『さよならソルシエ』は「月刊フラワーズ」で連載され、11月上旬に最終巻が発売されたところ。「ひまわり」など後生に残る作品を描きながらも生前には評価されなかったとされるヴィンセント・ヴァン・ゴッホとのその弟、テオドルス・ヴァン・ゴッホの二人の人生を、『式の前日』で注目を集めた穂積がやわらかな線で描いている。
史実にフィクションを織り交ぜるというのはマンガの常套手段だ。だが穂積氏は「史実」を大胆に解釈し、兄弟二人ーー「絵を描く」という才能を与えられたものと、与えられなかったもの――が愛憎入り交じる思いを抱えていたのではないか、と読者に示してみせた。
しかも作者が主人公にしたのは、弟のテオドルスだ。彼は作品中、「画家になりたくてなれなかったもの」と描かれる。しかも近くで自分より才能にあふれた兄をみてしまったがゆえに、だ。19世紀のパリを舞台に、様々な画家が新しい表現対象に挑戦し、新しい芸術が花開こうとする前向きな空気に全体があふれているからこそ、「与えられなかったもの」の闇は濃く描かれる。黙々と絵を描くヴィンセントに、努力をしても追いつけないーーテオドルスが画商として実績をあげるほど、ヴィンセントとの断絶は大きく見えてくる。
人は少なからず、才能あるものーー特に自分がほしかった才能をもつ人ーーに嫉妬と憧れという矛盾する感情を持つ。スポーツやアート分野で、トレーニングをした人の全員がプロになれるわけではない。一般企業に就職する人も、全員が希望の会社や職種、配属先にいけるわけではない。才能がなくてその道をあきらめたあとも、才能あるものが活躍していたり、逆に才能を発揮しきれていなかったりすると、「なぜ自分ではないのか」という想いと闇が心の中に芽生える。
しかし現実ではその嫉妬心や心の闇とうまくつきあい、別の分野で能力を発揮していくものだ。これは心理学的には「昇華」とよばれるプロセスで、作品の中でもテオドルスは、周囲を魔法のようにまきこみ、見事な手法で兄のヴィンセントを売り出していく。画家になりたかったという思いを抱えつつ、画廊で絵を売ることで才能ある人たちの後押しをするところに自分の居場所を見つけている。才能ある人を憎んでしまうところ、うまく居場所を作ることで昇華したのではないだろうか。
現実社会でも迷いと後悔、そして「与えられたもの」への嫉妬を抱えながら日々を過ごす人のほうが圧倒的に多い。だが自分の才能のなさをほかの人にぶつけていないか、別に努力できる分野はないか、自分の才能はどこにあるのかーーこの作品を読むことで、読者は自分の進む道を考えるきっかけになるのではないだろうか。