登場したのは公募で選ばれた8組のロッカー、そして同じく誌面募集で選ばれた観客のみ。初めて来た場所で初めて会った人と初めて聴く音楽なのに初めてな気がしない、どこか懐かしさすら思わせる一体感が場を埋め尽くした。
『日々ロック』は、冴えない男子高校生、日々沼拓郎がロックに目覚め、ロックスターを目指す青春マンガ。作者は京都精華大学出身の榎屋克優(えのきやかつまさ)。
日々沼拓郎(自称:日々ロック)はライブハウスや路上での弾き語りを行うも全く人気が出ず、学校では不良にイジメられるばかりか、信じていた人間に裏切られたりと、最低の日々を送っていた。しかし、同じくイジメられっ子の二人とバンド「ザ・ロックンロール・ブラザーズ」を結成することで事態は好転していく。日々沼はエレキギターの衝撃とともにバンドという連帯感を知ることで、人間としての成長を重ねていく。ホームレスのおっさんや大好きな女の子、ライブハウスの店長らからかけられる熱い言葉たち、それがやがて音楽へと昇華するのだった。やがて彼らは文化祭ライブで伝説を作ることに・・・。
作者である榎屋の作画、構成も日々沼の演奏と歩を会わせたかのように向上していく。第2部に入る頃には、作品も安定し、当初感じられた危なっかしさはなくなる。それどころか演奏シーンでの描き文字は尋常ならざる迫力すら帯びてくる。そこには背伸びした表現やオシャレでポップな要素などない。ひとえに魂から溢れる真摯なロックンロール愛のみが綴られているのだ。
「ヤングジャンプ」で連載が始まったときのことを思い出す。絵は荒く、キャラクター設定もイマイチ、取り上げる音楽も古臭い。「女子に良いところを見せたくて…」というありきたりなシナリオ…いまどきなぜこんなマンガが出ているのか? 逆の意味で衝撃を覚えさせられる程の作品だった。実際、榎屋本人や担当編集も「死ぬほど人気がなかった…」と当時を振り返っている。
しかし、そのストレートさゆえに、ロックンロール愛、マンガ愛が読者にダイレクトに響いたとはいえないだろうか。『日々ロック』が他とは違う魅力を持ち得た理由はそこにあるはずだ。
良いマンガの条件はいくつかあるが、読み終えた後に「それをやってみたい!」と思わせられるかどうか、という点があげられるだろう。『スラムダンク』のバスケットボール、『ちはやふる』の競技かるたなど、マンガをきっかけに設定舞台がブームになった例は多い。洗練といった観点からみると『日々ロック』は良いマンガとは決していえないが、読者にリアルな能動を働きかけるという点では、先に上げた2作品と同じ系譜に入るといえるのではないか。
マンガという二次元が三次元のリアルに移行するとき、新しい作品の読み方や感じ方、そして作家と読者のコミュニケーションが生まれてくる。それは、親和性の高い他のジャンルにエンコードすることで、より多くの人とつながっていく現象——同人誌やニコニコ動画での二次創作のような——に似ている。ジャンルやメディアという垣根を超えるとき、マンガの可能性がまたひとつ、広がっていく。