再生できない面白さ 乞!リメイク&愛蔵版化

最もマンガ雑誌が売れていた1990年代半ば、少女マンガ雑誌「りぼん」(集英社)では池野恋『ときめきトゥナイト』、彩花みん『赤ずきんチャチャ』、水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』、小花美穂『こどものおもちゃ』など、マンガ雑誌最盛期を華々しく飾る名作揃いだった。

小・中学生だった当時の少女たちが、現在では20代・30代となりその声が改めて大きくなったのを受けてか、『ときめきトゥナイト』のリメイク作品『ときめきミッドナイト』が2002年から2009年まで刊行。
『姫ちゃんのリボン』を原作に、気鋭・込由野しほが「姫ちゃん」の世界を現代版に描いた『姫ちゃんのリボン カラフル』が生まれた。

また、小花美穂の『Honey Bitter』の特別番外編『Deep Clear』に『こどものおもちゃ』の主人公・倉田紗南がゲストキャラとして登場するなど、形はさまざまだが当時親しんだ少女マンガを再び楽しめる仕掛けが組み込まれている。

しかし、今でも熱烈なファンがいるにも関わらず、おそらくこうしたリメイクや愛蔵版の出版などにこぎつけられないであろう作品がある。

“少女マンガ界のドクダミの花”、岡田あーみんの作品だ。

岡田あーみんは1985年に1巻が発売された『お父さんは心配症』でその名を馳せたギャグ漫画家である。
1989年に第6巻で『お父さんは心配症』に幕を下ろした後は『こいつら100%伝説』で忍者ギャグを発表。

その後は同じくギャグを貫きながらも、頭身が低めのキャラから一変、王道少女マンガ風の絵柄に挑戦した『ルナティック雑技団』を1992年から1993年に連載した。

彼女の作風の中心は、偏執的・変態的な個性のキャラクター達が巻き起こす強烈なギャグ。

『お父さんは心配症』では、父子家庭の父・佐々木光太郎が思春期の娘・典子を心配するあまり超人的な身体能力で典子にまとわりつき、たとえ死んでも愛の力で蘇るなどもはや妖怪レベル。
当初は父と娘、その周囲の人物によるギャグが中心だったが、終盤になると社会問題をもギャグに取り込んでいる。
光太郎が道を歩いていると「鼻歌をうたっていた」という理由で通り魔に殺害されるシーンは、今思い返しても少女マンガ雑誌でよくも掲載OKが出たものだと思う。

『こいつら100%伝説』

『こいつら100%伝説』では、自殺志願者に対し主人公の1人である極丸(きわまる)による「おまえは死んだらええかもしれんけど残された人のこと考えたことあるか」「飛び降りたぐちゃぐちゃの死体片付けるのは残された人やねんぞ」もなかなかエッジのきいたセリフだ。

どの作品を見ても、キャラクターの暴走によって進むストーリーは面白可笑しくもあるのだが、どこか悲哀に満ちている。

その理由は、個性的なキャラクター達が織りなす暴走の数々は、「良かれと思って」「己の欲望のあるがままに」の2つの行動原理が働いているから。
人間のどうしようもない部分、その行き過ぎた行動を笑いへと消化させ描いているのが岡田あーみんだ。
子どもの頃は“笑い”でしか理解できなくても、大人になればこの“悲哀”がわかる。これこそ、根強いファン獲得の理由だろう。

『ルナティック雑技団』

先述の極丸のセリフも、子どもにとってはただのギャグだ。しかし大人ならもっと別の受取り方ができるはず。

いかんせん刺激の強いギャグでもあるため、時代が違う現在ではなかなか難しい作風なのかもしれない。
『姫ちゃんのリボン カラフル』や『ときめきミッドナイト』が現れた時に、「いつか岡田あーみんも……」という考えが頭をかすめたが、おそらく無理だろう。

『お父さんは心配症』はテレ朝でドラマ化されたこともあったが、変態的要素は取り除かれ父と娘のただのドタバタ日常ドラマになっていた。あーみんの持ち味が全て打ち消されていたあの時の落胆といったら。

当の岡田あーみんも、残念でならないが現在活動していない。

「りぼん」全盛期マンガ再生の影でひっそりと咲いた、少女マンガ界のドクダミの花。表現規制のゆるさが生んだ、二度と再生できない珠玉のギャグ。

このまま再び盛り上がりを見せることなく、過去として終わってしまうのはもったいない。

kawamata
文=川俣綾加
1984年生まれ福岡県出身。フリーライター、猫飼い。岡田モフリシャス名義で「小雪の怒ってなどいない!!」を「いぬのきもち ねこのきもち WEB MAGAZINE」にて連載中。ライターとしてのジャンルは漫画、アニメ、デザインなど。冒険も恋愛もホラーもSFも雑多に好きですが最終的になんとなく落ち着くのは笑える作品。人生の書は岡田あーみん作品とCLAMP作品です。個人ブログ「自分です。