今年5月に刊行され話題を読んでいるスーザン・ケイン著『内向型人間の時代』(講談社)に続き、10月にはジェニファー・B・カーンウェイラー著『内向型人間がもつ秘めたる影響力』(すばる社)が発売され、ビジネス誌でも特集が組まれるほどだ。そこで語られているのは外向的で社交的な振る舞いをする人だけが評価されるのではなく、多くを語らなくともじっくり物事を考え、冷静に判断を下す内向的なタイプの人にもスポットを当てるべきだという提案である。
内向型が注目されているといっても、従来のように会議術やリーダーシップに関するノウハウ本が次々と出版され、ハーバード流、BCG流というような看板を掲げてそれに箔をつけようとする外向型養成の熱もいまだ冷めていない。
そんな中、内向型-外向型の軸には当てはまらない重要な存在に気づかせてくれるマンガが青桐ナツ『flat』(マッグガーデン「アヴァルス」連載)である。
主人公・平介は超がつくほどのマイペース。さらに「コイツが本気になることなんてあるのか?」と思うくらい冷めていて無駄な努力などする気はサラサラない。唯一、彼が好んで自ら行動することといえば、大好きなお菓子を作ることくらいだ。物静かな性格とはいえ、前向きに何かを考える姿勢が見られない平介は内向型の人間というよりも無気力な人間と言った方がしっくりくる。しかし、彼の周りにはなぜか親戚、友人、先輩後輩、そして先生までもが集まってきて活発な交流が行われるのだ。
平和を好み、のんびりとマイペースに生きる平介。そんな彼にも天敵が現れる。後輩の海藤である。海藤は互いが積極的に関わらない友情や、年下を思いやらない年長者(=平介)に大いなる疑念を抱いている。なぜもっと前向きに関係を築こうとしないのか、相手の気持ちを細かく拾い上げようとしないのか。ことあるごとに海藤は平介の態度に注文を付ける。
海藤に叱責され、表面上は平静を保ちつつも悩む平介。最初は自分の行動のなにが問題なのかすら気づかない。だが周囲との関係を振り返ることで「ああ、そういうことか」と自覚していき、そして得た結論は「このままでいいのでは」というものである。悩む平介と並行して海藤は崩壊していく。自分が理想とする積極的な人物像を平介に押し付けることで、彼を見下していたということに気づいたり、自分が考えていた以外にも友情や信頼関係にはいろいろな形態が存在することを知ってしまうからだ。
『flat』が提示するのは積極的に他人に働きかける外向型人間と、一人での熟考を好む内向型人間だけでは定義づけられない個性をもった人間がいるという視点である。それは社交的な振る舞いをとったり沈思黙考したりするのではなく、自覚なく周囲の人を惹き付ける性質を持っている存在だ。そうした人は外向型、内向型双方が周囲にいたとしても、それぞれに偏見を持ったり優劣をつけたりするような判断はせず、どちらのタイプも受容することができる。
社会学者アーヴィン・ゴフマンはこうした性質を持った人を「オープン・パーソン」と呼んだ。皆さんの周りに、よく道を聞かれる人、すぐに子供が懐く人は居ないだろうか。そういった人に共通するのは相手に警戒心を抱かせず、話しかけやすいオーラを放っていることである。例えばイヌを散歩させている人、幼児や老人などは人から気軽に話しかけられやすいオープン・パーソンだとされている。
平介は一見、消極的で無気力な存在のように思われる。だが、彼が無自覚に持っているのは、周りに人を集め、気兼ねないやり取りを成立させるオープン・パーソン的性質なのだ。外向型人間、内向型人間それぞれの能力を高める方策はビジネスの現場において非常に重要なことで、それによるメリットもわかりやすい。だが、クリエイティビティを高めるために人間の性質を二分し、それぞれに処方箋を出す一方で、多様な人々が協働する組織において欠かせないのは、まったく性質の違う人の間を取り持ち、潤滑油やハブの役割を果たす平介のような人物なのである。
現代のビジネスシーンにおいては内向型-外向型問わず、常にクリエイティブに、前向きになることが求められる。しかし、それだけが個人の価値や存在意義を決める軸ではない。そう、平介のような存在をその条件だけで排してしまっては組織が上手く機能しないのだ。
『flat』はそんな二者択一の行き詰まりをやんわりと否定する、“平熱感”の重要性を教えてくれる作品だといえるだろう。
関連サイト
アヴァルスオンライン