DOTPLACEでの代表山内康裕の隔週連載コラム「マンガは拡張する」、第5回「マンガのある『場』、今はどこに?(前編)」がアップされました。
第5回「マンガのある『場』、今はどこに?(前編)」


DOTPLACEでの代表山内康裕の隔週連載コラム「マンガは拡張する」、第5回「マンガのある『場』、今はどこに?(前編)」がアップされました。

今年5月に刊行され話題を読んでいるスーザン・ケイン著『内向型人間の時代』(講談社)に続き、10月にはジェニファー・B・カーンウェイラー著『内向型人間がもつ秘めたる影響力』(すばる社)が発売され、ビジネス誌でも特集が組まれるほどだ。そこで語られているのは外向的で社交的な振る舞いをする人だけが評価されるのではなく、多くを語らなくともじっくり物事を考え、冷静に判断を下す内向的なタイプの人にもスポットを当てるべきだという提案である。
内向型が注目されているといっても、従来のように会議術やリーダーシップに関するノウハウ本が次々と出版され、ハーバード流、BCG流というような看板を掲げてそれに箔をつけようとする外向型養成の熱もいまだ冷めていない。
そんな中、内向型-外向型の軸には当てはまらない重要な存在に気づかせてくれるマンガが青桐ナツ『flat』(マッグガーデン「アヴァルス」連載)である。
主人公・平介は超がつくほどのマイペース。さらに「コイツが本気になることなんてあるのか?」と思うくらい冷めていて無駄な努力などする気はサラサラない。唯一、彼が好んで自ら行動することといえば、大好きなお菓子を作ることくらいだ。物静かな性格とはいえ、前向きに何かを考える姿勢が見られない平介は内向型の人間というよりも無気力な人間と言った方がしっくりくる。しかし、彼の周りにはなぜか親戚、友人、先輩後輩、そして先生までもが集まってきて活発な交流が行われるのだ。
平和を好み、のんびりとマイペースに生きる平介。そんな彼にも天敵が現れる。後輩の海藤である。海藤は互いが積極的に関わらない友情や、年下を思いやらない年長者(=平介)に大いなる疑念を抱いている。なぜもっと前向きに関係を築こうとしないのか、相手の気持ちを細かく拾い上げようとしないのか。ことあるごとに海藤は平介の態度に注文を付ける。
海藤に叱責され、表面上は平静を保ちつつも悩む平介。最初は自分の行動のなにが問題なのかすら気づかない。だが周囲との関係を振り返ることで「ああ、そういうことか」と自覚していき、そして得た結論は「このままでいいのでは」というものである。悩む平介と並行して海藤は崩壊していく。自分が理想とする積極的な人物像を平介に押し付けることで、彼を見下していたということに気づいたり、自分が考えていた以外にも友情や信頼関係にはいろいろな形態が存在することを知ってしまうからだ。
『flat』が提示するのは積極的に他人に働きかける外向型人間と、一人での熟考を好む内向型人間だけでは定義づけられない個性をもった人間がいるという視点である。それは社交的な振る舞いをとったり沈思黙考したりするのではなく、自覚なく周囲の人を惹き付ける性質を持っている存在だ。そうした人は外向型、内向型双方が周囲にいたとしても、それぞれに偏見を持ったり優劣をつけたりするような判断はせず、どちらのタイプも受容することができる。
社会学者アーヴィン・ゴフマンはこうした性質を持った人を「オープン・パーソン」と呼んだ。皆さんの周りに、よく道を聞かれる人、すぐに子供が懐く人は居ないだろうか。そういった人に共通するのは相手に警戒心を抱かせず、話しかけやすいオーラを放っていることである。例えばイヌを散歩させている人、幼児や老人などは人から気軽に話しかけられやすいオープン・パーソンだとされている。
平介は一見、消極的で無気力な存在のように思われる。だが、彼が無自覚に持っているのは、周りに人を集め、気兼ねないやり取りを成立させるオープン・パーソン的性質なのだ。外向型人間、内向型人間それぞれの能力を高める方策はビジネスの現場において非常に重要なことで、それによるメリットもわかりやすい。だが、クリエイティビティを高めるために人間の性質を二分し、それぞれに処方箋を出す一方で、多様な人々が協働する組織において欠かせないのは、まったく性質の違う人の間を取り持ち、潤滑油やハブの役割を果たす平介のような人物なのである。
現代のビジネスシーンにおいては内向型-外向型問わず、常にクリエイティブに、前向きになることが求められる。しかし、それだけが個人の価値や存在意義を決める軸ではない。そう、平介のような存在をその条件だけで排してしまっては組織が上手く機能しないのだ。
『flat』はそんな二者択一の行き詰まりをやんわりと否定する、“平熱感”の重要性を教えてくれる作品だといえるだろう。
関連サイト
アヴァルスオンライン

『さよならソルシエ』は「月刊フラワーズ」で連載され、11月上旬に最終巻が発売されたところ。「ひまわり」など後生に残る作品を描きながらも生前には評価されなかったとされるヴィンセント・ヴァン・ゴッホとのその弟、テオドルス・ヴァン・ゴッホの二人の人生を、『式の前日』で注目を集めた穂積がやわらかな線で描いている。
史実にフィクションを織り交ぜるというのはマンガの常套手段だ。だが穂積氏は「史実」を大胆に解釈し、兄弟二人ーー「絵を描く」という才能を与えられたものと、与えられなかったもの――が愛憎入り交じる思いを抱えていたのではないか、と読者に示してみせた。
しかも作者が主人公にしたのは、弟のテオドルスだ。彼は作品中、「画家になりたくてなれなかったもの」と描かれる。しかも近くで自分より才能にあふれた兄をみてしまったがゆえに、だ。19世紀のパリを舞台に、様々な画家が新しい表現対象に挑戦し、新しい芸術が花開こうとする前向きな空気に全体があふれているからこそ、「与えられなかったもの」の闇は濃く描かれる。黙々と絵を描くヴィンセントに、努力をしても追いつけないーーテオドルスが画商として実績をあげるほど、ヴィンセントとの断絶は大きく見えてくる。
人は少なからず、才能あるものーー特に自分がほしかった才能をもつ人ーーに嫉妬と憧れという矛盾する感情を持つ。スポーツやアート分野で、トレーニングをした人の全員がプロになれるわけではない。一般企業に就職する人も、全員が希望の会社や職種、配属先にいけるわけではない。才能がなくてその道をあきらめたあとも、才能あるものが活躍していたり、逆に才能を発揮しきれていなかったりすると、「なぜ自分ではないのか」という想いと闇が心の中に芽生える。
しかし現実ではその嫉妬心や心の闇とうまくつきあい、別の分野で能力を発揮していくものだ。これは心理学的には「昇華」とよばれるプロセスで、作品の中でもテオドルスは、周囲を魔法のようにまきこみ、見事な手法で兄のヴィンセントを売り出していく。画家になりたかったという思いを抱えつつ、画廊で絵を売ることで才能ある人たちの後押しをするところに自分の居場所を見つけている。才能ある人を憎んでしまうところ、うまく居場所を作ることで昇華したのではないだろうか。
現実社会でも迷いと後悔、そして「与えられたもの」への嫉妬を抱えながら日々を過ごす人のほうが圧倒的に多い。だが自分の才能のなさをほかの人にぶつけていないか、別に努力できる分野はないか、自分の才能はどこにあるのかーーこの作品を読むことで、読者は自分の進む道を考えるきっかけになるのではないだろうか。

DOTPLACEでの代表山内康裕の隔週連載コラム「マンガは拡張する」、第4回「超・属人的キュレーターの時代」がアップされました。

2012年度の文化庁メディア芸術祭・マンガ部門は、大賞に海外の作品が初めて選ばれたことで話題となった。受賞作は、フランス・ベルギー地域のコミック“バンド・デシネ”のひとつ『闇の国々』(原作:ブノワ・ペータース/作画:フランソワ・スクイテン)。1ページを1週間かけて描いたという緻密な画は、マンガというよりもまるで美術作品のよう。いわゆる“マンガ”に慣れ親しんでいる私たち日本人がもつマンガの概念を覆すものだった。
そもそもマンガとは? 世界のマンガってどんなものだろう? 私たちが普段何気なく読んでいるマンガは、実はとっても一部のものなのかもしれない…… このように自分の“マンガの世界”を広げてくれるのが、日本以外で出版されているコミックスなのだ。今年で3回目の開催となる「ガイマン賞」は、これらの作品との幸せな出会いのきっかけになるだろう。
「ガイマン」は「外国のマンガ」という日本語を省略した造語で、「アメリカン・コミックス(アメコミ)」、フランス語圏の「バンド・デシネ」、韓国の「マンファ」など日本以外の国・地域で作られたマンガのこと。
ガイマン賞は“読者が選ぶ海外マンガの賞レース”だ。過去1年間に日本で翻訳出版されたガイマンが対象で、読んだ人は公式サイトや投票箱を通じて、感想とともに好きな作品に投票できる。人気ランキングを作ることで1年のガイマンを振り返るとともに、新たな読者の開拓・普及を目指していく。第3回目となった2013年度は、2012年10月1日〜2013年9月30日に出版されたガイマン85作品を対象に、9月14日〜11月17日の約2カ月、投票を受け付けた。
投票期間中は主催の米沢嘉博記念図書館(東京都)、京都国際マンガミュージアム(京都府)、北九州市漫画ミュージアム(福岡県)の3カ所の施設で、全作品が誰でも読めるよう展示されていた。
「日本であまり知られていないガイマンの魅力を広く知ってもらおうとスタートしました」と話すのは創設者のミソトミツエさん。初開催の2011年はWebサイトだけで投票とレビューを募り、「この海外マンガがすごい!2011」としてまとめた。2012年からはマンガ施設と共同開催する「ガイマン賞」にスケールアップし、実際に人々が作品を読める現在の形になった。
ガイマンを気軽にまとめて読める場所の意味は大きい。「日本でも最近ガイマンが徐々に翻訳出版されてきているものの、日本のマンガに比べ高価格の上、販売店舗も限られており、ビニールで包装されていて試し読みもできない場合が多い。読者にとっては手が出しにくい環境になっています。ガイマンに興味を持った方が参考にできるランキングやレビューといったガイドと、賞を通じて実際に作品が読める機会を提供できればと思いました」(ミソトさん)
ガイマン賞に関連し、投票箱を設置した各会場ではガイマンに関わる作家や編集者、翻訳者などを招いたイベントも定期的に実施。2013年11月2日には米沢嘉博記念図書館でトークイベント「ケン・ニイムラと担当編集者が語る『I KILL GIANTS』とマンガとガイマン」が行われた。
登壇者は漫画家のケン・ニイムラさんと小学館『IKKI』編集者・豊田夢太郎さん。司会はバンド・デシネ翻訳者の原正人さんが務めた。
ご自身もガイマンが好きだという豊田さん。トークショーではニイムラさんが作画したコミック『I KILL GIANTS』(原作:ジョー・ケリー、訳:柳亨英)と出会い、2012年末にIKKIコミックスとして翻訳出版するまでの苦労と喜びを語った。
『I KILL GIANTS』は、ニイムラさんがアメリカの原作者から依頼を受けて制作したワールドワイドな作品だ。2008〜2009年に全米でオルタナティブコミックとして刊行され話題になり、2012年初頭に外務省主催の第5回国際漫画賞で最優秀賞受賞を獲得。6カ国語に翻訳されている。内容は、自分は選ばれし<巨人殺し>だと思い込む妄想少女が孤独などの苦境を乗り越えるというもの。日本風にいいかえれば「中二病女子の成長物語」だ。
ただこの作品は、物語がおもしろいだけではない。その魅力的なビジュアルにも大きな反響が寄せられているのだ。
翻訳版を担当編集した豊田さんは「ニイムラさんから初めて見せてもらった作品の表紙にひとめぼれした」と話す。家に置いておきたくなるセンスあふれる風格に「やられた!」と、その場で日本での出版をオファー。前からニイムラさんのようなキャッチーでキュート、そしてカッコイイ絵柄を描ける人を求めていたこと、ガイマンはオールカラー作品が多い中、同作は日本で主流のモノクロ作品だったのも大きなポイントだったという。
通常、翻訳作業は翻訳者がその意味を解釈しながら(時に、そこにとても苦心しながら)進められる。だが、今回はニイムラさんが日本にいるということで、「この意味は?」と一つ一つ確認しながら進めたという。
制作過程では異例づくしの工程がいくつもあった。 物語には日本にはないものが登場する。例えば『I KILL GIANTS』冒頭の授業風景。アメリカの学校では、その職業の魅力を語るという授業があり、外部から人を招いて話をしてもらうのだそうだ。日本の学校ではこうした授業はないので、一読しただけでは一体何が行われているのかわからない。まずは日本の読者が読みやすいようこうしたポイントをわかりやすくする作業が必要だった。日本語にすることで文字数が多くなるため、フキダシも大きくしている。
作り手と翻訳者が直にやりとりしたこともあり、翻訳の精度が高く、一方で日本の読者も読みやすい日本版『I KILL GIANTS』が完成。「アメリカの作品が見事な日本仕様になって……もう、小躍りして喜びましたね」と、ニイムラさんは顔をほころばせた。
国境を越え色々な作家のマンガが並んだ雑誌づくりを見据え、「海外の作家が日本で作品を生み出せる環境づくりが進めばいいと思う」と豊田さん。トークイベントを締めくくったこの言葉が実現すれば、一体どんな風になるのだろうか?漫画家も編集者も読者も、これから読者になる人も、この未来予想図にきっとわくわくするはずだ。
これまで知らなかった制作方法や表現スタイルをガイマンから見つけるたび、「自分の知っていたマンガは、狭かった!」という気持ちのいい驚きがあった。ガイマン賞が盛り上がることでマンガの可能性の面白さと驚きに、幾度となく出会えるに違いない。(TAKAHIRO KUROKI)

一方、マンガにおいてこうしたサービスと真逆の世界を提示しているのが、本来成立しないところに面倒くささを多分に含む親密な関係が発生する「虚親化(きょしんか)」を扱う作品群だ。これらのマンガの特徴はまったく関係のなかった人物同士が、ある出来事やルールによってあたかも恋人や家族のような役割を演じ出すところだ。奥山ぷく『Baby, ココロのママに!』(ほるぷ出版、WEBコミック「コミックポラリス」連載)もそんな作品の一つである。
主人公・路地静流(ろじしずる)は恋愛経験もない大学生。憧れの女性・奈々への接近をいかにさりげなく演出するか悶々とし、想いをショートポエムに綴ってしまうほど他者との関係づくりが苦手な性格だ。そんな静流がいきなり公園で幼児・米田(まいだ)にしがみつかれ「ママ」と呼ばれる。どんなに振り払ってもついてくる米田。だが、仕方なく米田の相手をするうちに、彼女が奈々の親戚だということがわかったり、彼女が通う保育園のイベントを通して園児と親しくなったりと、気づけば彼の周りにたくさんの関係が立ち上がっていく。しかし、こうした展開の中で、当然発生するはずの育児による負担や人間関係の面倒くささは不思議と読者に伝わってこないのだ。
確かに作中で静流はもがき、面倒くささと戦っている。それなのに、その姿勢が本人も知らないところでプラスの効果を生み出してしまい、ストレートに読者に届かない。奈々に近づこうとあたふたする静流を見て友人は彼を「面白いヤツ」認定する。真剣な彼の行動はその不器用さから周囲に「面白い」と受け止められてしまう。同様に米田に絡まれる度に、いやいやながら相手をする静流の姿を見た奈々は彼の背中に父性を見出し、あわや告白というシチュエーションにまで至る。思わぬところで面倒くささに変異が起こり、静流と周囲との距離が近づくことでそれぞれの感情が変化していくのである。
一人であれば気を遣わなくていいことも、友達がいると衝突や離反などの面倒くささが発生する。恋愛となると嫉妬や独占欲が生まれてさらに束縛が強化される。結婚は特定の相手と添い遂げる責任を引き受ける契約であり、さらにその先には子育てという未知の世界が待っている。当然これらには負の面だけが存在するわけではないが、人間関係が深化し、課される責任が増加してくるに伴い面倒くささのレベルもエスカレートしていくはずだ。子育てを扱う東村アキコ『ママはテンパリスト』(集英社、愛蔵版コミックス)や二ノ宮知子『おにぎり通信』(集英社、「You」連載)において、秀逸なコメディーが繰り広げられる隙間から滲み出してくるのはそうした現実である。
そんな中『Baby, ココロのママに!』のような「虚親化」を扱う作品が面倒くささを感じさせないのは、その世界が完全なフィクションだという安心感があるからだろう。読者は、いきなり自分に子供のような存在が現れたり、魅力的な異性がアプローチして来たり、豊かなコミュニティに受容されるとったイベントは起こりえないと信じている。だからこそ気楽に作品を味わえるのだ。
だが、本当にそうだろうか。実は静流が巻き込まれるような面倒くささは完全にフィクションとして私たちから切り離されているわけではない。というのも世の中のリアルな関係の大半は計画的に発生しないからだ。友人はちょっとした会話から意気投合してできてしまうし、恋愛も意中の相手以外からアプローチされて始まることがある。結婚は成り行きで決まったりするし、計画外に子供ができることも珍しくない。
このようにフィクションと信じきっていた世界と実生活との間に想定外の接点が生じる原因は、本作品に描かれている面倒くささの変異であり、さらに引けば関係の先にある相手や周囲の反応の不確かさにある。負担を引き受け、苦労している、もがいている人の姿がそのままネガティブに相手に伝わるわけではない。それらが相手によって頑張っている、粘り強い、親切だというプラス評価に変異し、受けとめられることで互いの間に親近感や愛情が生まれるのだ。
レンタル○○は親密なつながりに含まれる面倒くささを分離し、楽しさやにぎやかさ、暇つぶしといった効果だけを残すことで経済性に優れた関係を提供する。品質が保証されているので利用者は確実に自分が希望したサービスを受けることが可能だ。対してリアルに継続し、深化していく他人との関係、家族との関係にはそもそも品質という概念が存在せず、多くの面倒くささが伴う。しかし、そこには計画的に進められず、品質が保証されていないからこそ負担が突然プラスに変異し、意外な結果が得られる可能性が生じるのである。私たちがレンタル○○と聞いて覚える違和感は、他者との関係に経済性を求める態度に対する疑いであり、偶然性に対する期待でもあるのだ。
安心感を持って読み進める読者に対し、非経済的な関係とそこから生まれる偶然性の価値を忘れさせないための密かな裏切を演じる。それが「虚親化」マンガの役割なのである。

10月20日(日)、「マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編」が開催されました。イベント当日はあいにくの空模様でしたが、それにもかかわらずたくさんの方が駆けつけてくれました。
会場は、早稲田大学近くの「Le Cafe RETRO(ル・カフェ・レトロ)」。学生街の中にある落ち着いた雰囲気のカフェです。ちなみに昨年の秋もここで読書会が開催されました。
今回は場所にふさわしい、「学び」がテーマです。参加者の皆さんには、読んで知識を得たり、感銘を受けたりしたマンガを持参してもらいました。そして「生き様」「暮らし」「お仕事」「愛」の4つのキーワードから一つを選んでもらい、チーム分けをしました。
18時30分、代表の山内の挨拶で読書会開始となりました。まずは各チームで自己紹介とマンガの紹介をします。それぞれ人数は6名程度で、どこも男女半々くらいとなりとてもバランスの良い印象を受けました。
自己紹介が終わるといよいよ、マンガリーディングタイムに入ります。この時間の皆さんの集中ぶりは凄いものがあり、その真剣さと熱い静けさに店員の方も驚いていました。
約1時間後、マンガの回し読みを終えた所で、今度は発表用のオススメ作品を選んでいきます。たくさんのマンガの中からどれが選ばれるのか? 今回も名作ぞろいなのでドキドキします。
各グループの準備が整った所で、いよいよ結果が発表されます。まずは「暮らし」チーム。終始和やかなムードを漂わせていました。
「暮らし」チームでは、独特の世界観を持つマンガ「アタゴオル」で幼児性の大切さを学んだ、「最強伝説 黒沢」の主人公の気の使い方が反面教師になった、という意見が出ました。「イエスタデイをうたって」は日常の中で積み重ねられる心の動きがよく描かれていると発表されていました。どれも全くタイプの違う作品で、暮らしの形も様々、そこから学び取ることも多様であることがよくわかりました。
次に「お仕事」チーム。ここではタブレットでマンガを読んでいて、時代は進んだなあとしみじみさせられました。

女性社員の日常を描いた「Good Job」はリアルなショムニのようで、女性社員の本音が知りたい男性社員にもおすすめとのことでした。「BLACK JACK」はブラックジャックが何のために高額な料金を取りお金を稼ぐか、その理由が明かされるエピソードにじんと来たとのことです。発表では取り上げられませんでしたが、「最強伝説 黒沢」がラインナップに入っており、福本伸行氏の作品の人気の強さがうかがえました。
続いて「愛」チーム。一番ノリが良く、楽しそうに談笑していました。

「JIN‐仁‐」のマンガ家村上もとか氏が40代の10数年をかけて描いた「龍‐RON‐」、ボクサーの鷹村と鴨川会長の師弟愛が泣ける「はじめの一歩」など、強く濃い「愛」が皆さんの関心を引いたようです。そしてまたもや福本作品が入りました。今度は「天」です。こちらは麻雀マンガなのに最後の3巻は説教ばかり続くという驚きの内容です。これも作者の愛のかたちなのかもしれませんね。
最後は「生き様」チーム。「生き様」は一番人気のテーマでした。
まずは吾妻ひでお氏の「失踪日記」と「失踪日記2アル中病棟」。過去の経験を笑わせながら語れる作者に感動したそうです。これこそまさに生き様が表れているマンガといえるでしょう。そして松本大洋氏の「鉄コン筋クリート」と「ピンポン」。こちらは性格が正反対の人と付き合うことで、新しい世界が開かれる可能性を教えてくれる作品です。
小さなことから大きなことまで、マンガは本当に大切なことを、色々な表現で伝えてくれます。そのありがたさと、楽しさを改めて感じる日となりました。この後、代表の締めの挨拶があり、恒例の集合写真を撮って第1部は終了しました。

続いて第2部は懇親会です。RETRO名物のオムライスなどをいただきながら、皆さんマンガの話で盛り上がっていました。今回はマンガをイメージした「マンガカクテル」もあり、その見た目や味でも楽しませてもらいました。
現役書店員カズノコ氏のブース「カズノコGX オススメマンガコーナー」も旬の新作マンガを取り揃えていて、大変好評でした。残念ながら本人は会場入りできませんでしたが、カズノコ氏のマンガ愛は伝わったのではないでしょうか。

今回ご参加いただいた皆さん、そして「Le Cafe RETRO」のスタッフの方々、どうもありがとうございました。次回、また冬にお会いいたしましょう!(EK)

DOTPLACEでの代表山内康裕の隔週連載コラム「マンガは拡張する」、第3回「インターネットとマンガの現在(後編)」がアップされました。

キハラ×マンガナイトのコラボレーション商品レーベル「MANGA RACK」が、第15回図書館総合展で発表されました
「MANGA RACK」は棚の側面やPOPプレートにマンガナイトオリジナルデザインを施したマンガ専用書架です。
この棚の前に集う人同士が好きなマンガについて語り合ったり、みんなでマンガをオススメしあったりするような、
コミュニケーションが生まれることを願って、この棚をプロデュースしました。
マンガ特有の表現をモチーフにしたデザインとなっているので、どのマンガで使われている表現なのか、探してみると楽しいかもしれません。
図書館をより身近に感じてもらうきっかけづくりにぜひ、お役立てください。

マンガのサイズに適したマンガ用の稼働式本棚(小型のブックトラック)です。
親子や友人同士でのコミュニケーションが生まれるよう、古今東西のマンガの背景表現をモチーフにしたデザインを、書架の量側面に施しています。
施設や場でのマンガコーナーの導入に最適です。
マンガ用の卓上本棚です。
「うなった。」や「泣いた。」「笑った。」などのカードをはめ込むことで、読者が新たなマンガを手に取りやすいようにしています。
お手軽にPOPと同様の効果を得られるようなカードも開発予定です。
マンガというのはフローコンテンツである。新刊書店に最新の雑誌や単行本がどんどん並べられ、話題になる作品が入れ替わる一方、旧作や読み切り作品を手にできる機会は少ない。この中で、特に未来の読者になりうる子どもたちが過去の名作と巡り会う場所を提供しようとしているのが、「立川まんがぱーく」だ。
幅広い年代の作品を、「畳に寝転んで」「押し入れの中」など、日本の住宅での「マンガ読み」を疑似体験しながらマンガを楽しめる空間になっている。
立川まんがぱーくは2013年3月、旧市役所跡地の改装した立川市子ども未来センターの一角にオープンした。立川まんがぱーくの福士真人館長は「近年のマンガのジャンルは多様で、子ども達そして大人にとっても娯楽という枠を超えて学びを得ることができ、交流もできる。子育て施設が近くにあるこの場所にまんがぱーくがあることは、子ども達の未来に良い影響を与えることができる」と話す。
立川まんがぱーくは3万冊の作品を所蔵。手塚治虫氏「BLACK JACK」から尾田栄一郎氏「ONE PIECE」まで幅広い出版社や年代の作品が棚に並ぶ。400円(子ども200円)の入館料を払った利用者は、自由にマンガを選び、部屋の中やバルコニーで読むことができる。
カフェ・コーナーでの軽食販売もあり、「ちょっとお菓子を食べながらマンガを読む」なんていうこともできてしまうのだ。

館内の作りもユニークだ。まんがぱーくは壁やドアなどの内装がほぼすべて木造、床は畳敷きだ。そして「ドラえもん」などに登場する「押し入れの中」が再現されている。福士館長は「畳敷きは昭和の民家をイメージしている。家族や友人と、家でリラックスしてマンガを読んでいるかのような環境を目指した」と話す。
この中で入館者は、畳に寝ころんだり押し入れの中に入ったりしてマンガを読むことができる。日本人が普段どのようにマンガを楽しんでいるのか(または読みたいと思っているのか)が再現されているのだ。
立川まんがぱーくが演出するのはマンガと人の出会いだけではない。人と人のつながりも生まれ始めている。7~8月には子どもたちを対象とした「まんがの描き方」教室も開かれ、参加した子どもたちはみごと作品を冊子の形にまとめた。ともすれば受け身になりがちなマンガ体験。あえて描き方教室を開催することで、子どもたちはマンガを描く側に回り、いつもと違った視点を持つことができる。
もちろん立川まんがぱーくを楽しめるのは子ども世代だけではない。 長年マンガを読んできた大人世代にとっては、子どもの頃楽しんだマンガと再会する場。同じ出版社の作品や少年向けの作品などで今の子どもが読んでいるマンガと比べてみるのもいいだろう。子供を持つ親世代なら、子育てマンガや料理マンガを手にしてみるのもいい。幅広い世代が、いろいろな楽しみ方のできるところなのだ。
立川まんがぱーくには今年の夏休み、多くの親子連れが訪れた。今後、立川まんがぱーくがどんなマンガと人の出会いを実現させるのか。期待は大きい。(bookish)

DOTPLACEでの代表山内康裕の隔週連載コラム「マンガは拡張する」、第二回は「インターネットとマンガの現在(前編)」がアップされました。

2013年11月8日(金)20:00〜22:00本屋B&Bにてトークイベント『「やさセカtwitter総選挙」総ざらい〜twitterとマンガ最前線〜』を開催します。
「やさしいセカイのつくりかた」人気投票の結果を編集部と振り返りつつ、後半はtwitter上の年間マンガランキング「#俺マン」を主宰したネルヤ編集部も交え、twitterとマンガのこれからについて議論します。
詳細、参加は本屋B&Bイベントページからご確認のうえお申し込みください。

2013年10月27日(日)15:30〜17:30本屋B&Bにてトークイベント「SFマンガナイト」をN会とコラボ開催します。デジタルゲームの人工知能研究者、超ひも理論専門の教授、ニュートン編集部、といった方々とSFマンガについて語り合います。
詳細、参加は本屋B&Bイベントページからご確認のうえお申し込みください。

DOTPLACEにコラム「マンガとの出会いが変わる」がアップされました。

深夜の発表にも関わらず、多くの人がその瞬間に関心を寄せ、TwitterやFacebookには次々と歓喜の声が書き込まれた。行く末のわからないことがあふれる現代で7年後に催される世界的イベントが決まる。その事実は大会の内容そのものよりも私たちを安心させるには十分だった。
このニュースは、前回の東京大会がそうであったかのごとく高度経済成長再来の夢を見させる。しかし、私たちはこうした華々しい話題と並行して起きる絶望的な状況にも薄々気づきつつある。それは、国土の荒廃だ。
2年前、国土交通省が“「国土の長期展望」中間とりまとめ”として発表した資料は関係者だけでなく多くの人々に衝撃を与えた。2050年、人口が現在より増加する地域は全国の1.9%しかなく、逆に現在の半数以下に減少する地域が65%以上を占めるという事実。これを国が公表することは、国土の衰退を認めざるを得ない時期に来ていると受け止められたからだ。
発表は確かに衝撃的な内容であった。一方、深刻な予見を突きつけられながらもどこか自分の身の回りではまだそれを感じられない。ゆえにやり過ごす、未来に丸投げする、そんな他人事の受容だったようにも感じられた。しかし、2年を経て私たちの心にはいくつか思い当たる小さなしこりができ始めている。そう、この衰退は知らず知らずのうちにジワジワ浸食してくるものなのだ。
荒廃を描き出すのは予測データだけではない。鈴木みそ『限界集落温泉』(エンターブレイン)は伊豆山中の旅館を舞台に地域の衰退と向き合う人たちの姿を扱ったユニークな作品である。ゲームクリエイターの道をあきらめた主人公・溝田。廃業した温泉宿に迷い込んだ彼が、なぜか集まってきたネットアイドルやオタク達の力を借りて宿を再興、地域産業の拠点にしていくというのがそのストーリーだ。
こう書くといかにも軽薄なストーリーと萌え系の絵柄が想像されるかもしれない。しかし根底にある視線はいたって冷静である。作者の鈴木は前作『銭』(エンターブレイン)をはじめとし、徹底的な取材に基づいたリアルな世界を描くことに定評がある作家だ。多少の脚色やコミカルな表現はあるが物語の中で提示されるのは、無い袖は振れないという事実と、無いものを補うには身近な人材と知恵をフル活用するしかないという地道な解決策だ。
このような地に足の着いた解決策は2013年4月に発行された『まちづくり:デッドライン』(木下斉、広瀬郁/日経BP)のような専門書にも通じる。困難の中で荒廃にどう立ち向かうのか。町はどの程度の規模で維持可能か。地域にある資産をいかに循環させるか。厳しく言ってしまえば撤退戦にどう挑むのか。現実を踏まえながら具体的な手法を積み上げていく内容は、鈴木が『限界集落温泉』で描いたルートをなぞる。
溝田は考える。果たして自分たちが持っている有効なコマは何か。そして思いつく。ボロさ、薄気味悪さ、未開、不便がここにはある。ケータイの電波が完全に届かない環境なんて、実は都会で暮らしているとほとんど手に入らない貴重なものなのだ。
最初は自分の居場所(寄生先)を確保することだけを目的としていた溝田の関心はより広く複雑な問題へと向けられていく。一軒の宿が抱えていた問題が次第に地域の、町のそれと絡み始めるのだ。とはいえ、溝田が聖人君子や敏腕経営者といった雰囲気では無く胡散臭いペテン師のように描かれていたり、単なるサクセスストーリーとして終わらないのは、この物語を現実と完全に乖離した虚構にしたくないという意図の現れであろう。
無論、現在進行形で真剣に地域おこし、町おこしに携わっている人からすると「こんなに簡単にはいかない」といった意見や、自分達の地道な活動をマンガが面白おかしく描くことに抵抗もあるだろう。しかし、作品を完全に否定できず、なにか共感を覚える箇所があるとすれば、それはジワジワ迫ってくる荒廃に対し、巨額の補助金を獲得しようとか、新たな企業を誘致しようという大文字の方策でなく、自分達のできる範囲で知恵を絞り、自走するモデルを目指す姿が描かれているからだろう。この作品はそうした理想を描き努力を重ねている人たちの心にこそ響くのである。
オリンピック開催が決まり、高揚する雰囲気に水を差すつもりは全くない。いや、それが決まったからこそ私たちは7年後、この国がどうなっているかという現実と真剣に向き合い、そこに自分を置かなければいけないのだ。きらびやかな話題の裏でジワジワ迫り来る荒廃は日本各地で生活のすぐ傍に現れてきている。もしこうした現実から逃げず、最高のもてなしで各国の人々を迎えることができるなら、身の丈で振る舞う実直な日本の姿を誇りとともに発信できるはず…。私はそこに夢を見るのである。

これからの執筆・編集・出版に携わる人のサイト「dotPlace」第一弾リニューアルにあわせて、代表 山内康裕がコラム「マンガは拡張する」を隔週で連載します。

アニメ!アニメ!に『話題の有名人もゲスト声優に、「ONE PIECE」劇場3作品の意外な裏側』を寄稿しました。
過去の劇場化作品のうち3作品を取り上げて、楽しみ方や見どころについて紹介しています。
本文はこちらからご覧ください。

2013年10月20日(日)に主催イベント「マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編」を開催します。 今回のイベントは、マンガナイトではお馴染の、グループでのマンガの回し読みと読んだマンガの感想の共有です。
参加のお申し込みは下記のフォームからお願いします。
今回のお題は「学び」。早稲田大学に近い会場「Le Cafe RETRO(ル・カフェ・レトロ)」に合わせたお題にしました。これまで出会ったマンガで、あなたの人生を左右したもの、今でもバイブルになっている作品はありませんか?
「このマンガで、仕事に必要な知恵が身につきました」「このキャラクターの生き方は憧れる」という作品をお持ちください。持ち寄ったマンガのエピソード、どんな学びを得たのかなどを教えてください。
会場にはメンバーお薦めマンガコーナーも用意。新しいマンガに出会えること間違いなし。あなたの次の「必携書」が待っているかも知れません。
※ 過去のイベントの様子はこちらから
最近マンガを読んでいない方から、ヘビーリーダーの方まで、マンガを介して気軽にコミュニケーションが生まれ、新しいマンガに出会えるイベントです。みなさまのご参加をお待ちしております。
【マンガナイト読書会―大事なことはマンガから教わった編】

アニメ!アニメ!に「国民的代表作『ONE PIECE』はデータで見てもスゴかった!」を寄稿しました。ワンピースが国民的作品となった背景を、社会情勢から分析しています。また、漫画版のファンにとっての映画版ワンピースを楽しみ方について、言及もしています。本文はこちらからご覧ください。

本来サードプレイスとはファーストプレイス=自宅、セカンドプレイス=職場、以外の居場所のことだ。ある人にとってはカフェやバーであったり、またある人にとっては図書館やダンス教室であったりとその空間は人により異なる。唯一存在する条件は、自分らしさを取り戻せる居心地の良さを備えていることだろう。
こうした現代のサードプレイスを意識させるのが久世番子著『パレス・メイヂ』(白泉社/「別冊花とゆめ」連載)だ。
時代は日本の大正にあたる頃。舞台は宮廷(パレス・メイヂ)。主人公御園は美しき少女帝彰子に仕える侍従職出仕である。彼の仕事は帝の生活の空間である「奥御座所」と執務の空間「表御座所」をつなぐ渡御廊下を行き来し、物や情報を受け渡すことだ。この廊下を行き来できるのは帝本人と成人していない数名の少年出仕たちのみ。女の空間「奥」と男の空間「表」をつなぐ廊下は帝にとっての中立地帯といえる。
彰子は先帝亡き後、幼き皇太子が元服するまでのつなぎ役として即位した。本作品の設定では帝位についた女性は結婚を許されず、終生宮殿の中で暮らすことを強いられる。しかし彰子は少女でありながらもそれを受け入れ、公務をこなし、周囲に希望を与え続ける象徴としての帝をつとめあげる。
そんな彰子にとって渡御廊下は帝としての役割から解放され、少女の自分に戻るごくわずかな時間を与えてくれるサードプレイスとなっている。そしてそこで本当の自分を引き出してくれる存在が御園なのだ。
また、御園にとっても即物的で拝金主義の兄や姉がいる自宅、それぞれのプライドと守備範囲を固めようと懸命になる「奥」や「表」から切り離なされた廊下は、彰子を想い、真摯に意見を言える大切なサードプレイスとなっている。
ただ、この作品は、サードプレイスでの2人のやりとりを描くだけでなく、さらに深く居場所としてのサードプレイスについて考えさせる内容に展開する。
彰子は帝として宮殿という籠に閉じ込められている一方で、自分が「寵愛」という形を用いて誰かを閉じ込めることができると知る。そうすれば御園が成人したとしても自らの傍に置くことが可能だ。だが、彰子はそれを選ばない。自分を解き放つために御園の存在を求めることは、即ち彼を束縛することに他ならない。彼女は自由がきかない立場だからこそ他人の自由を奪うことを嫌うのだ。
苦慮の上、御園に暇を出す彰子。しかし、彼は力強く告げる。
「私は籠の鳥にはなるつもりはありません! 陛下のお側で陛下が少しでも楽しくお過ごしになれるような籠になりとうございます!」
これはたとえ彰子が退位し、廊下を渡ることが無くなろうとも自分がそのかわりとなり、サードプレイスとして彼女が本当の自分に戻れる場所になり続けようという強い意志の現れだ。
この言葉は私たちを「サードプレイスはただ与えられるだけのものか」という問いと直面させる。私たちは自宅と職場の往復の中で、自分自身を解放する場所、時間を十分作れているだろうか。そして自分の言葉で考え、身の丈で語れているだろうか。さらにそうした自分自身の渇望、充足とともに、自身が誰かのサードプレイスになれているだろうか――このような省察がここから立ち上がる。そう、サードプレイスとは私たち自身が獲得し、再生産していくべき存在なのである。
『パレス・メイヂ』は単に宮殿における少女帝の恋愛やしきたりを描くだけではなく、その深部で「自分の居場所」を探し求めている現代人に対し、様々な示唆を与える重層的な作品になっている。果たして私たちは彰子や御園のように聡明な振る舞いができるだろうか。
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花とゆめonline(よみきり・最新話)

世界に誇る日本のアートのひとつになったマンガ―なぜこの大衆文化はアートにまで昇華され、日本を代表する表現形式となったのか。その答えを教えてくれるのが東京都現代美術館で9月上旬まで開催された特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」だ。
この展示では、手塚治虫・石ノ森章太郎両氏を、「時代の流れ」という縦の線と「マンガ家同士のつながり」という横の線でつなぎ、マンガという大衆文化がアートになり、その領域を広げていく過程がわかる。多くの人は彼らが作品を見ると「どこかで見たことがある」という感覚におそわれるが、それほど彼らの作り上げた表現方法は、国内外で人々の感覚や生き方に浸透しているのだ。
「マンガのちから」はは9月8日まで東京都現代美術館で開催。11月から来年春にかけて大阪歴史博物館や宮城県美術館など全国4カ所を巡回する。
“マンガの神様”手塚治虫氏と“マンガの王様”石ノ森章太郎氏。この2人はそれぞれ個人の記念館があるほど実績があり、仰ぐべき存在だ。なぜ今彼らを同時に取り上げて展示をする必要があるのだろうか? ――それはこの2人とその仲間たちで今のマンガ表現の基礎が作られたからだ。
主催のNHKプロモーションの鈴木俊二展博事業部担当部長は「2人は現在のマンガにつながるマンガ表現そのものを作ったクリエイター。その後に続いた人たちが発展させたことでマンガは社会に根付いた」と話す。普段はアート作品の展示が中心に東京都現代美術館という場所で、両氏の作品を現代アート、ポップアートの文脈でとらえ直すという狙いもある。
展示された原画や作品も、2人の関係性のわかる作品が中心だ。手塚プロダクションや石森プロが、2人のつながりなどがわかる作品を選りすぐった。高校生だった石ノ森氏が臨時アシスタントとして手伝ったという、手塚氏の『鉄腕アトム』の原画など興味深い展示が多い。これらはプロローグと4つのパートにまとめられ、順に見ていくと日本経済が成長する中で、マンガの表現方法や領域がどのように進化していったかがわかる。
第1部「ふたりの出会い マンガ誕生」は両氏の出会い編。一足早くマンガ家として活躍していた手塚氏と、宮城県で同人誌『墨汁一滴』を主催していた石ノ森氏。石ノ森氏は当時のマンガ雑誌『漫画少年』への投稿を通じて、その才能を手塚氏らに認められていたようだ。
高校生の石ノ森氏が臨時アシスタントとして手塚氏の原稿を手伝ったエピソードも
第2部「爆発するマンガ 時代への挑戦」は、手塚・石ノ森両氏が日本経済の発展とともに、月刊誌から週刊誌、さらにはテレビ雑誌や学年誌と活躍の場を広げていった時代をまとめた。1964年の東京オリンピックをきっかけに家庭用テレビが普及したことで、テレビアニメの時代が到来。『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『サイボーグ009』などマンガのアニメ化による「メディアミックス」がスタート。鉄腕アトムの制作費を確保するために、おもちゃメーカーなどに版権を付与し始めたこともわかる。
『鉄腕アトム』はアニメ化、キャラクター商品化とメディアミックスの先駆けだった
マンガ家が子ども向けテレビ番組のオリジナル設定・ストーリーを本格的に作り始めたのも石ノ森氏の『仮面ライダー』の頃からだといわれている。石ノ森氏案の段階で、戦隊物の色分けがすでに行われていた。
第1部、第2部で蓄積された作品は、第3部の「“ちから”の本質対決」につながる。「いのち」「戦争と平和」「女性観」などテーマにあわせてそれぞれのマンガ家の作品から象徴的なシーンを選び、壁やカプセル内に展示。「2人の作品を知らない人でも楽しめるよう、それぞれのマンガ家の特徴的な表現やストーリーを抽出した」(NHKプロモーションの鈴木氏)という。それぞれのテーマの作品を見ながら、描き方の違いや共通点を考えてみるのも面白い。
「科学」というテーマで両氏の作品から象徴的なシーンを選んで展示
これらの展示を通じてわかるのは、現代のマンガ表現方法や産業の基礎がほぼ彼ら2人とその仲間たちによって作られたということだ。彼らはそれまでのマンガ表現を元に、映画や舞台などマンガ以外の分野から表現方法を取り入れていった。擬音の描き文字、モブシーン、陰影、クローズアップ、大胆な構図…現代のストーリーマンガで一般的に使われる表現方法の多くは手塚氏らが黎明期のマンガで挑戦したものだ。
それは「グッズ付特別版単行本」「キャラクター商品」などマンガ産業・メディアミックスの展開でも同様だ。ビデオソフトやゲームソフトなど新たなメディアの立ち上がりも後押しした。
石ノ森章太郎氏の「佐武と市捕物控」ではグッズセットの豪華版がすでに発売されていた
マンガ家同士も、お互いの作品や描き方を強く意識していた。年代順に原画を見ていくと、石ノ森氏の初期の作品は、手塚氏の絵の線の感じに似ているが、徐々に独自の線の書きぶりになっていくことがわかる。
「古事記 マンガ日本の古典」のころの絵柄。すでに石ノ森スタイルになっている
だマンガへの姿勢は2人の間で微妙な差があったようにも思える。常に先導者としての自覚のあった手塚氏と、その手塚氏の切り開いた道の中で自由に振る舞えた石ノ森氏。「マンガという文化を世の中に認めさせたかった手塚氏にとって自分に追従してくる後継者はライバル。一方で石ノ森氏はとことん楽しんで描いていたのでは」(NHKプロモーションの鈴木氏)。
もう一つわかるのは、当時のマンガ家がいかに当時の大きな娯楽であった映画やクラシック音楽に傾倒していたかということだ。『アパッチ砦』『我等の生涯の最良の年』――第1部では第2次世界大戦後に日本で公開されたアメリカ映画の白黒映像が流れる。会場内に再現された、「トキワ荘」内の石ノ森氏の部屋の床には無数のレコードが積み上がり、8ミリカメラも展示されている。石ノ森氏はテレビ『仮面ライダー』シリーズで監督を務めたこともある。
トキワ荘内の石ノ森氏の部屋の再現。レコードがつみあがっている
もちろん手塚氏の取り入れた映画的表現も解説されている。手塚氏は「戦争で子どもの娯楽が少なくなったなかで、子どもが手にできる紙媒体に映画の面白さをとじ込めようとしたのではないか」(NHKプロモーションの鈴木氏)。そしてその試みは、当時子どもだった人々に衝撃を与え、マンガ家の道に導いた。
トリビュート作品を取り込むことで、マンガの世界はさらに広がる
彼らの築き上げた「マンガの力」の行き着くところはどこか。それが第4部に集められたトリビュート作品だ。神様と王様が生涯描いたマンガ作品は短編・長編を含めると非常に多い。子供向けだった『鉄腕アトム』『ジャングル大帝レオ』『仮面ライダー』から青年向けの『BLACK JACK』『HOTEL』と、当時一緒に活躍していたマンガ家や若手のクリエイターは、様々な場面で手塚・石ノ森両氏の作品に触れ、影響を受けてきた。もちろんマンガ家以外のアーティストらへの影響も見逃せない。たとえば中村ケンゴ氏。彼は手塚氏が群衆シーンなどで多用してきたキャラクターの線を組み合わせることで新たな現代アートを作り上げる。福士朋子氏もコマ割りや擬音語などマンガの構造や文法を取り入れるアーティストの1人だ。
人気アイドル、桃色クローバーZが「サイボーグ009」のキャラクターに変身
個人的にはこのトリビュートのひとつに、今夏日本で公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』も加えたい。監督が直接、日本のマンガ・アニメを見たのかは確かではないが、「KAIJU」が人間社会を襲う様子、選ばれた人間がロボットともに戦うという設定、ロボットのエネルギー源が原子炉ということなど、手塚・石ノ森両氏の考え出した世界を彷彿とさせた。
こうした多様なアーティストによるトリビュート作品には石森プロ・手塚プロダクションともに乗り気だったという。そして、寄贈に近い形だったが多くのアーティストから賛同を得られた。「今、マンガ家という仕事が成立しているのは2人のおかげという思いもあったようだ」(NHKプロモーションの鈴木氏)トリビュート作品やオマージュ作品は、これまでいろいろな場面で目にすることができた。しかしオリジナル作品と同じ空間で展示されるようになったのは、マンガという文化がその領域を一段と広げたことの証左だろう。
展覧会の企画中に起きた2011年3月11日の東日本大震災も展示の方向を決めた。震災後、何ができるかを考えさせられていたところ、奮闘する宮城県石巻市にある「石ノ森萬画館」や宮城県の書店で回し読みされた週刊少年ジャンプ…とマンガの力が人々を明るくする様子を目の当たりにした。「『日本にはマンガがある』と強調するために、タイトルも『マンガのちから』にした」(NHKプロモーションの鈴木氏)
手塚・石ノ森両氏によってDNAにマンガを組み込まれた私たち。この所業はひとりの天才だけでもできなかったし、凡人だけでもできなかった。マンガ家やマンガフリークたちはいまだに手塚・石ノ森両氏の手のひらの上にいるのではないか――そんなことを思わせる展覧会だった。(bookish)

マンガというのは、紙など平面に描かれた二次元の世界である。読者である私たちはそれを目で見て楽しむ。だがその作品に愛着を持てば持つほど目で見るだけでない楽しみを求めるようになり、マンガはアニメ、フィギュア、舞台へと展開してきた。今後私たちは「マンガ」の世界をどう楽しむことになるのか。その一端を示しているのが、東京タワーで開催中(〜10/6)の生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」だ。目で見るだけではなく、マンガの世界が文字通り二次元を飛び出しているのだ。過去の作品と最新技術が組み合わさることで、藤子・F氏の世界の新しい楽しみ方の一端を示している。
今回の展示の特徴は、過去の作品と先端技術の組み合わせだ。「55/80ひろば」のある屋上から階段を下りた4Fの展示フロアの最初のメーンが藤子・F氏の作品の主要キャラクターが出迎えてくれる「SF(すこしふしぎ)シアター」だ。一面は白い本棚のような壁と机。机の引き出しに吸い込まれた原稿を、キャラクターが追いかけ恐竜時代にタイムトラベル…… ストーリーはシンプルだが、次々とシーンが移り変わるのを目にすると、紙のマンガを読んだりアニメーションを見たりするのとはまた違う世界に出会った気持ちになった。特に原稿が飛んでいくときの紙のこすれる音、タイムマシンに乗っている間の風の感触。最新技術を使い五感でマンガを楽しんだ気分だった。
このシアターに使っている技術は「プロジェクションマッピング」といわれるもの。(PingMagではしめじへのプロジェクションマッピングの記事も以前紹介)今回のシアターでは、「4Dプロジェクションマッピング」を使っており、でこぼこして見える場所に本棚が投影され、そこからさらにキャラクターが飛び出してきたのだ。
4Fのフロアを進むと原画の展示と作品のワンシーンに入り込める「なりきりキャラひろば」などがある。どちらも藤子・F氏の作品世界に浸ることができる場所だ。ここで興味深いのは「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」など子ども向け生活ギャグマンガの原画やその作品のワンシーンに入り込める「なりきりキャラひろば」と、青年向けの「SF短編マンガ」が並列に展示されているところだ。
藤子・F氏が活躍した時代は、ちょうど子どもから徐々に青年層にまでマンガの読者が広がり始めていた時期だった。藤子・F氏はもちろん子ども向け生活ギャグマンガの名手として名高い。これらは大人になってから読むと、子どもの時とは違う感想を持つだろう。だが彼はより幅広い読者層のアプローチしようとしていたのではないか——そう思わせるのがSF短編集だ。会場の「SF短編の世界」のスペースには主な短編作品の表紙が壁一面に飾られている。「ミノタウロスの皿」「みどりの守り神」「劇画オバQ」「パラレル同窓会」……どれもSFセンスにあふれ、なおかつ読者に「あなたならどうするか」との問いをつきつけるものだ。もちろん子供も楽しめるものであり、会場では熱心にSF短編の原画を読む子供もいた。
そしてこれらは、展覧会のタイトルにもあるように「藤子・F・不二雄展」——つまりほぼ藤子・F氏から生み出された世界なのだ。彼は5万枚の原画を残し、川崎市のミュージアムや今回の展覧会のもとになっているという。
展覧会の最後の部屋には、藤子・F氏が各インタビューなどで残した言葉と、今回の展覧会に寄せられた著名人からの色紙が飾られている。「藤子不二雄A」「曽田正人」「藤田和日郎」「松本大洋」らマンガ家だけでなく「福山雅治」「村上隆」「鴻上尚史」ら音楽やアートなど他分野からの色紙も多い。マンガ家の展覧会でこれだけ幅広い著名人からの色紙が集まることは少ない。藤子・F氏の作品が幅広い層に愛された証左だろう。
「藤子・F・不二雄展」は藤子・F氏の生誕80周年を記念したもの。藤子・F氏には川崎市に「藤子・F・不二雄ミュージアム」がある。なぜ専用のミュージアムがあるのに別の場所で展示会をするのか、それは彼の作品が東京タワーに象徴される昭和期、そして東京タワーそのものと切っても切れない縁があるからだ。その一端は、会場の入り口となる屋上から、4Fフロアに降りる途中の階段にさりげなく示されている。「東京タワーとF作品」がそれだ。各作品から東京タワーの描かれたコマを切り出し、壁に貼り付けてある。コマをみながら、どの作品だったかを思い起こすのもいいだろう。
ドラえもんの秘密道具「タケコプター」「フワフワオビ」、パーマン……「すこしふしぎ」を追求した藤子・F氏の作品で登場人物らは高い頻度で空を飛ぶ。その描写に東京タワーは不可欠だったのだ。いかに当時の読者にとって東京タワーのような高い建物を「越える」ことが夢だったのかがわかる。
藤子・F氏の描いた「21世紀」はどうなるのか——そんなことに思いをはせながら東京タワーや20世紀の作品を楽しんではどうだろうか。(bookish)

さよならポニーテールは2011年10月にアルバム『魔法のメロディー』でメジャーデビューを果たした音楽ユニット。その活動はネット上に限られ、ライブはまったく行わない。メンバー同士も一部を除いて互いに面識がない。ファンは本当に公式アナウンスされているメンバー構成なのか、ユニットが目指すところはどこなのかなど、不確かな土壌の上で彼女たちの活動を見守っている。
さよポニをご存じない方の中には「さよポニって何?」「正体は誰なの?」と検索をかけた人もいるだろう。
私たちは常に「○○は××である」と言えるよう記号に意味を充填する。眼前にわからない対象が現れた途端、ポケットからケータイを取り出し、検索をかける。そして正体を突き止めて安心する。それだけわからない対象に意味づけできないことへの恐怖感が日常にあふれているのだ。
だがもともと日本文化とは、ロラン・バルトが『表徴の帝国』のなかで西洋を「意味の世界」、日本を「表徴(記号)の世界」と位置づけたように、「記号に確固たる中身がない。それでも豊かに存在する」ものだった。それは世界を切り分け百科事典化するキリスト教的世界観と、世界の複雑さを複雑なまま受け入れようとする仏教的世界観の違いと言い換えることもできる。自分たち西洋人が長い時間をかけて必死に議論し、弁別し、定義づけてきたものは何なのかと、バルトは日本文化の形態に驚いたのである。
この日本文化独特の空虚さは、まさにさよポニ世界の特徴を言い当てている。ファンは音楽を通じてさよポニを知る。しかしその実態は空虚だ。名前や役割が存在しても、それを理解するには圧倒的に情報が少なすぎるし、何よりその背後に固着した意味があるという保証はない。中身が入れ替わろうと誰も気づくことはできないのだ。
音楽と同時にその世界を知るために重要な存在となっているのがマンガ3作品だ。写真など実体を裏付ける情報が全く存在しないさよポニの世界では、ファンはマンガに描かれたキャラクター、背景によってはじめてその世界を視覚的に同定することができる。最新作『星屑とコスモス』(集英社)はファンタジーと現実が入り交じる世界でボーカル3人の学園生活や恋を描く。日常の傍らにいるような、遥か遠くにいるような不思議に変化する距離感が本作品の魅力となっている。
だが、3作品のマンガが必ずしも連続性をもち、音楽世界にぴったりと寄り添っているわけではない。彼女達の日常を描いた第1作『きみのことば』。だが第2作『小さな森の大きな木』は異世界を舞台としており圧倒的にファンタジーの要素が強く、両者間に大きな断絶が存在する。そして3作目の『星屑とコスモス』(別冊マーガレット増刊「bianca」他、掲載)ではまた日常生活に近い世界で話が進んでいく。なぜこのような断絶やより戻しが起こるのか、さよポニ側から一切の説明も無く音楽とマンガの微妙なリンクは続いている。
もたらされる曖昧な設定や断絶。しかしそれは混乱や失望を生むのではなく、まるでさよポニから独自の鑑賞世界のつくりかたを提案されているように感じられる。受け手は与えられる情報を集積するのではなく、自らの想像力をもってより主体的にさよポニの世界を補強し柔軟にその世界の変化に対応していかなければいけない。それはさよポニの世界に自己投影し親和性を高めることに他ならない。
想像力ーー私たちはこの単語を前にすると言い表せないむず痒さを感じる。幻想や妄想と同義として使う場合、どうしても現実と乖離しているというネガティブな面が主張し、公に語ることがはばかられる。にもかかわらず、それを完全に否定することができないのは、自分の中に自分だけの世界を作ることへの憧れを捨てきれないからなのだろうか。
さよポニは軽やかに、誰でも調べればわかる意味で構成された世界ではなく、記号をつなぎとめるためのエーテル(空想)で満たされた世界へと私たちを誘う。恥じらい無く想像力を開放するフィールドがそこにはある。
日本文化は本来、矛盾や空虚、曖昧といった世にあふれる説明がつかない事象を自分の想像力で埋めることで自分なりの世界を作り、堪能することで形成されてきた。
さよポニは現代において同様の鑑賞世界を私たちに与えてくれる装置なのである。

greenz.jpとのコラボレーション連載、マンガ×ソーシャルデザイン、今回は「本を通して生まれる、新たなコミュニケーションとは?選書のプロと一緒に、これからの本について考えてみよう(後編)」です。こちらより本文をご覧いただけます。

『逃げるは恥だが役に立つ』は女性向けの月刊誌「Kiss」で連載中で、6月中旬に第1巻が発売された。主人公、森山みくりは大学院を出たものの就職先がなく、派遣社員として働いていたところ勤務先の都合で派遣切りにあう。父親の部下の家で家事代行サービスを請け負うも、家族が引っ越すことに。そこで住み込みで家事代行サービスをするために雇い主と共謀し、事実婚を偽装することにした。
ここで読者の前に示されるのは、いささか極端ながら「恋愛以外の結婚までのルート」である。
婚活という結婚へのルートは、結婚を意識する男女にとって大きなテーマになっている。昭和期までの結婚観は「男女ともに一定年齢までに結婚するもの」だった。社会的プレッシャーや周りのお膳立てもあり、特に結婚のために特別な活動をする必要はなかった。女性の仕事場が限られ、「女性は25歳までに結婚して家庭にはいるのが当たり前」といわれていた時代、女性にとって結婚とは生活の手段のひとつであり、父親の庇護から夫の庇護に移ることだった。男性にとっても一人前の社会人と認められるために、結婚は不可欠で、パートナーの女性が必要だったのだ。
だが現代、女性が仕事を持ち、働き続けることは当時よりも容易になった。未婚の男性も半人前とは見られなくなりつつある。彼らにとって結婚は、経済的・社会的保証ではなく、愛情ある相手との半永久的なつながりの維持となった。だからこそ「この相手でいいのか」と結婚相手に迷うことが増えている。
この現状に、マンガの中の結婚の描き方は追いついていなかった。従来は「ときめきトゥナイト」「恋愛カタログ」(ともに集英社)など好きになったもの同士がつきあえば、当然結婚または永遠に一緒にいることを意識させられるか、「ぽっかぽか」(講談社)のように結婚後の夫婦の課題を描くことが一般的だった。その間に存在するはずの「結婚までのノウハウ」はすっぽり抜け落ちていたのだ。読者、特に女性は、現実には恋愛即結婚ではないことに気がついていたのに、である。
結婚までのルートを模索する読者に「結婚は愛情だけでなく生活の手段の一つである」と示したこの作品はどう受け止められるだろうか。もちろん「現実にはありえない」と反発もあるだろう。だが、きちんと読むと他人と暮らすことのよさを実感できる。結婚も悪くない――そう思えるほど、海野氏は細い線のきちんとした絵柄で淡々と登場人物らがきちんとお互いの思いや考えを伝えあいながら、穏やかな日々を暮らす様子を描いている。海野氏が丁寧に選ぶセリフは、結婚を考える人にも結婚に懐疑的な人にも刺さるものがあるだろう。回り回って、読者の結婚を後押ししているのだ。
結婚に対する社会的な圧力が減ったいま、20~40代の適齢期にある世代は、「何のために結婚するのか」と悩んでいる。そしてほかの人がどう考えているのか気になっている。ネットの結婚情報サービスを使って結婚に至った過程を描いた『31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる』(新書館、御手洗直子作)がヒットするなど「結婚までのノウハウ」は女性にとって(もしくは男性にとっても)、他の人の事例をのぞき見したい分野のひとつなのだ。
結婚しなくてもいい時代になぜ結婚するのか。そのためにはどうすればいいのか――こう思う読者にとって、結婚が運命づけられている恋愛やすでに結婚した夫婦を描くだけのマンガでは満足できない。「マンガのなかの結婚」は読者の欲求に答えることで転換期を迎えている。


2013年8月3日(土),4日(日)にルミネ立川屋上庭園コトリエで開催されるイベント「あおぞらガーデン」に出展します。
漫画家さんと参加者の皆さんが一緒に似顔絵マンガを完成させる「マンガ似顔絵ワークショップ」を行います。
参加者のみなさんには、漫画家さんに似顔絵を描いてもらっているあいだに、マンガの効果音やセリフを簡単に作ってもらい、マンガの一ページを完成させます。
似顔絵は、漫画家 戸城イチロさんに描いていただきます。
※先着順

“これからの日本の漫画家”といえば誰だろう?それは、気鋭の漫画家のひとり・田中相。2010年3月に創刊された講談社の「ITAN」(隔月誌)で鮮烈なデビューを果たした若手漫画家だ。2011年7月に短篇集『地上はポケットの中の庭』を発売し、現在は『千年万年りんごの子』をITANに連載している。そして、平成24年度 第16回文化庁メディア芸術祭では『千年万年りんごの子』がマンガ部門新人賞を受賞。その圧倒的な画力も紡がれる物語も、全てにおいて注目の漫画家なのだ。
この記事では、インタビューを通して田中相とは一体どのような人物なのかを明らかにしていく。
母と伯母がマンガ好きで、水野英子さん、山本鈴美香さんや和田慎二さんなどの少女漫画がたくさん本棚に並んでいました。子どもの頃からマンガが身近な存在で私も大好きでした。小さい頃は漫画家になりたいなと考えていたんですが、真似事をするうちに「自分では無理そうだ」と思うようになって。高校の時には既に「漫画家になりたい」とは考えなくなっていました。もちろん、ずっと憧れはありました。
私には姉が一人おりまして、高校生だった姉は清水玲子さんが大好きで絵をそっくりに描けるほどで。それが本当に上手で「私はできない」と思っていました。マンガの形式にしてもコマを割り始めたものの完成させることができず、という感じで。よくあるタイプかな?(笑)「見る」と「やる」とでは大違いですね。だから、通っていた高校のデザイン科を卒業したらそのまま就職して働こうと思っていたんです。でも、結局は美大を選びました。
小学生の頃は『ドラゴンボール』の神龍を描くのが得意で、クラスの男子に頼まれることも多かったという田中さん。
ちょっと時間の猶予が欲しくて……親には申し訳ないのですがモラトリアムというか(笑)。短大でいいから美大へ行こうと画塾へ通いましたが、そこから大きく変化したと思います。この画塾の先生にはすごく影響を受けましたね。そして先生から「美大へ行かなくとも絵はかける、それでも受験するなら4年制の大学を目指してみては」とアドバイスをいただいて、その先生の母校を目標にすることにしました。
お恥ずかしながら当時は「自分は絵がうまい」なんて考えていたんですよ(笑)。でも画塾でデッサンの講評会をした時にその自信が崩れ落ちました。その後は、素直に自分は下手なんだと自覚できているので大変ありがたかったです。印象に残っているのが「田中は途中であきらめている。もっと観察して、最後まで描き上げることができたはず」と言われたこと。自分は終わったと思っていても「もっと見ろ!」と言われるんです。もう描く所なんて無いと思うのに、さらに見て描く。しがみつくというか、粘りみたいなものを勉強させてもらいました。
今はもう辞めてしまいましたが、デザイン業務やイラストを描きながら10年くらい働いていました。働いている当時、私が大のマンガ好きと知っている友人に「マンガ、描いてみないの?」と言われていましたが、なんとなくそのまま過ぎていました。でも、同人誌を出している友人と一緒ならページ数も少なくて済むし、責任感が生まれてやる気になるかも! と思い立って最初の同人誌をコミティア(オリジナルジャンル限定の同人誌即売会)に出してみたんです。これが初めて描いたマンガですね。
「いいものが出来た!」というわけでもなく「ああ、終わったな」という感じです。手探りで描いてみて、コミティアに来た人が買ってくれるのがすごく嬉しかったです。そこで、のちにお世話になることになるITANの編集さんに声をかけていただきました。
別の同人誌の中には自画像の原型も。この時はこのマンガのためのキャラクターだった。
その時は名刺をいただいただけで何も進展はありませんでしたが、2009年11月に出した二冊目の同人誌「mabatakihasorekara」を同じ編集さんが買っていかれたんです。帰り際に「これをスーパーキャラクターコミック大賞に出していい?」と聞かれて、私も軽いノリで「どうぞー」と答えたら、ある日「大賞です!」という電話がきて……その時はよく意味がわかりませんでしたね(笑)
はい。今は隔月連載で余裕が無く同人誌は出せていませんが、続けている友人はいるのでコミティアが開催されるとみんなに会いに行っています。本当に元気をもらえますね。私の他に商業誌デビューした友人もいますし、元々プロだった方もいます。色々なつながりに支えてもらっています。
ITANの壱号にも掲載された「ファトマの第四庭園」。衣服の緻密な描き込みに魅了される/『地上はポケットの中の庭』より。
うーん、そうかも? 散漫に描くのではなく狙いを絞って、というのは言われたことですし意識しています。マンガは1ページで平面構成の要素もありますしね。モチーフが目の前にあれば詰めて描けますが、マンガはそこに無いものを描くことも多いので、それが大変かもしれません。
コミックスの装丁は全て本瀬智美によるデザイン。親しい友人ということもあり、装丁は相談してもらいつつ進めた。
全然素晴らしくはないですよ、できてないことばかりです! まだまだ暗中模索しています……。私はコマが割ってあってその中にギュッと絵が入っているマンガの形態が好きなようです。色々試したり考えることはありますが、自分の好みでやっているだけかも。でも、読みやすく混乱させないコマ運びにはなるべく気をつけています。
木、花、蔦、特に楽しいのは手。手は描いていて楽しいです。手と髪の毛はフェティッシュに好きです。逆に苦手なのは建築物。パースペクティブがきちんとしていないと、傾いて見えちゃいますもんね。家など建物を描く時はアタリとなる3Dを簡単に作ってから、それを下書きにして描くこともあります。パースをとるのも、空間認識も昔から弱くてですね(苦笑)。
まずはA5のコピー用紙に1枚につき1ページとして鉛筆でネームを描いて、スキャンしたものを担当編集さんに送ってチェックしてもらっています。GOサインが出たら、スキャンした状態のネームを123%に拡大後、プリントアウトしてライトボックスの上で原稿用紙に写して青のシャープペンシルで下書き、それをペン入れしスキャン、最後にコミックスタジオ(マンガ制作ソフト)でトーンを貼り仕上げています。
田中さんは「本当は毎日9時間くらいは寝たい」と、かなりのロングスリーパーのようだ。好きな食べ物はチョコレート、嫌いな食べ物はバナナ。
私は「たくさんの人に自分のマンガを読んで欲しい」と思っていて、これまでは女性読者が多いのかなと考えていました。でも、2013年5月に新宿で催して頂いた『千年万年りんごの子』のサイン会では性別を問わず、しかも若い方から年配の方まで、色々な方に来ていただけて本当に嬉しくて。もっともっと多くの方に自分の作品が届いたらいいなと思っています。
ありがとうございました!
今回のインタビューに際してオリジナルイラストを描いていただきました。
(AYAKA KAWAMATA)
協力:HAPON新宿 http://hapon.asia/shinjuku/

2013年8月1日(木)19:30〜22:00開催のNPO法人グリーンズ主催イベント『green drinks Tokyo「greenz.jp 7周年大感謝祭!」』に、代表 山内康裕がゲスト出演します。
greenz.jpとコラボレーション連載中の「マンガ×ソーシャルデザイン」を振り返る予定です。

ネット環境の向上、ゲーム機、好きな番組が見放題のCS放送といった、室内で過ごすためのハードやソフトも年々クオリティが増しており、外に出なくても楽しく暮らすことができてしまう。「イエ充」はもはや止められない時代の流れであり、今後しばらくは続いていくと思われる。
この「イエ充」の空気を象徴するマンガが、今回取り上げる「おとりよせ王子 飯田好実」(「月刊コミックゼノン」連載中)である。本作は、主人公が週1回のノー残業デーに、毎回違うお取り寄せグルメを楽しむというストーリーだ。取り上げられる食品は、北は北海道の「松坂牛大とろフレーク」から南は佐賀県の「蔵出しめんたい」まで実に様々で、読者を飽きさせない。
コミックスは5月20日に第3巻が発売されており、既に累計25万部を突破している。
また連続ドラマ(メ~テレ、ひかりTV、tvkにて放送中)がこの4月より放映され、注目を集めてきた。飯田好実名義のツイッターアカウントのフォロー数は、番組効果もあり現在1万越えとなっている人気ぶりだ。今年の4月4日から10日にかけては、主人公の住んでいる(とされる)吉祥寺の東急百貨店で、物産展とコラボレーションしたイベントが開催され、こちらも盛況だったようである。
「おとりよせ王子」こと飯田好実は独身で一人暮らし、彼女なしの26歳SE男子である。普段は仕事で忙しいが、毎週水曜日のお取り寄せデーと休日はほとんど家にいる「イエ充」だ。彼のお取り寄せ時のテンションの高さと、職場で黙々と仕事をこなす様とのギャップはこの作品の面白さの一つである。
なぜ、この「おとりよせ王子 飯田好実」が今の時代の雰囲気に合っており、多くの人を引き付けるのだろうか。それは、この作品がグルメ描写と共に若者のリアルな生態を丁寧に描いているからだと考えられる。
彼は、ソーシャルメディアを「家の中で人とつながるツール」として効果的に使用して充実した生活を楽しんでいる。飯田の世代は「プレッシャー世代」(1982年~1987年生まれ)と言われている。社会不況などのあらゆる外圧に耐えて育ち、その結果無駄なプレッシャーから逃れる術を身につけている世代とされ、このように命名された。
メールやSNSなどのコミュニケーションツールと共に成長してきた彼らは、人とつながることを強く意識しており、そのための通信費は惜しまない傾向にある。
飯田はお取り寄せの度に、その食べ物についてTwitterでつぶやくことを習慣にしている。そのセンスが光っていたため、彼のフォロワーは一般人としてはかなり多い。Twitterは人づきあいの苦手な飯田にとって、実生活では発揮できない才能を表す場所になっているのだ。
元来のお取り寄せのコミュニケーションとは、遠方からめったに食べられない食べ物を取り寄せ、誰かと分かち合って食べる、という形式である。しかしこの作品では、自分のためにお取り寄せをし、それを見知らぬ人達に披露するという形を取っている。
これはFacebookといったSNSに自分が食べた料理を写真とともにアップし続けることで、結果的に「実名グルメ口コミSNS」が形成される道程そのものであり、かつ現代における新たな「お取り寄せ」のカタチが描き表されていると言っていい。
飯田が美味しそうな料理の写真と詳細な感想を送った瞬間、フォロワーから続々と反応が届く。部屋の中から世界と、見知らぬ人とつながる奇跡と喜び。煩わしいことを回避し、それを享受することができる家の中は、実に籠りがいのある、居心地の良いシェルターなのかもしれない。
これからも様々なお取り寄せが登場し、読者の目を楽しませてくれるはずの『おとりよせ王子 飯田好実』。今後の展開における最大の関心事は、2巻で表出した「父親との確執」だろう。彼が実家を出た原因が親子の不仲にあることは十分考えられる。またお取り寄せによる「イエ充」ライフを始めた理由もそこにある可能性は高い。
今後、父親という彼にとって最大のプレッシャーとどう対峙していくのだろうか? これはそのまま、若者にもあてはめられるテーマではないのだろうか。イエという、己を守る場所から“外”に出る、あるいは“外”と対峙せねばならない時、どう考え行動していくのか。
飯田はすでに社会人として働いているが、そういう意味ではこのマンガは学生 対 社会という見方もできる。社会、親、大人として抱えなければならないプレッシャー……そういった通過儀礼をどう越えていくのか。居心地のいいイエ充ライフは、どうなるのだろうか。
この作品にはお取り寄せグルメやSNSとリアルでの自分といった、現代になって注目を浴びるようになった物事が描かれているが、根底のテーマはどの時代でも大切な「大人への成長」なのかもしれない。
(kuu)
関連サイト
飯田好実Twitter
イエ充って何?NAVERまとめ

結婚、出産だけでなく、ワークスタイル、家族のあり方も多様化の一途をたどり、過去共有されてきた「○○かくあるべし」といったソフトロー(明文化されない共通の理想)は次第に通じなくなってきている。
第3巻で完結を迎えた米田達郎の『リーチマン』(講談社)は、ワークスタイルや家族形態の多様化という重いテーマを描きながらも痛快で心温まる作品である。主人公、達郎(英訳:リーチマン)はフィギュアの造形師になるべく会社を辞めた専業主夫。そんな達郎を支えるのは百貨店勤務で竹を割ったような性格の妻・トモエだ。
妻が稼ぎ夫を養うといった夫婦形態については様々な意見があるだろう。しかし、私がここで提出したいのは「男女分業かくあるべし」という議論ではない。反対に「かくあるべし」に抗する判断とそれができる関係についてだ。
例えば2人の結婚。会社を辞め国民健康保険料が払えない達郎。激痛の虫歯を抱えながらも歯医者に行くこともできない。そんな達郎の告白に、トモエは「ほんなら…、結婚するか」と応える。
世間で共有されてきたソフトローに照らせば、これはあまりに逸脱性(アノマリー)に富みすぎている。本来なら結婚のような人生における重大な判断はもっと熟考し、周囲に相談したうえで下すべきなのではないかと誰もが思うだろう。
達郎が会社を辞める際も、本来なら実績も計画も無い中で夢を追うのはリスクが高い。案の定、主夫になった後も彼の造形師としての評価は上がらず、苦悶の日々が続く。
だが、2人のアノマリーな判断が必ずしも読者をあきれさせるとは限らない。ソフトローに基づく「夫婦の姿」や「男女分業の姿」とはかけ離れていたとしても、この2人を見るとなぜか共感し、信頼感に心打たれる。
人間とロボットやコンピュータとの違いとは何だろうか。それは「感覚に基づいたダイナミックな判断ができること」だといわれている。もし、コンピュータが前述の結婚や退職に対して、何がより的確な判断かを求められたとしたらどう応えるだろうか――答えは明白だ。
このダイナミックな判断が生み出される原因は人間独特の「身体性」だという。一般的に、脳は身体を統括しており、身体は環境に対してセンサーとアクチュエータの働きをするにすぎないと考えられている。しかし、脳は自らが効率的に判断できるように情報を簡略(言語)化し処理しているに過ぎず、決してすべての情報を満遍なく処理し判断しているのではないという。
一方、身体は環境から膨大な情報を受け止めている。そしてそれは経験として身体に刻み込まれている。雰囲気やノリの察知、矛盾を孕む判断というのはそうした身体に残された情報をもとに行われるというのだ。
こうしたことは以前より指摘されてきた。坂口安吾がいう「われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、常に肉体を裏切り肉体を軽蔑することに馴れているが、精神はまた肉体に常に裏切られつつあることを忘れるべきではない」(『恋愛論』)とはまさに身体に基づく判断そのものだ。ただ安吾の時代にはマイノリティーだったソフトローからの感覚的な逸脱は今、決してそうとは言えない状況へと変わってきている。
以前は結婚も仕事もソフトローによる「あるべき姿」と照らし合わせ整合性をとることができた。
それはいわば、脳が処理可能な知識を基に下した距離感である。しかし物語の中で達郎やトモエが行う判断は「損してもやるべき」や「この人なら大丈夫」という感覚を重視して下される。
作中、トモエが帰宅すると「ただいま○○○」「おかえり○○○」と駄洒落で出迎える特徴的なシーンが、幾度となく展開される。これは周囲から見ればまったく意味を持たない遊戯でしかない。
しかし、夫婦にとってはお互いの状態を確認しあうために欠かせない約束事だ。のしかかるソフトローに抗する2人の小さな秘密というと大げさだろうか。
『リーチマン』は生活の多様化の中で懸命に生きる夫婦を通じ、他人に押し付けられるのではなく、自らがスタイルを作り上げていく健気さを実感させてくれる応援歌のような作品だ。私たちはソフトローに屈しない彼らの姿に同時代性を感じ、勇気づけられる。
ましてや達郎とトモエの間にある強くてしなやかな絆。ページをめくるごとに何気ないやりとりから深い愛情があふれ出してくる。そして2人の信頼関係の延長線上に読者は置かれる。いつの間にかヒーローでも美男美女でもない2人を家族のように応援してしまう。
そう、彼らと供に生き抜く感覚こそが本作品の魅力なのだ。
参考サイト
Webコミック「モアイ」

「マンガ」はどのように展示できるのか――マンガをアート文脈で捉える機会が増える中、美術館やギャラリーでのマンガの展示方法は模索が続いている。4月6日から6月8日まで東京・墨田のマンション内の小さなギャラリー「AI KOKO GALLERY」で開催された、マンガ家・西島大介氏の「『すべてがちょっとずつ優しい世界』展」は、マンガという複製芸術を見つめなおす西島氏の見方を学びつつ、この問いを考えるきっかけになる挑戦的なものだった。
展覧会は西島氏の新作『すべてがちょっとずつやさしい世界』(出版社:講談社、以下「すべちょ」)をテーマにしたもの。同作は、ある村に「ひかりの木」が植えられ、村の住民の生活や環境が変化していくさまを寓話的に描いた作品だ。東京電力福島第一原子力発電所の事故を思い起こさせ、2013年に第3回広島本大賞を受賞した。
展示会には最終日の6月8日(土)に訪れた。ギャラリーに入ってまず驚いたのは、「すべちょ」の原画が床一面に無造作に広げられていたことだ。市販のトンボの入ったマンガ用原稿用紙に、ペンで描かれた絵。写植前のセリフが鉛筆で描かれており、「どちらのセリフか迷っています」など、単行本を読んでいるだけでは目にすることのない、一種の生々しいやりとりが見て取れた。しかも、一般的な原画展のように額縁に入っているわけではないので、気軽に手にできる。
原画が敷き詰められた床の両側の壁には、西島氏が今回の展示のために描き下ろしたドローイングが飾られており、部屋の奥のテーブルには「すべちょ」の単行本や過去の西島氏の作品も一部、並んでいた。原画はマンガ家が生み出したオリジナルで非常に価値があると考える私には、床に広がる原画は越えられない川のように思えた。だがギャラリストの小鍋藍子さんの「原画を越えて、単行本や新たに描き下ろした作品を見に行ってください」という声に後押しされ、恐る恐る部屋の奥のほうに進み、ドローイング作品や西島氏の単行本を見ることにした。
額縁に入った作品は、マンガ用原稿用紙を一度ホワイトで塗りつぶし、その上からポスカで描かれている。原稿に比べて色のムラが少なく、西島氏のやさしい絵柄を十二分に味わうことができた。木製パネルに描かれたものもある。
西島氏の絵はいまでもすべて手描きだ。特に「すべちょ」における西島氏の絵柄は、彼の過去の作品よりも線が柔らかくなっているように私には見える。彼の絵柄は、非常に記号性が高い。手描きによるやさしさを含有した線で人物造形をデフォルメ化しているからこそ、「すべちょ」のように巨大な力でコミュニティが崩れていく様子など批評的なメッセージをバランス良く描くことができているのではないだろうか。
通常このような展示会にマンガ家本人が参加することは少ない。だが「西島さんをひとりのアーティストとしてとらえ、彼の考えそのものを展示したかった」(小鍋さん)ことから、無料電話ソフトのスカイプで西島氏と話ができる機会も用意されていた。訪れた日も広島にいらした西島氏にスカイプを通じて展示会や作品の狙いを聞くことができた。
なぜマンガ作品の展示が、今回のような形態になったのかという疑問に西島氏は「そもそもマンガの原画を展示するつもりはなかった」と断言する。一般的にマンガ作品をテーマにした展示会では、その作品の世界に入り込めるものやネームなどメイキング過程を見せることが多い。だが小鍋さんから「アートとして一点ものを作成してください」といわれたことで、西島氏はマンガとギャラリーで扱われることが多いアートの違いを徹底して考えた。その結果「マンガは複製品の単行本が完成し流通することがうれしいが、アートは一点もの。アートはひとりでも気に入った人がいれば売買が成立して価値がつく。関係性がまったく別のもの」(西島氏)との考えに至った。それがドローイング作品の作成につながっている。もともと西島氏のマンガを知らなくても、ふらりと訪れた人が純粋にひとつのアート作品として気に入ることもあったという。
実は過去に、出版社が西島氏の原稿を紛失したことがある。そのとき版下データさえあれば出版できた経験から、西島氏は原稿に愛着を持ちつつもその金銭的価値には懐疑的だった。「単行本という複製形態のものをつくるための材料にしかすぎない原稿はアート作品ではない」(西島氏)。そのため原稿は床に広げて、あたかも価値がないもののように展示。その原稿より空間的には上部にある単行本やパネル作品に価値があるということをギャラリー全体を使って示したのだ。
だが彼も原画の価値を完全に否定しているわけではない。「あらゆる価値観を認めたうえで、他のマンガ家の展示を否定したくない」という西島氏。今回の展示会でも来場者にはサイン入りの「一点もの」の単行本がもらえた。「単行本の販売数が増えることで出版社にもメリットがある」(西島氏)。
西島氏はこれまでもマンガ家としてだけではなく、アートディレクターや、「DJまほうつかい」としても活躍している。(DJまほうつかいとして楽曲も発表)。「マンガ家として9年間仕事をしてきましたが、今回、一点物の作品を作ることで、今回少しアートの分野に踏み出しました」(西島氏)。今後はアート分野でもファン層を広げていきそうだ。
過去に別の出版社の展覧会を訪れたとき、マンガ家によって「原画・生原稿」に迫力の違いがあることを実感した。手描きの原稿を見て、印刷物の単行本では伝わりにくい迫力を感じさせるマンガ家がいる一方、制作過程をすべてデジタル化しているため、「原画」が平板な印刷物になってしまっている作品もある。今回の展示会は「トータルの考え方を展示する場こそ展覧会である」という西島氏だからこそ実現したものだ。マンガをアートの流れの中に位置づける動きが増えてきているいま、「何ができるのか」を考える大きなヒントとなるだろう(bookish)。

6月21日(金)19:30~21:00開催の第4回マンガ・イノベーションcafeトークイベント「事例から見る新たなマンガビジネスの可能性Ⅱ」に、代表 山内康裕がボードメンバーとして出演します。
ゲストに、漫画家がゲストのネットラジオトーク番組「漫画元気発動計画!」を主宰し初の漫画家主導となるオリジナル電子書籍Domix(ドゥミックス)を進めている漫画家の樹崎聖氏、初音ミクによるオペラ「THE END」プロデューサー東市篤憲氏、をゲストにお呼びして、マンガ業界と異業界の融合、電子化やネットカルチャーの今後、ライブやWEB空間といった場の可能性など、実際の事例を元に新たなマンガビジネスの可能性や課題についてディスカッションをします。
詳細とお申し込みは下のボタンからお願いします。

「mangaな展」および「mangaな展ワークショップ」の模様がマンガナイトの活動とともに、海外に日本カルチャーを配信するメディアTokyo Otaku Modeで紹介されました(英語のみ)。


2013年6月28日(金)19:00~21:30「マンガナイト×OpenCUワークショップ〜同僚を励ます1冊を贈ろう!」を開催します。「落ち込んだ同僚を元気づける、この1冊」をテーマにみなさんでマンガをシェアします。Loftworkさんが運営する、クリエイティブに関する学習ネットワーク「OpenCU」とのコラボレーション企画です。詳細とお申し込みは下のボタンからお願いします。

そして、出版社や書店の動きが細かに描かれているが、“読者の動き”をどう描くか、それが現実に対してどう響くかが、非常に楽しみな作品でもあるのだ。
いまこの作品から目が離せない理由が2つある。1つめは、『働きマン』や『編集王』にはなかった、ネットなどソーシャルメディアを使った”拡散者の拡大”を実現したこと、2つめは、今後これから読者をどのように物語に取り込んでいくかである。
『重版出来!』は同業者なら、全く同じ体験をしていなくても共感できる「あるあるネタ」がいくつも仕込まれている。
営業と編集の部数の駆け引き、不規則な生活による親からの小言など、「あるある」を細やかにストーリーに取り込み、編集、営業、書店員どの位置に立っていても楽しめる内容だ。
このマンガを描くにあたって入念に取材をしているのが作品からよくわかる。だからこそ、同業者ならどの立ち位置であっても思わず肩入れしたくなるのだ。
ひと昔なら、同業を取り込んだところで、口コミで「いい」と広がるしかなかったが、現代ならばソーシャルメディアを使って大勢に拡散することができる。
拡散された情報を見た人が、さらなる拡散者に変化し、波状の輪のように広がっていく。
特に書店員を取り入れたことで、書店の棚でのプッシュ度合いも上がり、売上げに対する効果は大きかったはずだ。
マンガ/ソーシャルメディア/書店員の盛り上がり方はとても興味深い。
発売後は書店員たちが、店での売上げがどのような状態か、店舗にある残りの冊数はどれほどか……これをリアルタイムにTwitterで発信してくれたおかげで、このマンガの勢いをありありと知ることができた。
出版といえば「小説家(先生)」がいて、「編集者」という秘書のような存在が寄り添う、といったイメージが一般にはあったように思えるが、今はそれも昔のこと。
『重版出来!』によってマンガの中でもリアルでも、営業、流通、書店員、デザイナーといったさまざまな存在が改めて浮き彫りになった。
出版業界で働く者を題材にしたマンガはいくつかあるが、最も知られているのは先述の通り『働きマン』と『編集王』だろう。
週刊誌の女性記者をテーマとした『働きマン』では、事件を追う一人のジャーナリストとしての自分/女としての自分の間で揺れ動く姿を描いたりと、単純に記者ではない部分を描き出し、働く女性からの共感を集めた。『編集王』は漫画の世界どのような葛藤や人間関係があるか……という、業界の裏側と一人の働く男としての姿、夢破れた男の再生を熱量をもって描き出したことで、同業者だけでなく一般読者(主にサラリーマン)にも響いた。
この、「同業者だけでなく一般読者にも響く」を、『重版出来!』は今後いかに実現させるのだろうか。
現在発売されている1巻までを読めば、編集者/営業/書店員/作家/アシスタントなど「作り手側」の視点は多角的に出てくる。これを読んだ読者は普段知り得ない業界の裏側を読む楽しさは味わえるが、ソーシャルメディアで出版関係者が盛り上がっているほどの共感はもてていないのではないだろうか。
何をもってして、現在盛り上がっている層と同じところに読者を引っ張ってくるか……これは今後、非常に期待すべきポイントだろう。
もしも、巧みに読者を取り込み、出版関係者と読者が同じテンションをもってこの作品について盛り上がりをみせることができれば、今後の職業マンガや出版業界を描いたマンガに影響を与える、歴史にみる発明品のような、珠玉の一作になるのではと思う。
参考サイト
スピネット/SPINET