫が増えると思います。ペットショップに行く前に一度のぞいてみてはいかがでしょうか。生体売買が少しでも減る事を、切に願います。
ニューヨーク・ニューヨーク
「Fuck!」「Shit!」を連発する線の太いガッチリとした登場人物たちに、とにかくカルチャーショック…!中学時代、初めて読んだゲイをリアルに描いた作品で、刺激的な性描写や容赦ない展開に圧倒されました。しかも海外(NY)が舞台。主人公のケインは警察官で、完璧な男社会のなかでゲイであることを隠して生きています。ケインの運命の人となるメルは金髪の美青年。彼が生きていくために経験してきた壮絶な過去や、マイノリティとされる人たちの疎外感など、生々しく胸に迫ること必須。「羊たちの沈黙」を連想させる猟奇的殺人事件に巻き込まれたり、映画や海外ドラマに近い感覚かも。グイグイ引き込まれる骨太の物語。BLは苦手という方にも是非読んで頂きたい一作です!
ファミリー!
最近、英語勉強を兼ねてHuluで海外ドラマを見まくっているのですが、懐かしの「フルハウス」にハマっています。「アメリカ」+「ファミリー」の親和性ときたら…! パパと娘が「ン~マッ」っといいながらキスしまくったり、「サプラ~イズ」と言いながら誕生日を祝ったり…。日本人には、いまいちマネできないノリですよね。「フルハウス」を見る以前にハマっていたアメリカンファミリーものは今回ご紹介するこちらのジャパニーズMANGA! 日本人が描くアメリカンファミリーって不思議な感じがしますが、違和感は全くありません。(アメリカ人が読むと違和感ありまくりなんでしょうがw)。カリフォルニアに住むお気楽アンダーソン家の日常を描いており、当時小学生だった私は「オートミールのまずさ」「ローラースケートで通学」「日本人ホームステイ」などを学び、エア渡米していました。(マンガに影響されて、ロサンゼルスを「ろす」とか「えるえー」とか言っちゃったりするめんどくさい小学生でした…。)最初こそ底抜けに明るいアンダーソン家ですが、後半にさしかかるにつれ段々ヘビーになってきて、切なさ全開の展開。泣き所もしっかり押さえています。サードウェーブコーヒーでなくとも感じられる西海岸がここにあります!
四月は君の嘘
3月4月と待ち続け、ようやくこの5月に最終巻が出た「四月は君の嘘」。前クールでTVアニメも放送していたので、知っている人も多いはず。クラシック音楽にかける少年少女の熱いドラマ要素と、高濃度の少女漫画要素がほどよくブレンドされていて、実に読みやすい。どのジャンルでもプロへの道は険しいけれど、音楽―特にピアノやバイオリンは本当に小さい頃から鍛錬しなければならない。その大変さと覚悟が演奏パートで丁寧に描かれ、読者に鮮やかな音を届けてくれます。主人公に荒療治をしかけまくったヒロイン、宮園かをりがついた嘘とは?そこから始まり動き出す物語は甘くてほろ苦い。
日出処の天子
いわずもがな、山岸凉子大先生の傑作中の傑作。クライマックスは何度読んでも大泣きしてしまいます。聖徳太子がゲイであるという設定はさておき、主人公の厩戸王子の狡猾さ、嫉妬深さは、まさに「女が腐ったような男」。外見はいくら美しくとも中身は肥溜めのごとくドロッドロです。その嫉妬に狂った時の表情の恐ろしさたるやまさにホラー。それもこれも毛人への想いが故なので切ない限り…。一方、蘇我毛人の純朴さ、鈍感さたるや少女漫画史上最高級。王子ならずともイライラしますw。同性が故に届かぬ想い、異性が故に愛されないもどかしさ、母への憎しみと愛情、果ては醜い政権争いなど、様々な感情と思惑が渦巻くこの作品。男性にもぜひ読んでいただきたいです。
愛すべき娘たち
「美しい母が、自分よりも若い男と再婚する…?」そんな母と娘の確執から始まり、男女の愛、女の友情…登場人物たちがゆるやかに繋がり、最終話のエピソードで一話目がより深く読めるオムニバス短編集。各話それぞれ「女」たちの切実さが胸に迫ります。話は知っているのに、何度読んでもグッときてしまう、この作品の魅力のひとつは「間」ではないでしょうか。登場人物がふと見せる表情、その微妙な変化。アップ。引きの画・寄りの画が、物語を読み進めていく読者の感情に、気持ち良いくらいシンクロします。恋愛劇はもちろん素晴らしいのですが、個人的に、第4話の中学時代の女友達の話に泣きました。気付いたら大人と呼ばれる年齢になってしまった「あの時話したささやかな夢」がある方に、是非。
ムジナ
ただ「生き延びる」、それだけを目的とすることに何の恥ずかしいことがあるだろう。珍しいほどパッとしない主人公の少年忍者ムジナは、必殺技の「忍法跳ね頭」のみを頼りに、敵から逃げ、仲間から隠れることで厳しい忍びの世界を生き抜いていく。しかし、その先に見つけた、より大切なもののために思想が揺らぎ始める…下品なシーンと変なギミックが多く、好きだというのがちょっと憚られる作品だが、人間の弱さと汚さ、滑稽さを真っ向から捉え、その上でキラっと光るわずかな挟持の美しさが描かれており、平凡な人間に勇気を与えてくれる。――余談の思い出ですが私が大学生の頃、たまたま降りた駅で偶然、相原先生のサイン会を発見しました。急いで買ってきた色紙に「ムジナを描いてください」と言うと、ちょっと照れたように「昔のだから描けるかな…」と、それでもキチンと描いてくださり、そのことでこの作品がいっそう特別なものになりました。
少年時代
疎開先の小学校を舞台とした学園モノ。戦争&田舎&子供社会という、超閉鎖された環境に君臨する王、タケシ。小学生とは思えない人心掌握の術、情報収集力をもってその地位を確固たるものとしている。冷徹な支配者としての態度の一方、外で時折見せる素直で素朴な人格。主人公はタケシへの友情と恐怖との間で葛藤する…息苦しい雰囲気と安孫子素雄の焼き過ぎた写真のようなタッチが絶妙なマッチングを見せる本作、読んでいると、いつの間にか自分は小学生になってしまう。なんでもないことや見えないものにヒリヒリしていた当時の気持ちが、自分の中にまだ残っていることを実感した。読後の無常感と開放感が入り混じった感覚は比べるものがない!
おやこっこ
前作『さよならタマちゃん』で自らの精巣腫瘍の闘病記を等身大で描いた作者が、連載中に癌再発の可能性もある中(実際は再発はなかった)で今回はフィクションに挑んでいます。本作も柔らかなタッチながらも、生死、そして親子の深層心理に深く切れ込んでいて凄味があります。素直になりたいけどなれない、でも素直にならなきゃなと思う作品です。(第1話は無料公開中)
鉄楽レトラ
先月話題をさらったマンガ大賞。選考対象はその年の1月から12月に出版された、最大巻数8巻までの作品です。自分だったらこれを推したいと思ったのが、最近完結した「鉄楽レトラ」全6巻。高校生のスペイン舞踊にかける青春ストーリーですが、とにかく老若男女が必死に生きている姿にじんときます。新生活に期待と不安を抱き、戸惑っている人全てにおすすめ。「やらずに無様をさらすなら…やって無様になって来い!」名言です。
喰う寝るふたり 住むふたり 5
ドラマにもなった同棲カップル漫画の最終巻。同じ話を男性目線と女性目線の両側から2話構成で描かれるので、すれ違いポイントや、なんでこうなったの!? の答え合わせができて楽しい本作。主人公たちと年齢が近い人や同棲カップルや既婚者はもちろん、属性が近くなくても主人公たちが地元の友達にいそうな「いい人キャラ」なので、つい誰かに重ねてしまいそうなところも楽しめるポイント。出会ってから13年経ったふたりの結末は、まさに地元の長年カップルの結末を見守るような気持ち。どうなったかはぜひ自身で確かめてほしい。全5巻なのでイッキ見もオススメ。
新黒沢 最強伝説
同作者の「カイジ」シリーズは、巨額の財産や命を賭した極限環境の中で現れる人間心理を描いた作品として定評が高い。この「黒沢」シリーズはその真逆といえる。スーパーでの買い物、職場での変な気遣い…平凡な中年男の独身生活の1コマに、他人の心や哲学が見える瞬間。おかしくも哀しい「人間らしさ」が活写されている。そこに「カイジ」シリーズと同じ極端な誇張表現・くどすぎるセリフ回しをそのまま使う、独特な異化効果も見逃せない。前作のラストが秀逸だったこともあり、ホームレス編の新シリーズを読みはじめて、テイストが少し変わってきた? と心配になったが、2〜3巻と読み進めると、個としてのあり方から、組織論への展開が見られ、前作以上に楽しみになってきた。
スピリットサークル
過去に介入して、人々の妄想する「もしも」の未来を見せてくれるタイムスリップもの、それは閉塞感のから脱却の光が見え始める頃に流行する。閉塞感のみが蔓延する時には夢見がちなIF作品は煙たがられ、上り調子に入った時は充実した現実で十分だからだ。今、タイムスリップ作品が人気ジャンルとなっているマンガ界で、異彩の魅力を放っているのが本作だ。輪廻転生を主題にした本作は、過去にタイムスリップはするが介入はしない。前世のカルマを見つめる事で、今世で因縁と向き合う。このようなタイムスリップ作品が人気となった時期がやってきたら、閉塞感を抜け出し、過去を踏まえて現実と向き合えるような段階にたどり着いたことを示すのだろうなと思う。
五色の舟
すでに心の半分を別の世界に置き、現世には残り半分しか存在していないような“家族”が織りなす風景は、露骨なようで暖かい。ちょっと浮遊して眺めているようなアングルと心もとない描線、ある特殊なトリックを用いたセリフ回しの巧みさがあいまって、最初から不思議なほどストーリーに引き込まれた。派手な絵柄も、激しい展開もないのに、ただコマを目で追いつつ心拍数があがってくる。そして後半の展開!頭がグラっとするほどの衝撃を受けた。もう読んでくれとしかいいようがない。そして読了したら、時間をおいてまた最初から読み直してみて欲しい。必ず初見で気付かなかった発見がある。
学校へ行けない僕と9人の先生
子供の頃、憧れていた人に出会えて人生が変わったというのはありがちな話ですが、本作は鳥山明先生に出会えて救われた作者の体験談です。「普通」という言葉の残酷性、言葉に表すということの怖さも再認識しますね。鳥山先生の巻末コメントも含めて「言霊」が持つ、人を助けることもあれば傷つけることもある力が大きなテーマに感じられました
娘の家出(2)
何かしら家庭に事情がある人たちを主人公としたオムニバスの二巻。一巻以上に子供と大人の視点が絡み合うようになり、子供と大人お互いが役割を果たそうと努力する姿がより一層愛しくて悲しい。志村貴子先生はどれだけの引き出しがあるだろうといつも驚かされるばかりである。#7 夢見る少女じゃいられない は、自分の気持ちを見透かされた気がしたほどだ。私も誰かの幸せを祈りたい、そう思った。
ピコピコ少年SUPER
作者の溢れんばかりのゲーム愛を過去の体験から描かれていて、ゲームも人を救えるんだと思えちゃいます。また、思わずほくそ笑んでしまう懐かしの題材を切り口に、インドア派のR35世代にとっては、当時リア充だった男子にはわからなかったであろう少年の頃の繊細な心の葛藤を思い出させる作品です。あと、ハイスコアガール事件の時の作者の心境も描かれていて、こちらも全編をとおして最後に読むと妙に腑に落ちます。
さよならガールフレンド
地方都市に漂う閉塞感を感じたことがある人は誰もが共感してしまうシーンがあるはずの表題作。淡々とした表現がじわりと閉塞感を与え、またじわりと喜びを感じさせる。その小さな喜びや苦しさなどが本作にリアリティを増している。言ってもどうしようもない、だから諦めよう――最近日常でそう思った人にはぜひ読んでほしい一冊だ。きっと読後は少しだけ主人公たちに救われていることだろう。