でも、まだ私自身この「タヨウ」を捉えきれていないのだ。これはまずいなという私の焦りから今回は始めよう。
価値観の多様化という言葉は既に私たちの手元にあり、その存在は当然のこととして受けとめられていると言って良いだろう。しかし、その多様性を私たちが許容しているだろうか、あるいは多様であることの恩恵を私たちは得られているだろうかというとかすかに疑問が残る。そんなことを考えさせられる作品が手元に届いた。唐沢千晶の『田舎の結婚』である。
『田舎の結婚』はそのタイトル通り、田舎に暮らす男女が恋愛を経て結婚に至るストーリーをまとめたオムニバス作品だ。畜産農家の息子、花火工場の跡取り娘と各話ごとに主人公たちがおかれている状況は異なるが、共通して印象に残るのは価値観の多様性を受け入れることで自分たちなりの幸せを獲得していることである。
一流大学を出れば、一流企業に勤めれば、都会で暮らしていれば…それらの条件は(全てがそうであるとは保証できないが)経済的な豊かさや社会的なステータスを高める為に必要だと考えられている。何も現代に限ったことではなく昔から「都に行けば」「良家との縁談が」といった話はあるわけだが、現代のように人生の選択肢が広がった中でも、こうした成功のためのステレオタイプが多くの人たちの間で共有されていると言うのはある意味異様でもある。
こうした、なんだかわからないけど私たちが心に抱いてしまう共通の理想像とそれに伴う圧力について、正面から向き合った思想家がハンナ・アーレントである。アーレントは、主体性を持たずに他人から与えられた理想を共有することによって生まれる連帯を「全体主義」と呼んだ。みんなが足並みをそろえて共通の理想に向かって進んでいけばきっと社会は良くなるはずという思い込みこそ危険だと彼女はいうのだ。
「平和」や「幸福」に向かってみんなが努力するのなら、なにも悪くないのでは?と考える方もおられるだろう。しかし、アーレントは「平和のため」とか「幸福のため」という正しさを疑えないスローガンの下に他者が虐げられたり排除されたりすることがあってはならないと言っているのだ。「あいつは非協力的だ」とか「変わったことをする奴だ」というように。多様な人がそれぞれの幸せに向かって進み、互いの幸せを容認できるように議論を重ねていく状態が人間本来の活動であるというのがアーレントの主張だ。
さて、話を『田舎の結婚』に戻そう。各話に登場する主人公達は最初何らかの劣等感を持っている。それは容姿、学歴、家族関係であり共通するのは田舎であるというものだ。例えば第一話の冒頭で語られる、「二両編成の電車が一時間に一本。コンビニまで車で5分。買い物は隣町のジャスコで。山の中には鹿どころか熊もいて、満月の晩には畑で猿が踊る。なにもない、それが俺の住んでいる村」という風に。
しかし、彼らはそんな状況におかれながらも、関係を深め、次第に自分だけではなく相手の幸せは何かを考え出す。自分が悩んでいるように相手も悩んでいるのでは、と思いやる気持ちが生まれ、その次に待っているのが、自分たちなりの幸せとは何かという問いだ。世間一般でいわれている幸せとは違ったとしても自分たちが、さらに自分たちを支えてくれる人たちが幸せであるなら、自分たちで決めた道を進もうという勇気が生まれる。相手が自分と違っているからこそ補いあえるということに気付くのである。
その証拠に、先の生活環境に対する心象表現は第一話の最後にも出てくるが、その時は全く違ったイメージで読者に届く。自分で決めたオリジナルの道であるからこそ他人との違いを誇れるし、他の幸せへの道も尊重できるようになる。正に多様性、そしてその許容とはそういうことではないか。
ただ、こうして偉そうに話している私自身についても、同様に気をつけなければいけないことがあるのにお気づきだろうか。一つはこの作品をもって「田舎は素晴らしい」という牧歌的な田舎信仰としてこの文章を書かないこと。そしてもう一つは「結婚は素晴らしい」という伝統的な家庭信仰を宣伝する内容に陥らないことだ。
当然、この作品を読み終えて「田舎って良いな」「結婚って良いな」と感じられる方もいらっしゃるかもしれない(正直、農学部出身で地方生活を送る身としてはとても嬉しい)。しかし、これらの設定に共感を覚えない方が居るとしたら、試しに谷川史子の『おひとり様物語』(講談社、Kiss連載)も読んでみてほしい。
こちらは反対に都会に住むおひとり様女子達が結婚や恋愛と向き合いつつ、自分にとっての幸せを見つけているオムニバス作品だ。どうしても『田舎の結婚』の「結婚=幸せ」という結末や田舎で暮らすことのドロドロを描かないというシチュエーションに違和感を覚える方がいらっしゃれば、また違った状況の中で、多様な生き方を選択していく若者たちの細やかな心象描写に触れることが出来るだろう。
『田舎の結婚』や『おひとり様物語』のような作品が描かれる背景として、「タヨウだ、タヨウだ」と言われて、確かに昔に比べて私たちの人生の選択肢は遥かに多様になっていたとしても、なにか周囲の目を気にしたり、旧来からの価値観に合わせてしまってその多様さの恩恵を体感できていない人が一定数いるからではないだろうか。多様な選択から自分で選び出したことに対する責任は当然自分が負わなければいけない。その一歩を踏み出す後押しをしてくれるのがこうした作品なのだ。
『田舎の結婚』が最も強く伝えようとしているのは、表面上の田舎での幸せな結婚ではなく、多様な幸せのあり方、人生の送り方があるということであり、その存在を認め合うことの重要性だ。それを伝えようという作者の誠実さが、この作品をただの少女マンガではない存在にしているといって良い。
納得。あぁ、スッキリした。
わざわざアーレントに登場してもらったのは大げさだっただろうか。でも、その価値がある作品だと私は自信を持って言おう。