変化だと思ったきっかけは、2011年まで「りぼん」に連載されていた『ブルーフレンド』というマンガだ。ソフトボール部に所属し活発な性格で友達も多い中学2年生・栗原歩(くりはら・あゆむ)と、つんけんした態度でクラスの女子からは嫌われているが、その美貌ゆえに男子からは注目の的である月島美鈴(つきしま・みすず)。この対照的な2人は、やがて友情とも愛情ともつかぬ感情に絡めとられていく。
このマンガの特徴に、百合的感情が友情の延長線上にあることが挙げられる。
百合マンガの有名な作品として『マリア様がみてる』や『ささめきこと』などが知られているが、友情が始点ではなく、愛情や憧憬がスタート地点であることから「新しい百合」とは違うものと考えられる。また、物語の読み手が成人男性であり、身体性を伴う百合作品もまた違う。
いつかの十代だった女性なら、このような経験はないだろうか。
クラスの中で女子はグループをつくり、グループ内で仲良くする。だがその中には力関係や、誰が誰に何を話したか、誰と一緒に行動したか、まるで相手を監視し束縛するような——爽やかな友情とは程遠い経験を。その中でも特に“親友”だと思っていた相手が他の女子と親しくしていると、「自分の元を去ってあの子と“親友”になってしまうのでは」という不安。それはまるで擬似的な恋人同士のようだと思う。
『ブルーフレンド』の中にも、近い描写がある。美鈴は歩を唯一の友達として心を開くが、やがてそれは束縛へと変化する。「歩はあたしのこと好きだよね!?」「嫌いになったりしないよね!?」「じゃあもう他の女の子と仲良くしないで!」という台詞の必死さは、男女のそれに置き換えても違和感がない。作者はコミックスの柱で「複雑な友情模様」と書いているが、帯には「百合マンガ」とあるように、この2つの境界線は曖昧なものだ。
では、友情の延長としての百合マンガが今なぜ認知度を上げているのか? その答えは、最近ぐいぐいとその存在が広まった男性同士の恋愛を描く「ボーイズラブ(BL)」の対をなす存在としての、百合マンガがあると思う。
女性漫画家が客体ではなく主体として百合を描けば、男性目線の性愛やファンタジーな憧憬の世界ではなく、より投影しやすく共感を呼ぶ少女の友情/愛情の曖昧な境界に着地するのは不思議ではない。
果たして「りぼん」を読む少女たちにの目に『ブルーフレンド』はどう映ったのだろう。
歩に甘えないよう距離を取ることを考える美鈴に、「あんたと一緒にいるのは私の個人的なワガママだよ」と歩は言う。まさに“自分だけをみてくれる王子様”だ。だが美鈴は歩に守られるばかりの自分を変えることを決意、2人はぶつかりながらもお互いの友情と愛情を再確認し、別々の道を歩み始める。
自分だけを見てくれる相手、守ってくれる人。そういった相手を求めるのは、どの時代でも普遍だ。だが自分が守られたい、王子様が欲しいと願うばかりでは何も手に入らない。
『ブルーフレンド』は、少女と少女の複雑な友情と愛情を通して王子様を夢見るのではなく、少女たち自身が誰かの王子様になるべきだ、と教えてくれるマンガなのだ。