『信長協奏曲』は「月刊少年サンデー」(小学館)で連載中の歴史マンガ。現代の高校生が戦国時代にタイムトリップし、体が弱いという設定の織田信長と入れ替わって天下統一を目指すというストーリー。織田信長が当時の人間としてはとっぴな行動が多かった理由を、現代人だったという設定にしているところがおもしろく、かつこれまであまり見られなかった設定だ。(これまでのタイムトリップものは未来の人間が過去に別の人格として生きたり、入れ替わって別の人生を歩もうとしていた)織田信長や戦国時代を題材にしたマンガはすでにたくさんある。だがこの作品の連載が始まったときは「ああ、まだこの手があったか」と驚くと同時にうれしかった。少女マンガの雰囲気を漂わせる絵柄が、戦国時代の血なまぐさい雰囲気を和らげているところも読みやすさの一因だ。もちろん結末には史実という制約があるものの、ほかの戦国武将との戦い、羽柴秀吉との戦い、本能寺の変など、今後の展開というより史実をどう描くのかが楽しみで仕方がない。
今マンガ市場では歴史マンガに勢いがある。小学館やエンターブレインなど4出版社は合同で4月末から「ヒストリカルコミックフェア」を実施。『信長協奏曲』をはじめ『ドリフターズ』『乙嫁語り』などを取り上げている。
一方で歴史とは逆の時間軸を描くSFマンガは精彩を欠く。科学を題材にしたマンガは多いものの、「科学の力で明るい未来が待っている」というSFマンガが少なく、「閉塞感がある」(都内で働く書店員)と指摘する声もある。
日本マンガの歴史の中では、かつてSFマンガが主役となった時代があった。1960〜70年代、手塚治虫や藤子・F・不二雄は特に子ども向けマンガで、科学による明るい 未来の実現を描き、鉄腕アトムやドラえもんを生み出した。当時は現実社会が科学の力で大きく発展。新幹線の開通、大阪での日本万国博覧会の開催など「科学に基づく技術が人々の生活を豊かにする」と素直に信じることができた。
翻って現代では、科学に基づく技術が必ずしも人々の生活を豊かにするわけではなく、逆に人の命を脅かすこともありうることが明らかになっている。そのなかでは科学が明るい未来をもたらすと一方的には描きにくい。
科学の研究が進みすぎたがゆえのジレンマもある。当時は科学の発展の余地が大きかったがゆえに、マンガ家が最新の研究成果をもとに自由に想像力をはたらかせ「このような未来になるかもしれない」と描くことができた。科学の研究が進み、生活に身近になった現代では、今の科学や技術水準を元にどのような未来が実現するかシミュレーションができてしまう。マンガの世界にリアリティが求められるようになったことも影響しているだろう。そのため想像力を過去=歴史に向かって使うマンガ家が増えたのではないだろうか。結果が確実な科学よりも、人間の行動が左右する過去の世界の方が想像力をはたらかせ、マンガ的なおもしろさを描きやすいのかもしれ ない。
歴史好きとしては、歴史を扱うマンガが増えるのはうれしい。だが本来娯楽であるはずのマンガで、明るい未来や世界が見られなくなるのは寂しい気もする。